No.14話 静かな告白(前編)
ユウは散歩がてら、ほぼ毎日近所のスーパーへ足を運んでいた。
通ううちに店員たちとも顔なじみになり、レジを済ませたあと、店先で立ち話をすることも
増えていった。
季節の話から始まった会話は、やがて家族のことや日々の悩みへと広がり、その中でも道子とは自然に
言葉を交わすようになっていた。
ある日の午後、道子がいつもの明るい笑顔で近づいてきた。
「私、離婚しようと思っているの」
あまりにも穏やかな口調だった。
それだけに、その言葉はユウの胸に重く落ちた。
「ねえ、お休みはいつ? うちへいらっしゃい。ゆっくり話を聞かせて」
そう声をかけると、道子は小さくうなずいた。
約束の日は思いのほか早く訪れた。
ユウは部屋を整え、コーヒーを淹れ、お茶菓子を並べた。
静かな支度をしているうちに、胸の奥に小さな緊張が広がっていく。
やがてチャイムが鳴った。
玄関に立つ道子を見た瞬間、ユウは思わず息をのんだ。
輝くラメのアイシャドウに、やわらかなピンクの口紅。仕事帰りの素朴な印象とはまるで違う、華やかな装いだった。
――今日は、この人なりの覚悟で来たのかもしれない。
そう思うと、胸が少し締めつけられた。
部屋へ通されると、道子は並べられたケーキを見て微笑んだ。
「わあ……おいしそう」 その一言を最後に、口を閉ざした。
ユウは何も尋ねず、静かにコーヒーを注いだ。
湯気が二人の間をゆっくりと漂う。
やがて道子は、カップを見つめたまま話し始めた。
「前に話したかしら……私、再婚なの」
少し間を置き、言葉を続ける。
「前の主人は借金をする人だったの。その借金は……私が全部返したの」
指先がカップの縁をなぞる。
「だから今の主人と結婚するとき、『借金だけは絶対にしない』って約束してもらったの」
そこまで話すと、声が途切れた。 「なのに……」
ユウは急かさず、そっと隣へ腰を下ろした。
「実はね、この前、督促状を見つけたの」
道子は視線を落としたまま続けた。
「いくらあるのか聞いても、何も話してくれないの。それどころか、『払えなくなったら家を売ればいい』って平気で言うのよ」
乾いた笑みが浮かんだ。
「私、どうしてこんなに人を見る目がないのかしら……」
その言葉には、自分を責め続けてきた歳月がにじんでいた。
しばらく沈黙が流れたあと、道子はためらうように続けた。
「誰にも相談できなくて……店長さんに話を聞いてもらったことがあったの」
ユウは黙って耳を傾ける。
「それを主人が知ってしまって……社長に苦情を入れたの。『既婚者と二人きりで会うなんて社員教育がなっていない。そんな店長の下では妻を働かせられない』って」
道子は力なく笑った。
「ただ話を聞いてもらっただけなのに……。申し訳なくて、恥ずかしくて……」
その結果、店長は転勤となった。
そして道子も、社長との面談を命じられた。
理由を問いただされるものと覚悟していた。
ところが社長から伝えられたのは、意外な言葉だった。
「店の売上を伸ばすアイデアを考えてきてほしい」
「何も思いつかないの」
道子は困ったように笑った。
「ねえ、何かいい考え、ないかしら」
ユウは少し考え込み、静かに口を開いた。
「ねえ、お惣菜が売れ残ったら、どうしているの?」
「ほとんど処分してしまうの」 「やっぱり……」
ユウは小さくうなずいた。
「だったら、売れ残りそうなお惣菜を少しだけ試食に出してみたらどうかしら。味を知ってもらえれば、『今夜はこれにしよう』と思う人もいるはずよ」
道子は真剣な表情で聞いている。 ユウは言葉を続けた。
「それから、この辺りは新鮮なお魚を買えるお店が少ないでしょう。朝市から仕入れられたら、
お店の目玉になるかもしれないわ。
近所の農家さんから直接野菜を仕入れるのもいいわね。週に一度でも『地元野菜の日』があったら、
楽しみに来るお客さんも増えると思うの」
思いつくまま話しているうちに、道子は夢中でメモを取り始めた。
「すごい……。でも、私にできるかしら」
「全部できなくてもいいの。ひとつでも伝われば十分よ」 ユウは微笑んだ。
「それと、高齢の方のために、有料でも配達を始めたら喜ばれるかもしれないわ」
人手は必要になる。
それでも、その店ならではの温かさが生まれるような気がした。
道子はメモ帳を閉じ、大きく息をついた。
「ありがとう。何だか……少し前を向けそう」
その笑顔は、家に入ってきたときよりも、ずっと穏やかだった。
数日後。
スーパーへ入ると、道子が小走りで駆け寄ってきた。 「聞いて!」
その顔は、はじけるような笑顔だった。
「社長との面談が終わったの」 息を弾ませながら続ける。
「『あなたをチーフにします。これからは店づくりに力を貸してください』って言われたの」
目には涙が浮かんでいた。
「ユウさんのおかげ。本当にありがとう」
その言葉を聞いたユウも、胸の奥が温かくなった。
人は、苦しみの中にいても、誰かに話を聞いてもらうだけで、
もう一度前を向く力を取り戻せることがある。
その日の帰り道、ユウは夕暮れに染まるスーパーを振り返った。
道子の新しい一歩が、あの灯りの中から始まろうとしていた。




