第4話:若きデザイナーの祈り
「お嬢様は明日、伯爵様とご結婚なさるためにシルビオ伯爵領へ向かわれます。」
老侍女フィロが静かに放った言葉に、思いのほか動揺してしまった。
「え、明日って…それはまた、急な話だね。」
幼馴染のレイモンド・アンフィトリテは、言葉を詰まらせて絞り出すように呟いた。
「私も、昨日知ったの…まだ実感も湧いていないわ」
レイモンドの言葉に涙をこらえたけれど、動悸が激しくなって、胸がひどく痛む。返す言葉がうまく出てこない。
両親を亡くし、由緒ある子爵家後継者としての未来が失われた日から、子爵家の実権を握った伯父様にとって都合の良い政略結婚に利用するしか価値がないと言われ続けてきた。
自分の未来は覚悟してきたはずなのに。
こんなにも胸が痛むのは、幼い頃にレイモンドと交わした約束を覚えているからかしら。
ただの幼馴染だと自分に言い聞かせていたけれど、レイモンドには伯爵家に嫁ぐことを知られたくなかった。
今の今になって、遅すぎるけれど、私はレイモンドへの想いをはっきり自覚してしまった。
「子爵家からは、前当主の形見や嫁入り道具など一切を持ち出すことを禁じられました。せめて私だけでも侍女として付き従っていけるよう、当主様へお願いいたしましたが、それも取り合っていただくことが叶わず。ですので、デザインも評判が良く子爵家の織物を重用してくださるこの『ハウス・アンフィトリテ』で、お嬢様に晴れ着をお贈りしたいのです。」
伏し目がちに、重い口ぶりで、フィロはそう言ってくれた。
淑女として最低限の身だしなみを整えられるように、きちんとした洋服を用意するため、帝国一の商会と名高いアンフィトリテ家の長男レイモンドが経営する流行りのお店に連れてきてくれたのだった。
「ありがとう、フィロ。気持ちだけでも、とっても嬉しいわ」
「お嬢様・・・。先代当主様が亡くなられてから今日まで、理不尽なことばかりでしたでしょう。私と同じお仕着せを着せられて参りましたが、本来のお嬢様は、由緒あるエストラード子爵家の正当な後継者でいらっしゃいます。」
私の両親がエストラード子爵家当主だった、私が子供の頃から、ずっと私の侍女として傍にいてくれたフィロ。
まるで本当の家族のようにあたたかく接してくれて、今日まで私を支えてくれた人。
両親を亡くし、お下がりの侍女服を着て子爵家の使用人然として過ごしてきた私が、新品のお洋服を身につけられるとは思ってもみなかった。何年ぶりだろうか。
けれど、伯父様が子爵家の領地運営、経営に関わるようになってから、子爵家の財政は傾く一方だという噂は、私の耳にも入っている。
王都で開かれる様々な夜会に、毎晩のように夫婦揃って参加しては、新しいタキシードやドレスを披露しているようだ。
子爵家に仕える者は、私の前で決して口には出さないけれど、その予算がどこから出ているのか。
逼迫する財政状況の中で、どういう予算が削られて、伯父様夫婦の散財に充てられているのか。
領地運営や経営に関して、後継者としての権利や実権は奪われてしまったけれど、執務に関わっていなくても、想像できてしまう。
王都のタウンハウスや領地の子爵邸に使える使用人たち、領地で家業を支えてくれている職人たちの給金は、決して多くないだろう。
フィロには、自分の老後のためにお金を使ってほしいと思う。
気持ちは嬉しいが、どうしても洋服選びを楽しめる状況ではなかった。
「じゃあ今日は、俺にプレゼントさせてよ。」
私の心情を察したのか、待ってましたと言わんばかりにレイモンドはパッと顔を輝かせた。
「レイも、ありがとう。本当に嬉しいわ。けれど今の私には、お返しできるものがないのよ。上等な洋服をいただくのは申し訳ないわ。ふたりの気持ちだけ受け取らせてね」
「ハウス・アンフィトリテの洋服を、オリィが着てくれるだけで立派な広告塔だよ!だから、お返しって言うなら、プレゼントした洋服を沢山着て、伯爵領で沢山お店を宣伝してくれたら嬉しい。どうかな?」
ニコニコと人好きのする表情で、レイモンドの瞳からは、断られても絶対に譲らないという強い意志を感じる。
洋服や小物など、美しいものやお洒落な服飾をデザインするのが大好きなレイモンドは、幼い頃には私を着せ替え人形にして、瞳をキラキラ輝かせていた。
彼の実家の商会で仕入れた、当時流行していた品物を抱えて、レイモンドはよく子爵家へ遊びに来てくれた。
大型犬だったら、今も、彼の尻尾はブンブンと左右に揺れていることだろう。
次にレイモンドに会えるのも、いつになるかわからない。
もしかしたら、好きな人から贈り物を受け取れるのは、これで最初で最後になるかもしれない。
「じゃぁ、1着だけいただくわ。ありがとう、レイ。」
喜色満面、感無量といった様子のレイモンドは、軽快に手を叩いて湿っぽい空気を切り替えた。
ひと目見ただけでわかる、エストラード家で生産された上質なベルベット生地を贅沢に使った、優雅でゆったりしたデザインのカーテンの向こう側、たくさんの衣装が保管されたクローゼットから、次々と洋服を着たトルソーが運ばれてくる。
その数やデザイン、彩りのバリエーションの多さにびっくりしていると、レイモンドはズラッと並んだ洋服の端に立って、キラキラと瞳を輝かせた。
「せっかくだから、オリィの魅力を最大限に引き出す、とびっきりのドレスを贈りたい!でも、どれにしようか本当に迷っちゃうなぁ〜!」
レイモンドは、商魂なのかオタク魂か、火がついたように語りだす。
「まず、このドレス!俺の領地の海を思わせるような、淡いエメラルドグリーンが綺麗でしょ?装飾も派手すぎないし、この形ならデコルテも綺麗に見えて、背中の露出度も高くないし、オリィのプラチナブロンドの髪色にも良く合うと思うんだ!」
「とても素晴らしいドレスだわ。」
「それから、こっちも見てよ!オリィの瞳のトパーズアンバーを思わせる、この温かい色味!色んな場面で着やすいし、このデザインなら着回しのしやすさも抜群だよ。小物でアレンジもしやすくて、オリィの落ち着いた雰囲気がより引き立つようなドレスでしょ?」
「そうね、これも私の好みだわ。」
「あとはこれ!これは、星が輝く夏の空と夜の静かな海が混ざり合うような素晴らしい深い青のグラデーションになってて、シックでエレガントで、俺のイチオシなんだ!同じイメージでデザインされたワンピースもあって、こっちもドレスと一緒で全体的にはシンプルだけど、洗練されてて美しくて最高じゃない?」
「素敵だわ。」
矢継ぎ早に紹介してくれるレイモンドは、1着だけの約束をすっかり忘れたかのようだ。
けれど、彼がおすすめしてくれる洋服は、どれも私の好みばかりだった。
次の洋服の前で、レイモンドの動きがピタッと止まった。
止まらないドレス愛を語る言葉も、聞こえなくなった。
どんなドレスなのかしら、と気になって、レイモンドの背中越しに洋服を見た私は、呼吸も忘れてその洋服から目が離せなくなってしまった。
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