13.恋の進展
その後、二人で毎週参加していたテニスの練習は、哲也の仕事が忙しくなると、二週間に一回になり、さらには月に一度となった。それでも洋子とは気が合うような気がしていたので、携帯電話で話したり、テニス以外のことでも会ったりしていた。しかし、今回の降圧剤Zの研究プロジェクトで哲也の化合物が見出されてからは、いつもよりは長い間洋子をほったらかしにしていた。それで、洋子から電話が入ったのであった。
次の日曜日、久しぶりのテニスに哲也と洋子は参加した。洋子はあまり浮ついた感じがしない女性で、哲也がテニスの練習に参加できない時、他の男性と組んでプレーするようなことはしなかった。そんな時、哲也はちょっと申し訳ない気持ちになったが、仕事を優先させた。これが理由で交際が長続きしないのであれば、運よく結婚にゴールインできたとしてもその先の状況は読めるような気がしていたからであった。
洋子とペアを組むようになってからは、哲也は随分とテニスが上手くなった。ゲームの流れをリードできるほどではなかったが、時折ネット際のボレーに飛び出して得点したり、ストロークでも相手のコーナーに決めたりすることが見られるようになった。
この日の二人はテニスを久しぶりに楽しめた。特に洋子は、哲也に付き合って練習に参加できなかったブランクを感じさせないで、サービス、ストローク、ボレー、スマッシュのどれもが冴えていた。試合形式の練習では、ほとんどのセットを勝つことができた。
テニスを終えて他のペアと分かれた後、車で行きつけの紅茶の店に入った。ここはいろいろな種類の紅茶を味わわせてくれて、ちょっと大人の雰囲気で楽しむことができるので二人とも大変気に入っていた。席について、それぞれがお好みの紅茶を注文してから哲也が話し出した。
「今日の洋子ちゃんは凄かったねー。やることなすこと全部が決まるんだから」
驚いたように言った哲也にちょっとだけきつい目を向けて洋子は応えた。
「有難うございます。これもひとえに太田さんのお蔭ですわ」
「あれっ、それって皮肉?」
「分かります?」
怒っているような様子を見せてから、洋子は直ぐに笑顔になって続けた。
「だって、本当に寂しかったし、テニスもしたかったのですもの。今日は全部その思いをテニスボールにぶっつけてしまいました」
そう言うと、洋子は楽しそうに声を出して笑った。
「でも、太田さんだって、いいところでボレーやパッシングショットを決めていたじゃないですか。格好良かったですよ」
「洋子ちゃんと比べれば、本当に数は少なかったけれどね」
「ううん、そんなことはありません。ひとえに太田さんのお蔭です」
また、洋子は楽しそうに笑った。
「ところで、太田さん、超忙しい時期は乗り越えられたのですか? 私、本当に太田さんの体が心配になっていたんですよ」
「ご免、ご免、心配かけちゃったね。でも、お蔭様でどうにか峠を越せそうなんだよ。それも、随分と良い方向に向かってね」
「そうなんですか。それをお聞きして私も嬉しいわ。それに、今日の太田さん、とっても楽しそうだったので安心しました」
「そんな風に見えた?」
「お顔に『お仕事がうまくいっています』って書いてありました」
洋子は哲也の言葉の部分を意識的に強く言った。
「洋子ちゃんには敵わないなー。何でもお見通しなんだから」
「だって、太田さんって、隠し事できないタイプでしょう? 私じゃなくても皆分かってしまうと思いますよ」
「やっぱり、そうなんだ」
そう言うと、哲也は周囲に他の人がいないことを確認してから小声で言った。
「まだはっきりとしたわけではないんだけれどね、今僕がやっている仕事は素晴らしい状況になりそうなんだよ」
目を輝かせて話し出した哲也を見て、洋子は笑顔でその先を続けるよう促した。
「今、僕たちが研究している薬は世界でまだ誰も効き目がある化合物を発見できていないと思われる状況にあるんだ。僕が忙しくなって洋子ちゃんとあまり会えなくなった頃、実は僕が合成した化合物の活性、つまり、薬になった時の効き目みたいなものがしっかりとあることが分ったんだよ」
「それって、いつも太田さんが望んでいた、世界初っていうこと?」
洋子は眩しそうに訊いた。
「そう、その通り」
哲也はもう一度周囲を確認後、話を続けた。
「丸秘にしていてもらいたいんだけれど、僕はもう間違いなく新しい薬が世の中に出せると思っているんだよ。それも多分世界で始めての薬として。そうなれば世界中で苦しんでいる患者さんたちに対する貢献度は計り知れないものがあると思っているんだ」
「それは素晴らしいけど……」
洋子はその後の言葉を続けるのをためらった。
「あれっ、洋子ちゃん、嬉しそうじゃないねー」
哲也は洋子の心情を汲み取ることができなかった。自分の置かれている現在の状況が、生まれてこの方一度も経験したことのないような至福の時期を迎えていると思えてならなかったので、それを取り巻く人たちが自分とは異なる気持ちでいることが当たり前なのに、そのことを考えようとすることを忘れてしまっていた。
「いえ、太田さんの成功が嬉しくないわけではないんです。ただ、まだまだこれからも太田さんがずーっとお忙しいのかと思うと、何だか私、とっても寂しいような気持ちになってしまうのです」
「なーんだ。そんな風に思っていてくれたの。大丈夫だよ。本当に忙しい時期はようやく過ぎ去ったよ。これからは僕以外の人たちに頑張ってもらう番なんだよ。だから、安心してね。洋子ちゃんと会える時間をもっと取れるようになるからさ」
「本当?」
「本当だよ。後は臨床試験で良いデータが出てくるのをひたすら待つだけの時間を過ごさなければならないんだ。だから、これからは洋子ちゃんとは沢山会えるようになるよ。ただただ待ち続けている僕を励ましてもらいたいからね」
その言葉を聞いて、ようやく洋子は少し安心したような表情になった。




