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28.最初の推理

 鹿子木が帰ると直ぐに筑波ホビークラブの戸締りをして、洋介は東の外れの部屋に籠り、チーズを肴に赤ワインを飲み始めた。もちろん、今回の事件に関して推理するという口実の下に。


 先ず、これまでに分かっている情報を整理してみた。

「前提条件として、岩宿さんは何者かによって殺されたことにしよう。

 先ずは動機だが、岩宿さんが自分の上昇志向を具現化するために、純粋な研究者を酷く踏みにじったことへの恨み、と考えるのが現時点では妥当だな。

 そうなると、この段階で容疑者として浮かび上がってくるのは、G製薬会社の元合成研究者である太田哲也さん、元合成研究者でその後研究部門会事務局員となり現在は廃棄有機溶媒処理の仕事をしている安田順一さん、元合成研究者で現在は本社総務部にいる帯織裕一郎さんの三名だ。そうか、彼らは皆、元合成研究者だったわけで、岩宿さんの専門と同じだな。彼らには動機も十分にありそうだし、アリバイも現時点では証明されていない。

 ただし、業績を上げた人を左遷し自分だけが出世していくという岩宿さんの生き方から考えれば、もっと丹念に調べれば岩宿さんを恨んでいた人は増えるかもしれないな。


 次は殺害方法だ。直接の死因は崖の上から転落して下にあった大きな岩の上に落ち、頭部を激しく損傷したことと考えられている。しかし、何故あんな危険な崖の上に岩宿さんは行ったのであろうか? また、どんな事情があってあの崖から転落してしまったのであろうか? 岩宿さんの体格はがっしりとしていたということだったから、もし突き落とされたとすれば、犯人は岩宿さんと同じくらいかそれよりも体格の良い人でないと難しいかもしれない。さっき挙げた三名の体格はどうなんだろうか? さらに、岩宿さんの顔や右手、それから、後の捜査で発見された手袋に付着していたアルカロイドはどういう役割を果たしたのであろうか?」

 洋介がいくら考えてもそれ以上推理は進展していかなかった。考えが纏まらなくなると赤ワインを飲むスピードが上がる。途中から洋介の記憶はなくなってしまった。



「洋介さん、洋介さん!」

 愛の大きな声で洋介は重たい眠りから突然覚醒させられた。

「洋介さんたら、鹿子木さんが来られていますよ。今日は土曜日で、もう十一時過ぎですから、そろそろ会員さんたちがいらっしゃいますよ。いい加減に起きてください」

 洋介は慌てて起き上がった。洋服を着たままで寝てしまったので、皺だらけになっていたが、そんなことにはお構いなく、寝ぼけ眼で受付へ急いだ。後ろから愛が呆れ顔でついてきた。

「ああ、鹿子木さん。済みません。朝早くから何かあったのですか?」

「昨夜、神尾さんに言われたことを今朝一番で実行したのです。私が保管していた手袋を鑑識で調べてもらったのですよ、無理を言って超特急で」

「ああ、そうですか……。それでアルカロイドは検出できましたか?」

 洋介の反応はいつもよりだいぶ鈍かった。それでも鹿子木は嫌味も言わずに対応した。

「はい、やっとの思いで分析してもらったんです。成分的に言えば、岩宿の顔に付着していたものと全く同じアルカロイドが検出されました」

「それじゃ、警察でも今後事件として取り組んでくれるようになるのですね?」


「……、それがですね……。私が今朝上司の所に行って一応了解を取り、それから鑑識に行って状況説明した時、つまり分析前のことですが、鑑識の係官は、『岩宿が何かの興味でアルカロイドが含まれる植物かその抽出物を手袋をした手で触っていて、その手袋で顔も触ったとも考えられる。その状態であの崖の上から誤って転落したと考えるのが現時点では妥当だ。例え、あの手袋からアルカロイドが検出されても状況に大きな変化は与えない。だから、そうでなくても忙しい鑑識を本格投入させることはできない』と言うのです。それでも私は相当頑張って、神尾さんがやられたのと同じ事をとにかくやってくれるようしつこくお願いしました。

 私への対応が面倒臭くなったのでしょう、ようやく簡単な鑑定作業をやってくれました。私が持参したポリエチレン袋に入っていた例の手袋の指の部分だけ外に出し、アルコールで抽出し、濃縮後、神尾さんがやったのと同じ方法で薄層クロマトグラフィーを行い、発色試薬で橙色となることを確認しました。それからアルカロイドの標準物質を比較対象として実験し、岩宿の顔に付着していた成分構成と全く同じアルカロイドであることを確認したのです」

「素晴らしいではありませんか」

「でも、署に帰って上司にそれを報告したのですが、上司の考え方も鑑識の係官と同じで、以前と何も変わりませんでした。現時点の証拠品では殺人事件と断定した捜査は時期尚早だというのです」

「こんな興味深い事実が明らかになったのに、本当に残念なことですね……。困りましたね、何か良い手はないかなあ……」

「本当に、そうなんですよ」

 二人は暫らく言葉を発することができなかった。


 かなりの時間、異様な静寂が続いたが、じっと二人の話を聞いていた愛が口を開いた。

「私は事件の詳細を知りませんが、現場の捜査が上手く進行しない場合は、亡くなった方の捜査をしっかりやるというのが洋介さんたちの取り組み方だったのではありませんか?」

「あっ、愛ちゃん、いたの?」

「いたの、ではありませんわ。今日は午前中の授業がなかったからちょっと顔を出してみようと思ってここに寄ったら、洋介さんのお姿が見えなかったのです。そのまま帰ろうと思ったら電話が鳴ったので、私が出たのです。そのうち洋介さんも起きて来られるだろうと思ったものですから、鹿子木さんにいらしていただいたのですわ」

「そうだった。起こしてくれたのは愛ちゃんだった。ご免、ご免」

「ダメですよ、ワインを飲みながら寝てしまうのは」

「いや、本当に申し訳ありませんでした。ところで、鹿子木さん、今の愛ちゃんの言葉は、確かにその通りですよね」


「本当に、そうでした。あっ、そうそう。ご報告するのを忘れていました。帯織裕一郎のアリバイ捜査です。鑑識に手袋のアルカロイド分析を頼み込んだ後、私もパーラーEというパチンコ屋に行って、店員や常連客に帯織の顔写真を見せてしつこく訊いてみたんですけどね、事件当日の午後、あのパチンコ屋に帯織がいたという証言は取れませんでした。やはり帯織も怪しい人物のままということになります」

「そうですか……。まあ、パチンコ屋では自分の球の動きに集中していて、他人の顔を見ているような人はあまりいませんよね。ところで、岩宿さんのパソコンとか、ご家庭の状況とかは当然のことですが、警察でしっかりと調べているのでしょう?」

「警察ではまだ殺人事件だとは考えていませんので、自殺を仄めかした言動とか遺書類とかがなかったかという観点でしか捜査していません。つまり、殺人事件の時に行なうような情報収集はほとんどしていないのが実情です。勿論、自殺に繋がるような形跡は全く見つかっていませんけれど」

「それでは、今回の件は事件であるとの観点での捜査をお願いできますか?」

「勿論ですよ。せっかく神尾さんの努力で証拠品になるかもしれないものが発見できたのですから、何としても捜査します」

 鹿子木は勢い込んでそう言い、筑波ホビークラブを引き上げていった。

 鹿子木が帰った後、しばらく考え込んでいた洋介は、急に立ち上がると東の外れの専用部屋に行って、パソコンで何かを調べ始めた。


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