No.20 帰り道の祝福(前編)
帰り道の祝福(前編)
ユウの楽しみは、自宅の庭を耕した小さな家庭菜園だった。
土づくりには殊のほか熱心で、牛糞や魚粉にも強いこだわりを持っていた。
ある日、肥料を探していたユウは、郊外に建つ小さなプレハブ事務所を見つけた。看板も色褪せ、個人経営と思われる簡素な会社だった。
対応してくれた智子とは、不思議と初対面から馬が合った。
「うちの社長、牛糞には命をかけているんです」
智子は少し呆れたように笑いながらも、誇らしげだった。
社長は、チョコレート会社からアーモンドの搾りかすを譲り受けたり、牡蠣殻を砕いて混ぜたり、独自の工夫を重ねているという。
その努力は実を結び、この会社の牛糞は「作物が甘くなる」と評判になった。
ユウは肥料を買いに行くたび、饅頭やプリン、ときには巻き寿司を手土産に持って行った。
取引の多くは大手企業相手らしく、事務所はいつ訪ねても静かだった。
そんなある日、智子がぽつりと自分の身の上話を始めた。
「両親は早くに離婚してね。母子家庭だったの。私、負けず嫌いだったから、奨学金を受けながら大学にも行ったわ」
智子はコーヒーを口に含みながら続けた。
「でも母は、苦労ばかりして早くに亡くなったの」
意外だった。
ユウはこれまで、智子に陰りのようなものを感じたことがなかった。
いつ訪ねても明るい声で、
「元気だった? お茶飲んで行って」
と迎えてくれる。
帰り際には、「一袋ずつ買って、何度でもいらっしゃいよ」といつも笑った。
その言葉に、ユウはどれほど救われてきただろう。
電話対応やパソコン操作を見ていると、もし智子が男だったなら、相当やり手の経営者になっていたかもしれない、とユウは思った。
話が途切れた時、ユウは何気なく尋ねた。
「大恋愛はなかったの?」
智子は「ハハハ」と高らかに笑った。
「もちろんあったわよ。大学時代ね」
相手は老舗旅館の一人息子だったという。
「相手のお母さんから、“女将として旅館を継ぐことが条件です”って言われたの。夏休みの間、実際に働いてみたけど、私には向いていないって分かったわ」
そう言って肩をすくめた。
「それ以来、恋愛なんてないわね。さっぱりしたものよ」
――さもありなん。
その瞬間、ユウの脳裏に、鋭い閃光が走った。
だが、ユウの見た智子の未来を、ここで語るのはやめておこう。
ただ、静かに頷いたユウの表情から、それが穏やかなものであったことだけは記しておきたい。




