30.新薬の売り込み
翌朝、まだ八時前だというのに洋介のスマホが鳴った。目呆け眼で電話に出ると鹿子木からであった。
「何だ、鹿子木さんか……。スマホに電話してくるなんて珍しいですね。それにこんなに朝早く。一体どうしたというのですか?」
「ああ、済みません。ホビークラブに電話したんですが誰も出なかったので、申し訳ないとは思ったんですが、携帯に方に電話させてもらいました。神尾さんにご報告してご相談したいことができたんです。今直ぐに伺ってもよろしいですか?」
「ダメと言っても、鹿子木さんのことだから来るのでしょう。でも一時間くらい時間をください。まだ寝床の中にいるので」
九時少し前になって鹿子木が筑波ホビークラブに現れた。それでも随分と我慢して時間を潰してきたらしく、もう待ちきれないという素振で受付の中に入ってきた。洋介はといえば、ようやく朝食を食べ終わり、アメリカンコーヒーを一口飲み始めたところであった。
「済みません、朝早くに電話してしまいまして。でも、凄い情報が入手できたんですよ」
「ほう、それは良かった。で、何なんですか『凄い情報』とやらは?」
鹿子木は昨日のG製薬会社つくば研究所と岩宿の自宅でのパソコンの捜査について説明した。
「会社で保管していた岩宿の社員用パソコンに残されていた受信メールはほとんどがあの会社の研究開発に関連した具体的なタイトルばかりなんですが、一つだけ売り込みのようなメールがあったんです。そのタイトルは『世界初のメカニズムによるアルツハイマー治療薬にご興味のある方へ』となっていて、日付は二〇一五年七月七日、火曜日でした」
「面白そうですね。そのメールの内容はどんなものだったのですか?」
「宛先は不特定多数に向けているようでして、特に岩宿宛に来たメールではないようでした。内容は表題の内容に興味を持った人は連絡してほしい、ということで、それ以上は何も記載してなかったのです」
「それじゃ、岩宿さんからの返信や相手からの反応はどうなっていたのですか?」
「いや、会社のパソコンの中のメールにはそれに関連したものは一切ありませんでした。でも私はどうも引っ掛かったので、岩宿の家に行き、プライベート用パソコンを調べさせてもらったのです。岩宿の奥さんには事件直後に話を訊いていたので、今回は直ぐに捜査することができました」
「そこに、『凄い情報』があったのですね」
「そうなんです。岩宿はあの売り込みメールを受信したその日に相手に返信していました。会社で受信したメールをプライベート用パソコンのメールに転送していたのです。それ以降のやり取りは全てプライベート用パソコンで行なっていたと思われます」
「ところで、鹿子木さんは今回始めて岩宿さんのプライベート用パソコンとメールを開いたのですよね?」
「はい、私は初めてでした。でも事件直後に別の刑事がプライベート用パソコンの中身を確認していました。その時、パソコンと、メールのパスワードを解析していましたので、それを教えてもらいました。どちらも会社用のパスワードを使い回していたので、非常に簡単に開けることができたそうです。だから今回も本当に直ぐに中身を読むことができたんです」
「そうだったんですか。岩宿さんは情報管理についてはあまり厳しくはなかったようですね」
「部下の業績を自分のものにしてしまう点に関しては他に例を見ない程厳しかったのに、ですね」
「本当にそうですね。それで、メールのやり取りはどんなものだったのですか?」
「先ず、売り込みを掛けてきた相手ですが、メールの中では『ブロックバスター』と名乗っていました。二〇一五年七月七日付けの『ブロックバスター』からの売り込みメールのアドレスを便宜上アドレスAとします。このメールに対し、岩宿はその日の夜、プライベート用パソコンから『興味があるから詳細を教えて欲しい』旨の返信をしています。すると、二日後の七月九日に今度はAとは別のアドレスBから岩宿のプライベート用パソコンに新しい内容のメールが届いていました」
「発信アドレスを替えているところを見ると、随分と警戒心の強い売り込み相手なのですね。そうなると、二番目のメールの内容もかなり慎重な内容だったのではないのですか?」
「その通りだったんです。『ブロックバスター』からの二番目のメールには、先ず『岩宿がどれくらい本気かを確かめたい』と書かれていました。それから、『今後のメールでの遣り取りは絶対に他に漏らしてはならない。もし漏らせば、即座に連絡を遮断する』とも書いてありました。だから、岩宿は会社のメールは一切使わなかったのだと思います。まあ、自分だけの手柄にしたいという卑しい望みもあったのでしょうけど。ただし、会社に来た最初のメールだけは消去するのを忘れていたのでしょう。私たちにとっては本当にラッキーだったのですけど」
「そうですね。それで、新規メカニズムによるアルツハイマー治療薬に関してはどんなことが書かれていたのですか?」
「岩宿が本当に新薬の情報が欲しいかどうか試すためと称して、『以下の問題を解き、二〇一五年七月十八日十三時から十三時三十分の間に指定の場所に来ること。問題を解く時間として九日間の猶予を与える。その地点に時間内に来た人にだけ、第一回目の情報を開示する』と書いてありました。
その問題での指定場所とは、『五〇一上で筑波隠しの直ぐ右横に男の頭が見える地点にある台の上の木』でした。因みに、指定された日は土曜日でした」
「そうすると、その『ブロックバスター』という名前の売り込み人は敢えて人出がありそうな日時を指定してきたということですね。それにしても、指定された場所については全く見当が付きませんね。鹿子木さんはもう問題を解いてしまったのですか?」
「とんでもありません。珍紛漢紛ですよ」
「それでは、岩宿さんはその問題を解いたのですか?」
「はい、岩宿は賭け事やクイズがとても好きだったと会社の人たちが言っていましたが、どうやら本当のようで、きちんと正解に辿り着き、指定の場所に行ったようです。メールにはその場所がどこかは書いてありませんでしたが」
「そうすると、岩宿さんは新薬に関する一回目の情報を得たわけですね?」
「はい、そうです。岩宿の家の鍵が掛かる机の引き出しの中から茶封筒に入れられた書類が出てきました。これがその書類のコピーです。奥さんに鍵を借りて開けたら出てきたのです」
そう言って鹿子木が差し出したのは、A四版の用紙に印字されたもので、たった一枚しかなかった。
「情報量としては随分少ないですね。ちょっと見せてください」
洋介はその書類を集中した顔で見ていたが、それから目を離し、鹿子木に言った。
「これには薬として最も重要である構造式に関する情報が書かれていませんね。確かに一回目の情報に過ぎないわけですね。そうなると二回目の問題が出されたのではありませんか?」
「いやだなあ、その通りだったんですよ。岩宿が一回目の情報を得た翌日、つまり、七月十九日、日曜日の夜に岩宿のプライベート用パソコンに『ブロックバスター』から三度目のメールが届いていました。発信先はまた前回までとは異なっていましたので、アドレスCとしておきます」
「面白くなってきましたね。そのメールに二回目の問題が書かれていたのですね?」
「はい、その通りです。『坊主を前にして男と女とが完全に重なり合って一つに見え、さらに鳥羽の湖を由来とする駅を見出し、その場所と男とを結んだ距離と同じ距離を男から北に伸ばし、その近くにある出産で頼る場所と女とを結んだ線の中点にある白壁の上』に指定日時に来ること。二回目の課題を解き、手付金三百万円を持参すれば、未公開である特許請求の範囲に記載された構造情報を渡す。指定日時は、二〇一五年七月二十五日、土曜日の午後四時から三十分間とする。今回は問題を解くために六日間の猶予を与える』と記載されていました」
鹿子木は手帳を見ながら一気に読み上げた
「二番目の問題は随分と色っぽい内容ですね。『とばのみずうみ』とはどんな文字なのですか?」
洋介は鹿子木の手帳を覗き込み、文字を確認させてもらった。
「その日時は岩宿さんがあの崖から転落した時刻ですよね。そうなると、指定されている場所はあの崖の上ということになるわけですね。それが問題の最後の方に書かれている『白壁』ということになるわけだ。しかし、一回目の指定場所と二回目の問題の意味は、今の所皆目見当が付かないな……。でも岩宿さんはきちんと解いたわけですよね?」
「そうでしょうね。それで転落してしまった」
「ところで、岩宿さんの遺体からか、あるいは転落していた近くに、指定されていた三百万円は見つかったのですか? これまで鹿子木さんはお金については何も言われていませんでしたよね?」
「それが、そんな大金はどこにもありませんでしたよ」
「そうすると、お金は『ブロックバスター』を名乗る人に渡ったと考えるべきなのでしょうね」
「私もそう思います」
「ここまで来れば、警察でも事件性が高くなったと考えてはくれないのですかねえ」
「勿論、私も上司に掛け合いましたよ。でも、『そんなクイズみたいな内容のメールが見つかったからと言って、今回の岩宿の転落死と関連があるとは断言できないだろう。少なくとも、二つの問題をきちんと解き明かし、岩宿が転落した現場に間違いなく繋がっていることを明らかにしてからでないと、捜査対象にはならない』と言われてしまいました」
「そうですか……、残念ですね。せっかく鹿子木さんがこれ程努力されて見つけてきた情報なのにねえ……。鹿子木さん、私に少し時間をください。二つの問題について考えてみたいと思います」
「こうなると、もう神尾さんに頼るしか方法がありません。よろしくお願いします」
鹿子木は洋介に頼むことができたためか、いくらか安心したような顔で筑波ホビークラブから帰っていった。




