第8話:届かぬ身分3
言葉にならない感情に呑み込まれたのは、これで2度目だった。
「お嬢様は明日、伯爵様とご結婚なさるためにシルビオ伯爵領へ向かわれます。」
昔からオレリアに仕えている老侍女フィロが静かに放った言葉に動揺して、上手く言葉が出てこない。
「…え、明日って…それはまた、急な話だね。」
表情までは取り繕えていないだろうけど、絞り出すようにそれだけ呟いた。
「私も、昨日知ったの…まだ実感も湧いていないわ」
オレリアは貴族令嬢らしく、綺麗なまま微笑みをたたえているから、その心情までは分からない。
けれど、前日に突然知らされた結婚と言うだけで、実家での扱いなど彼女の背景が透けてみえて、腸が煮えくり返る想いに駆られる。
オレリアには見えない位置で、握った拳が怒りで震える。
輿入れの準備は、どれほど整えられているだろうか。
数年前から、見る度おなじワンピースを身に着ける彼女を見て、心がざわつく。
「子爵家からは、前当主の形見や嫁入り道具など一切を持ち出すことを禁じられました。せめて私だけでも侍女として付き従っていけるよう、当主様へお願いいたしましたが、それも取り合っていただくことが叶わず。ですので、デザインも評判が良く子爵家の織物を重用してくださるこの『ハウス・アンフィトリテ』で、お嬢様に晴れ着をお贈りしたいのです。」
伏し目がちに、重い口ぶりで、フィロはそう言った。
怒りや悔しさで、目の前が真っ赤に染まり、堅く握った拳からは血が滴った感触がした。
ポタッ と、滴った血が床に落ちた音でハッと意識を取り戻す。
「ありがとう、フィロ。気持ちだけでも、とっても嬉しいわ」
「お嬢様・・・。先代当主様が亡くなられてから今日まで、理不尽なことばかりでしたでしょう。私と同じお仕着せを着せられて参りましたが、本来のお嬢様は、由緒あるエストラード子爵家の正当な後継者でいらっしゃいます。」
最近の子爵夫妻の金遣いの荒さは、アンフィトリテ商会にも届いている。
自分たちが贅沢する金はあっても、オレリアに帰属令嬢として最低限の身嗜みを整えさせる金はないということか。
オレリアも、子爵家の財政状況を何となく分かっているのだろう、表情から察するに洋服選びを楽しめる状況ではないようだった。
もっと早く店を拡大できていたら。
もっと早く爵位を得ていたら。
もっと早く、オレリアに求婚できていたら。
自分が相手なら、オレリアにこんな顔をさせなかったのに。
自分自身の不甲斐なさや情けなさに、やるせない感情が押し寄せてくる。
「じゃあ今日は、俺にプレゼントさせてよ。」
ここで怒りに任せて感情的になっても、オレリアの不遇は変わらない。
明日、オレリアは伯爵家夫人になる。
それも、今更変えられない。
今やるべき事は、オレリアが少しでも安心して子爵家を出ていけるように。
胸を張って、伯爵家に嫁入りできるように。
自分が用意できる最大限でサポートすることだけだ。
「レイも、ありがとう。本当に嬉しいわ。けれど今の私には、お返しできるものがないのよ。上等な洋服をいただくのは申し訳ないわ。ふたりの気持ちだけ受け取らせてね」
予想通り、オレリアは俺の申し出にも遠慮する。
だけど、今日はここで引き下がるわけにはいかない。
オリィが着ているところをイメージして作った服が、山程ある。
数着だけでいい、せめてひと目でいいから、オリィが着ているところが見たい。
「うちの洋服を、オリィが着てくれるだけで立派な広告塔だよ!だから、お返しって言うなら、プレゼントした洋服を沢山着て、伯爵領で沢山お店を宣伝してくれたら嬉しい。どうかな?」
自分がいま、どんな表情をしているのか。
上手く笑えているのかさえ、わからないけれど。
精一杯、表情筋を動かす。
「じゃぁ、1着だけいただくわ。ありがとう、レイ。」
根負けしたように困った様子で、オレリアはそう言った。
本人の気が変わらないうちに、手早く用意を整える。
靴、髪飾りやアクセサリー、ハンカチや香油などの小物に至るまで、どうやって一式受け取ってもらうか。
ここからは、アンフィトリテ家の息子として、そして一商売人として腕の見せ所だ。




