No.14話 静かな告白(後編)
それから一年が過ぎた。
道子は今でも折に触れてユウの家を訪ねている。
ある日、玄関に立つその姿は、以前とは違って見えた。
肩を落とし、どこか力を失ったような表情だった。
居間の席に着くなり、小さく息をついて言った。
「主人が……末期のがんだって」
静かな声だった。
「余命は三か月と言われたの」
その言葉だけで、部屋の空気が変わった。
道子は膝の上で両手を固く握りしめていた。
「借金のことも、離婚のことも……何一つ片付いていないの。でも、もうそれどころじゃなくなってしまった」
涙は見せなかった。
けれど、その声には、どうにもならない現実を受け止めようとする苦しさが滲んでいた。
ユウはしばらく黙っていた。
どんな慰めの言葉も、今は軽く聞こえてしまう気がしたからだった。
やがて静かに口を開いた。
「思い残すことがないように……できるだけ、そばにいてあげて」
それ以上の言葉は見つからなかった。
人はいつか必ず、この世を去る。
だからこそ、残された時間をどう生きるかが大切なのだと、ユウは思っていた。
それから月日が流れた。
余命三か月と告げられた道子の夫は、その時を越えた。
抗がん剤の副作用で髪はすっかり抜け落ち、一時退院したその日。
家族は、沈んだ空気で迎えることはしなかった。
顔を見た息子が、声を上げて笑った。
「ァハハハ、お父さん、よく似合うよ」
その一言に、部屋中が笑いに包まれた。
「僕のアルバイト代で帽子を買おうよ」
そう言って父親の手を取り、二人は連れ立って家を出て行った。
しばらくして帰ってきた夫の頭には、上質な帽子が載っていた。
照れくさそうに笑う夫を見て、道子も思わず笑みをこぼした。
その光景を浮かべながら、ユウは静かに思った。
あの子は、もう「前の夫の子」ではない。
父と子は、いつの間にか本当の親子になっていた。
家族とは、血のつながりだけで生まれるものではない。
悲しみをともに抱え、笑顔を分け合う日々の中で、少しずつ育っていくものなのだ。
三年が過ぎた今も、道子の夫は生きている。
あの日、離婚を決意していた道子は、今日も夫の隣で穏やかに笑っている。
人生は、思い描いたとおりには進まない。
けれど、だからこそ人は、思いがけない幸せに出会うことがある。
ユウは窓から差し込む午後の陽ざしを見つめながら、静かに微笑んだ。




