第9話:届かぬ身分4
「とても素晴らしいドレスだわ。」
トルソーに飾られたドレスを見て、オリィは喜んでくれた。
それだけのことが嬉しくて、同時に、こんな時間は二度と過ごせないかもしれないと思うと、胸が苦しくなる。
オリィに一目惚れしたあの日からずっと、ここまでがむしゃらに頑張ってきた。
爵位を得て、オリィにプロポーズする権利を得るために。
それを心の支えにすれば、何だって挑戦できた。乗り越えられた。
どのドレスを見てもオレリアは褒めてくれるので、俺もドレスの魅力を伝えたくて、ひとつひとつ紹介に熱が入る。
商品とは別に、プライベートな時間を割いて、いつかオリィに贈りたいと思って今まで溜め込んできた、オレリア専用のドレスを次々運び込んでもらう。
3回目の運び込みのとき、俺は言葉に詰まってしまった。
それは、オリィと出会った思い出の、海辺の教会へ出かけるシーンをイメージして、長年デザイン案を考え続けて、ついこの間出来上がったばかりのドレスだった。
このドレスを着たオリィを、あの教会に連れていきたいと、何度願っただろうか。
オリィが花嫁に憧れた思い出の教会で、最高のドレスを着た世界一美しいオリィに、プロポーズしたいと。
最近になって、やっと制作に取り掛かったのも、理由があった。
ハウス・アンフィトリテの爆発的な利益によって、盤石な社会的地位を獲得し経済への貢献が認められた商会もとい両親が、次の式典で男爵位を拝命することが決まったからだ。
両親が爵位を得れば、俺自身も貴族令息の肩書を得ることができる。
そうしたらすぐにでも、このドレスをオリィへ送って、デートに誘いたい。
できれば俺を選んでほしいけど、オリィが俺以外の男を望むなら、一時的な契約結婚でも、白い結婚でも何でも良い。
一刻も早く、あの劣悪な環境から救い出して、オリィが自由に幸せに生きられるように支えたい。
オリィに出会ったあの日から、今日の朝まで、それが俺の原動力だった。
それが今、俺の手からすり抜けた気がした。
胸に穴が空いたように、心の中から大事なものが失われた気がする。
考えがまとまらず、でも込み上げてくる想いが喉の奥でつかえて、いよいよ、どうやって笑っていたかわからない。
振り返れずにいると、背中越しに、ドレスを目にしただろうオリィも息を止めたのがわかった。
「このワンピース、まるで・・・」
オリィの言葉の続きが聞きたくて、ゆっくりと振り返った。
涙が出ないように、心配させないように笑いたいけれど、手足も表情も、自分のものではないかのようにうまく力が入らない。
「すごく、美しいわ・・・」
オリィはドレスではなく、俺の目を見てそう言った。
やっぱり、上手く笑えていないみたいだ。
この世の何より美しいのは、君だ、と。
伝えようとして、言葉にはできなくて、無意識にオリィの頬へ手を近づけていた。
「っこ、こんなに上質なシルク、一体どこで手に入れたのかしら?」
想いを、告げてはいけない。
オリィは明日、伯爵領へ嫁入りするのだから。
行き場を失った手は、求めるものには届かず、力なく下ろされた。
「それはもちろん、この帝国で最も名高い織匠を継承する、我がエストラード家のシルクにございます。」
笑え。笑え。
オリィにとって、このドレスが良い思い出になるように。
「大正解!こういった上質な生地を卸してもらえるから、僕らも素敵な洋服が作れている。このハウス・アンフィトリテが帝国で指折りの人気店に成長できたのも、開店当初から最高級の生地を惜しみなく卸してくれたエストラードブランドの影響力のお陰だよ。エストラード家への感謝と、今後も継続的なビジネスパートナーとしての協力を願う友好の証に、ぜひこのワンピースを受け取ってほしい。どうかな?オリィ」
せめて、この時間を楽しい思い出として記憶してもらうために。
「ありがとう、レイモンド。こんなに嬉しい贈り物、生まれて初めてよ。」
このとき、オリィが向けてくれた柔らかな笑顔を、死ぬまで忘れないだろう。
「せっかくだから、ぜひ試着してほしいな。この奥の部屋を使ってね。」
これ以上オリィと会話していたら、情けない姿を見せてしまいそうで、俺は試着を勧めた。
できるだけ、沢山オリィに受け取ってほしくて、周囲の棚に整えられたアクセサリーや靴、ワンピースと合わせて誂えたボレロも手に取って、着替えを手伝う女性店員へ渡していく。
オリィが試着室に入った後、俺はフィロに背を向けてしゃがみ込んだ。
辛い。胸が潰れるように痛い。喉の奥が熱を持って、呼吸すらままならない。
涙も耐え難く、ギュッと目を瞑って、息を整えるように深呼吸を繰り返す。
「…レイモンド様にとって、酷なことをしました。申し訳ございません…」
フィロが、俺の背中にそう声を掛けた。
試着室には届かないくらい、小さな声だった。
「……」
フィロが謝ることじゃない、そう言いたいが、今、声を出したら、今にも涙が出そうだ。
背を向けたまま、ゆっくりと首を横に振った。
「どう?似合うかしら」
試着室から出たオリィの背景には、風景が浮かんでくるようで、何もかもイメージ通りだった。
「はい、大変お美しいです、お嬢様」
フィロの声は、凪のように穏やかだった。
「素晴らしい。本当に、美しいよオリィ」
オリィを見て、俺は、自分の才能に心から感謝した。
自分がデザインを人が身にまとっているのを見て、こんなに気分が高揚したことはなかった。
最高で、最低の気分だ。
「前当主様ご夫妻が今のお嬢様を見たら、とてもお喜びになるでしょうね」
「そうね、フィロ。レイ、本当にありがとう。このドレスのおかげで、エストラード家の娘として自信を持って、胸を張って伯爵家へ行けるわ」
フィロの言葉に、オリィは嬉しそうにはにかんだ。
照れたように頬を染めながら、俺にも笑いかけるその笑顔が、とても綺麗だと思った。
乗合の馬車を手配した後、俺は、いつまでもふたりの馬車を見ていた。
やがて馬車のすがたが見えなくなったころ、目の前の街の風景に焦点が合わなくなり、目を閉じた。
脱力しながら息を吐いて、深呼吸を繰り返す。
ゆっくりと目を開いて、いつもと変わらない大通りを見渡すけれど。
「すごいな、君に手が届かないと分かった途端、何もかもこんなに色褪せてしまうんだ」
まるで、夢の中にいるみたいだ。
「授爵なんてもう、どうでも良くなっちゃったなぁ……けど、生家が潰れてオリィが悲しむなんてことがないように、まだまだ目を光らせておかないとね」
「どうか、オリィを守ってくれよ。俺の自慢の子どもたち…」
もしも、いつかオリィが、困ったときには、いつでも支えられるように。
ひとまず、そういう建前を用意しなえれば、生きる気力をすべて失ってしまいそうだ。




