No.20 帰り道の祝福(後編)
「三年前だったかな。突然父が訪ねてきたの。」
しばらく黙っていた智子は、小さく笑った。
「正直ね、『今さら何を』って思ったわ。
父は、自分たち母子を残して去っていったのよ。
母がどれだけ苦労したことか・・・
病気を我慢して働いていたことも、私、知っている。
だから、『困ったから娘を思い出したの?』
そんな気持ちが湧かなかったと言えば嘘になる。でもね。」
智子は静かにコーヒーを置いた。
「会ってみたら、小さくなっていた。 背中も曲がり、
昔は怖かった父が、どこにでもいる老人になっていた。
怒りは、不思議なくらい少しずつ消えていったわ。
母が生きていたら何て言ったかなって考えたの。たぶん、
『放っておきなさい。』とは言わなかった気がする。
だから近くのアパートを借り、家賃も払った。
時々は食べ物も届けたわ」
人に頼らず生きてきた智子だったが、その優しさは筋金入りだった。
「その父親が、ついこの前亡くなったの」
そう言いながら、ユウが持って来た煎餅を、智子は景気よくバリバリと頬張った。
ふいに立ち上がり「コーヒーもう一杯どう?」
空になったカップを手に、事務所の小さな台所へ向かう後ろ姿は妙に晴れやかだった。
「なんだかサッパリしたわ」
湯を沸かす音の向こうで、智子が言った。
「今度は自分のために生きようと思ってね。実は家を探してるの。小さくていいのよ。二階もいらない」
「気にかけておくわね」と言いながら、ユウが帰り支度をしていた時、
智子がふいに言った。
「生きるのがつらい時は、ここにいらっしゃい。
何もできないけど、話くらいは聞いてあげるから」
女というものは、必ずしも答えを求めているわけではない。
ただ誰かに聞いてもらうだけで、背負っている荷が軽くなることを、智子は十分すぎるほど知っていた。
ユウが靴を履いていると、智子がまた笑って言った。
「株もしてるのよ。退職金くらいにはなりそう」
そして悪戯っぽく続けた。
「教えてあげるから、いつでもいらっしゃい。 お礼はお饅頭一個でいいわよ」
ユウは思った。
――神仏は、真摯に生きてきた者を見捨てたりはしない。
夕暮れの道を歩きながら、ユウはまだ見ぬ未来の社長へ
心の中でそっと、 「おめでとう」を送った。




