No.6 導かれた道
ユウはかつて小さな学習塾を経営していた。
幼稚園児から中学生まで――比較的、責任の軽い年齢の子どもたちを相手にしていた。
その中に、一風変わった少年がいた。
小学二年のときに入塾して以来、中学を卒業するまで、ほとんど休むことなく通い続けてきた子だった。
五年生になったある日のこと。
授業の終わりに、その少年は突然声をかけてきた。
「先生、話があるので、最後まで残ってもいいですか」
「いいけれど、遅くなるよ。家の人に伝えてきなさい」
やがて塾が終わり、教室に戻ってきた少年は静かに語り始めた。
「僕には五つ年上の兄がいました。とても頭が良くて、いつも大人の読むような哲学書を手にしていました。
でもある日――『私の生きる意味が分からない』と遺書を残して、死んでしまったのです。
そのとき、僕はまだ五歳で、記憶はぼんやりしています。けれど最近、
その亡くなった兄が夢に出てくるのです」
待って。待って――。
ユウは思わず耳を澄ました。
けれど不思議なことに、そこには嫌な予感はなかった。
「夢に出てくる……。どんなふうに?」
少年は少し考え込み、言葉を選ぶように答えた。
「兄は、昔と同じ服を着ています。勉強机の前に座って、本を開いているのです。
でも顔を上げると、僕にこう言います――『お前はもう見つけたか?』って」
「……何を?」
「生きる意味、です」
一瞬、教室の空気が凍った。
ユウは努めて穏やかに尋ねた。
「そのこと、ご両親には話したの?」
「はい。心配した両親は、僕をお払いに連れて行ったり、山籠もりの修行までさせたりします。」
少年はそこまで言うと、小さく肩をすくめて笑った。
「先生、不思議でしょう? でも僕は怖くない。 むしろ……兄がまだ生きているようで、
少しうれしいのです」
「生きる意味なんて、人によって違う。大人になっても、見つからない人もいる。
でも……君が兄さんからその言葉をかけられるのは、きっと君が探す力を持っているからだと思う」
少年は驚いたようにユウを見つめた。
「探す力……」
「ええ 見つけたかどうかじゃなくて、探そうとすることが大事なのだと思う」
ユウ自身、己の生きる意味をまだ見つけてはいなかった。
なぜ自分に、このような不思議な力が備わったのか。
漠然とした人の未来しかみえない現状で 助言も出来ない今、何の役に立つのだろうか。
答えはまだ見えない。
「今はあなたがやりたいことを、一生懸命やりなさい。失敗しても構わない。大人になったとき、
その努力は必ず実を結びます。――お兄さんも、きっとあなたを見守っています」ユウの言葉に、
少年はじっと耳を傾けていた。
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その瞬間、ユウの脳裏に閃光が走り、成長した少年の姿と、
彼のまわりに集う多くの人々の影が薄っすらと映った。
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少年はしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。
「先生、ありがとうございました。なんだか少し楽になりました」
その後も少年は変わることなく淡々と塾に通い、やがて無事に中学を卒業していった。
――そして、十年以上の月日が流れた。
ある日、車の故障でユウは仕方なくバスに乗った。
バス停を降りたとき、背後から明るい声が響いた。
「先生!」
振り返った瞬間、ユウはすぐに分かった。
そこに立っていたのは、立派に成長したあの少年だった。
美しい女性が隣に寄り添い、二人は仲睦まじく微笑んでいるように見えた。
ユウが思わず「彼女なの?」と尋ねると、彼女は慌てて首を振った。
「とんでもないです。先生に失礼ですよ」
そう、その少年は立派に成長し、いまや大勢の信者を抱える教祖となっていた。
泰然自若、彼がいるだけで人が集まる、安堵出来る存在だと言う。
ユウがかつて見た少年の未来そのものだった。
彼の亡くなった兄の影響があったのだろうか。
人生とは摩訶不思議なものである。




