第6話:届かぬ身分
レイモンド視点
オレリアがハウス・アンフィトリテを訪れる、1週間前の話。
ハウス・アンフィトリテ
今や王国貴族の中で、その服飾店の名前を知らないものはいない。
デイドレスやナイトドレス、タキシードや軍服などの制服に至るまで、幅広い形式の洋服を手掛けており、貴族の紳士淑女に限らず、近ごろは王族も御用達と噂されるほどだ。
数年前、社交界の華と呼ばれた伯爵家の貴人が、王国主催の夜会で着用したドレスは、一瞬で会場の話題をさらった。
貴族男性たちだけでなく、給仕に勤しむ使用人の視線まで一心に集めるほど美しく飾られたその姿は、貴族令嬢だけでなくご婦人方からも憧れの的となり、翌日から注文は殺到した。
店を訪れた貴族曰く、気に入ったドレスが後日屋敷に届けられる際、着用する本人に似合うように小物が添えられているのだという。
あるときは御婦人の肌の色とドレスの雰囲気に合うネックレス、またあるときは、令嬢の瞳の色とドレスの雰囲気に合わせたハイヒール、といったように、ドレスを着用した本人が最も際立つような一品が添えられており、一度注文した顧客は必ずリピートしたくなると口にする。
噂が噂を呼び、この数年で王族だけでなく王国の辺境まで風の噂は流れていき、ハウス・アンフィトリテは今や、飛ぶ鳥を落とす勢いの人気店だ。
「相変わらず、君の店の仕立ては素晴らしいな。これで、来月に控える夜会にも差し支えないだろう、助かったよ」
「ありがとうございます。殿下にお褒めの言葉をいただけて光栄に存じます。」
レイモンド・アンフィトリテは、王国の若き太陽であるテオドリック・ゲオルギウスに呼び出され、王都にある王太子の離宮を訪れていた。
王族由来のしがらみや謀略を嫌う王太子は、語り継がれるようになった夜会の直後から、身に纏う洋服の仕立て先として、また、他の王族や軍部と関わりがない外部の情報の仕入先として、毎月のようにハウス・アンフィトリテを重用している。
今回は、来月の王宮主催の夜会用に衣装一式、フィッティングを兼ねての打ち合わせだ。
「必要な準備は終わったことだし、この後は、新作のデイドレスをいくつか見せてもらえるかい?気に入ったものがあれば婚約者への贈り物にしたいし、何より、芸術品のような流行の品を目にするのは楽しいからね」
「承知いたしました。すぐに準備いたしますので、お掛けになってお待ちください。」
レイモンドは恭しく頭を下げ、連れてきた従業員に指示して、隣の控室に用意していたトルソーを部屋に運び入れた。
その間、執事が淹れ直した紅茶を優雅に飲んでいた王太子は、一列に並べられた色とりどりのドレスを見て、目を瞠った。
「これはまた、一段と美しいドレスを仕立てたなぁ。君の店は紳士服や軍服、使用人用の制服も機能性に至るまで素晴らしいが、とりわけドレスは別格の出来栄えだ。」
ソファから立ち上がり、王太子は揚々と、トルソーに着せられたドレスへ近づいていった。
「最近では、女性に喜ばれる贈り物はハウス・アンフィトリテのドレスだと言われているそうだが、これを見れば異論はない。自分の大切な人が、これを着た姿をひと目見たくなるのだろうね。私も、ただの男だな。」
そう言って、肩をすくめて見せる王太子の素の表情は、婚約者を思い浮かべているのだろう。
王族の風格を漂わせる、いつもの凛とした表情ではなく、柔和で穏やかな微笑みだ。
「では今日は、一番左の桃色のと、その隣のレモンイエロー、それから、このブルーのドレスをいただこう。」
「申し訳ございません、殿下。こちらのブルーのドレスは、非売品の参考作品でございまして、あいにく販売用には誂えておりません。よろしければ、同じ生地で婚約者のご令嬢に似合うドレスをデザインしてご用意いたしますが、いかがでしょう?」
王太子は思案を巡らせるように、探るような目線でレイモンドを見た。
それというのも、並べた商品の購入をレイモンドが断ったのは、今回が初めてのことだったのだ。
「そうか。気に入ったから残念だけど、彼女専用にデザインされたドレスというのもなかなか得難い提案だ。来月の夜会までに間に合うかい?言い値で構わないよ。」
「承知いたしました。先ほどご試着いただいた殿下の衣装とニュアンスを揃えて、早急に制作いたします。」
感情の機微を読み取らせない表情のままで、レイモンドは、王太子と会話を続けた。
王太子はその間ずっと、僅かな隙も逃すまいというようにレイモンドを見遣っている。
「ところで、デザイナー殿の好物は何かな。これほど素晴らしいドレスを次々生み出す天才は、なかなか現れないからね。ぜひ一度、食事がてら話を聞かせてほしいんだが」
ハウス・アンフィトリテに突然現れた、若き天才デザイナー。
実は、王国中で最も注目を集めるその人物は、これまで表舞台に姿を見せたことがない。
創作に影響しないよう、社交界にも店にも顔を出さない職人気質との噂だが、生み出す作品の繊細さ、その芸術性の素晴らしさから、彼本人の風貌についても様々な憶測が囁かれていた。
女性向けのドレスデザインを得意とすることから、中性的な顔立ちで線の細い少年なのではないか。
次々と作品を生み出す情熱を持ち続けながら、貴族令嬢からのお茶会の誘いも断ることから、一途で硬派な青年なのではないか。
ミステリアスな彼の人気は、貴族令嬢たちの間でもうなぎ登りなのだ。
「彼の好物ですか。普段そういった会話はしないのでわかりかねますが、半年先までオーダー予約で予定が埋まっております。しばらくはアトリエで制作漬けの生活を送っておりますので、落ち着きましたら、ぜひ。」
できるだけ角がたたないよう、レイモンドはやんわりと王太子の誘いを断った。
「そうか。では、楽しみは先に取っておくことにしよう。これほど美しいドレスが、一体誰のために作られたものなのか。彼のミューズについて、ぜひ詳しい話をきかせてほしいからね。」
すべて見透かすような王太子の視線にも、レイモンドは怯まない。
レイモンドには、叶えたい夢があった。
幼い頃からの夢を叶えるまで、あと少しのところまで来ている。
そう思っていた。
このときは、まだ。
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