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20.ポストZプロジェクト

「そうそう、どうしてZAっていう名前になったか知っていますか? 当然知らないですよね」

 哲也は頷いた。

「前の名前はZでアルファベットの最後、どん詰まりですよね。そこから人心一新して、初心に帰るっていうことで、ZからAへ、ZAという名前になったそうです。因みに、名付け親は岩宿研究部長だそうです」

 哲也は、『へー、そうなんだ』という表情を浮かべた後、青田に先を続けるよう促した。

「それで、新しい活性化合物なんですが……。僕も見つかりっこない、と思っていたんですけど、それが、直ぐに見つかっちゃたんですよ」

「えっ、本当?」

 哲也は心底驚いた。信じられなかった。

「本当です。でも、種を明かせば簡単なんです。太田化合物の骨格だけ変えたんですよ。つまり、太田化合物には重要な置換基が三つあったじゃないですか。その三つの位置を固定しておいて、それを繋ぐ骨格を捜したんです。これには最近進歩してきたCADDを使ったようです。普通はCADDを使ってもそう簡単にはいい化合物が見つかるというわけにはいかないようですけれど、片桐さんは強運の持ち主というんでしょうね、彼の得意の例の骨格がジャストフィットしてしまったんです。そして、その合成研究を主体的に遂行したのが、片桐さんを師匠と仰ぐ江曽島だったという話ですよ。彼奴はCADDを合成研究に生かすことに生き甲斐を感じてきたということですから」


 ある活性を持つ化合物は、一般的に言えば、骨格となる構造に置換基と呼ばれる活性に関連した化合物の部品みたいなものがいくつか結合してできている。人形に例えてみれば、骨格が胴体、置換基が頭や手足と考えればよい。胴体、頭、手足が繋がって全体として一つの人形となっている。化合物も同様で、骨格となる構造に、いくつかの置換基が結合して一つの化合物を形作っている。

 例えば、頭と右手と左足とが重要だと仮定する。この三つの位置を固定しておいて、胴体の部分だけ最初のものと変えることによって、元の人形とは別の人形にしようというようなものである。あまり重要でない左手と右足は活性の邪魔をしなければ、そのままでもよいし、若干変えても問題ない。このような変換をコンピューターのディスプレー上で行なうのである。コンピューターで行なえば、実際に化合物を一つずつ合成するより非常に短時間で比較検討することができる。この手法がCADD、コンピューター・エイディド・ドラッグ・デザインである。

 しかし、実際の薬創りでは、そう簡単には物事は運ばない。胴体部分を変えてしまうと、重要である頭や右手や左足の位置が若干でもずれてくることが多い。そのずれが活性の減少や消失を招くことになる。また、変更した胴体部分も化合物の部品には変わりないので、これが活性に悪影響を及ぼしたり毒性を発現させたりすることがあるためである。青田が、片桐は強運の持ち主で、彼の得意の骨格がジャストフィットしてしまった、と言ったのは、この辺の状況を踏まえての発言なのである。


「ただ、一つ問題が出てきました。確かに、セルフリーの評価系である酵素活性阻害と細胞系での活性は、太田化合物と遜色ない値を示すのですが、動物実験をやると、効いたり効かなかったりするようです。いろいろと検討しているようですが、はっきりとした原因を掴んでいないようです。結局原因は確定できないまま、プロジェクトは超特急で先に進められました」

「へー、そんなにうまくいくケースもあるんだね。だけど、何で動物実験で効いたり効かなかったりするんだろうね」

 哲也は、あまりにも簡単に新たな化合物が出てきたことに対する素直な驚きと、自分たちがあれ程苦労して辿り着いた化合物がこうも簡単に抜き去られてしまったことに対する悔しさとが入り混じった複雑な思いで青田の言葉を聞いていた。しかし、根が研究者である。事実を積み重ねて現状をしっかりと把握しようという冷静な理性を失っていなかった。


「チームの推論としては、吸収に問題があるのであろう、ということになっていて、製剤化または化合物を塩にすることによって、将来的には解決可能な課題であると考えて、先に進めたようです。岩宿研究部長もそれで良いとの判断だったようです」

「なるほど、確かにありうることではあるなー」

 そう言いながらも、哲也は自分達のプロジェクトの時は、あれ程厳しく考えていた岩宿研究部長が、片桐のプロジェクトになった途端、急に甘い判断をしていることにかなりの苛立ちを感じた。『これは完全にえこひいきではないか』と口に出しそうになったのをようやく思い止まって、その先を聞くことにした。

「それで、その課題は解決できそうなのかい?」

「先ず、化合物の塩の検討を行って最適なものを見出したそうです。さらに製剤化でも以前のものよりずっと良い吸収が得られるようになったという話ですよ」

 哲也は信じられないという素振りをしたが、あまりの展開の速さに驚き、最新の状況を聞くことにした。


「プロジェクトZAの現状はどうなっているんだい?」

「例の研究部門会も半年くらい前に開催されましたが、嘘みたいに簡単に承認されてしまいました。勿論僕みたいなペーペーは会議には出ることはできませんので、臼井さんに聞いた話ですけどね」

「えっ、半年も前にコース転換提案が承認されたの? そうしたら、たった一年半で化合物を見つけて、コース転換提案までもっていったわけなんだ」

 哲也はプロジェクトZAのあまりにも素早い進み方にただただ驚くばかりであった。そんな表情の哲也には構わず、青田は続けた。

「とにかく、他のプロジェクトの進行を止めてでもプロジェクトZAを優先させろ、って岩宿研究部長が厳命したものだから、あっと言う間に臨床試験が始まるみたいだって聞きました。太田さんの化合物で問題になった発癌性予備試験も運よくパスできたみたいです。永倉さんの話では、数字としては太田化合物よりも高い数値が出たのですが、無投与群の数字がかなりばらついていたために有意差が付かなかったということですよ。本当にラッキーの連続みたいな経過です。今は最低容量のフェーズ・ワン試験に向けていろいろな組織で必死に準備していると思います」

「と言うことは、化合物を大量に合成することも、各種の前臨床試験もほぼ終了しているということなんだ。何という早さだ」


 人間に投与することができるようになるまでには、実は膨大な作業をきちんと行なわなければならない。さらに、当局のお墨付きをいただいた後、晴れて人に対する試験が開始できるようになるのである。

 フェーズ・ワン試験というのは、人に初めて投与する臨床試験のことである。動物実験で確かめてあるといっても、動物と人間とは似ているところはかなり多いが、ほんの少しだけ異なっているところもある。このほんの少しの違いが大きな毒性となって現れることも可能性としては十分考えられるので、最初に人間に投与する際には、通常は健康なボランティアに対し、ごく微量から投与を開始する。投与された薬物が体内に入り、血中に送り出され、体を循環して最後に排泄されるまでを追跡する。軽微な毒性の兆候がないかも慎重に観察する。それで問題なしとなって初めて、薬物の投与量を少し上げて次の試験に入っていくのである。


「極めて順調に進んでいるというわけだ」

「そういうことですね」

 それ以上、二人の会話は進まなかった。この事態を単純に喜ぶというわけにはいかない経緯はあるし、そうかと言って、臨床試験がうまくいかないことを祈っているようなことを口に出すわけにもいかなかった。暫くの沈黙の後、青田が受け持っているプロジェクトTNの合成の話を聞かせてもらってから哲也は総務部に顔を出しに行った。


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