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21.再び元研究部門会事務局員

 安田順一による降圧剤Zとそのリーダーであった太田哲也に関する長い話はようやく終わりを迎えた。

「太田さんは本当に大変な研究人生を送っているのですね……。ところで、太田さんは現在も合成の仕事をしているのですか?」

 鹿子木が尋ねた。

「それがですねえ……。アメリカから帰国した時、太田さんは再び合成の仕事をするものと思っていたようです。しかし、岩宿研究部長がOKしなかったそうです」

「一体何故ですか?」

「せっかく構造決定では世界的な権威の先生の研究室で学んできたのだから、是非構造物性グループで力を発揮してほしいということで、説得されたようです」

「太田さんはそれを直ぐに受け入れたのですか?」

「いいえ、随分と話し合いをしたようですが、どうしても太田さんの希望は叶えられなかったのです」

 鹿子木はゆっくりと頷いてから、呆れたような声で言った。

「今日、安田さんからお聞きしたことから想像すれば、岩宿さんにとって太田さんはある意味で邪魔な存在だったのかもしれませんね」

 安田は大きく首を縦に何度も振った。


「それが岩宿さんのやり方だと私は思っていますよ。現にこの私だって太田さんと同じような目に逢ったんですから」

 鹿子木がこの言葉に飛びつかないはずはなかった。

「ええっ、一体どんなことが安田さんの身に起こったというのですか?」

「実は、私も昔は合成研究者だったのです」

「太田さんと同じような仕事をしていたのですね」

「あの頃の岩宿さんはまだ合成研究のグループ長でした。合成のグループは全部で六つあったと思いますから、岩宿さんはまだそんなに目立った存在ではなかったのです。あの人はあの頃から自分では合成実験をしていませんでした。研究所にいる間はほとんどの時間、いろいろなジャーナルを読んでいました。合成関係の雑誌より、薬理、安全性、代謝、構造物性だとか、薬創りに関する総説だとか、幅広く読んでいたと思います」


「随分と勉強家だったんですね」

「まあ、確かに勉強はしていましたね……。でも、我々の本来の業務である有機化合物の合成実験は全くと言ってよい程やっていませんでした。自分で作りたい化合物を思い付くと全て我々部下に合成させていたんです。それが良い活性を示すと、いかにも自分が合成したかのように上に報告していましたね」

「成る程ね。これまでの話からすると、そんなことをしそうですね、岩宿さんという人は」

「うまくいった時はまだ良いんです。活性が無かったり毒性が出たりした場合は、それを合成した部下の責任にしてしまうのですから、下の者は堪りませんよ」

「本当に酷い話ですね」

 安田はしばらくの間、沈黙した。昔の情景を思い出しているようであったため、鹿子木はじっと待った。


「あれは消化器系の薬を創ろうとしていた時でした。岩宿さんから合成するようにと言われた構造式を見て、私は自分の意見を言ったのでした。あの頃の私は今と違って結構勉強もしておりましたのでね。岩宿さんが提示した構造は既に他社で合成されていたからです。私がその事を告げると『いいから合成しろ』と言われてしまいました。確かに研究を進めるにあたって一つの参考化合物にはなると思ったので、私は素直にその化合物を苦労して合成しました。それだけであれば、岩宿さんの逆鱗に触れることはなかったのでしょうが、私は自分が思いついた化合物まで合成し、岩宿さんに見せ、私の化合物も薬理活性をみてほしいと申し出たのでした。最初はダメの一点張りでしたが、私が執拗にお願いした結果、活性をみることは了解してくれたのです」

「それは良かったではないですか。それで、活性は認められたのですか?」

「はい。それが……、私が合成した化合物の活性はすこぶる良好で、岩宿さんが命じた化合物よりもずっと良い活性を示したのです。私は正直、やった、と思いました。ところが、それから少し経った人事異動の時期に、私は合成系の統括長に呼ばれ、総務部門への異動を言い渡されたのです。何で私が合成研究を止めなければいけないのかと随分訊いたのですが、私の適性は合成研究よりも総務部門の方が合っている、という言葉で押し通されてしまったのです。それからずっと私は総務部門にいるという訳です。きっと、岩宿さんに厄介払いされてしまったのだと思っています」

 安田はそう言った後、しばらく言葉が出てこなかった。


 安田の険しい表情がいくらか収まってきたように見えてから鹿子木は口を開いた。

「岩宿さんは随分と酷いことをする人だったんですねえ。そういう人物であれば、安田さんや太田さん以外にも酷い目に逢わされた人が何人もいるのではないのですか?」

「その通りですよ。あの人は自分の成果に繋がることをしている間は物凄く可愛がってくれますが、良い結果が出ると全てを自分のものとし、それに逆らう者は容赦なく切り捨ててきたのです。そんな目に逢わされたのは合成研究者だけではありません。薬理など他のセクションでもいるのではないかと思いますよ」

「そうですか。そういう人たちの中で、太田さんや安田さんが受けた仕打ちと同じくらい酷いことをされた人はいたのですか?」

「いやー、どうかな……。太田さんくらい酷い扱いを受けた人は他にもいたとは思うんだがなあ……。今直ぐにはちょっと思い浮かばないな……。もうちょっと時間を掛けてじっくり思い出さないと、急には無理ですよ」

「そうですか、分かりました。それでは、今後そういう人に関する情報を思い出された時にご協力いただく、ということでよろしいでしょうか?」

「はい、それで構いません」

 鹿子木は、この件は一筋縄ではいかないな、と思いながらG製薬会社を後にした。


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