No.13 初雪の朝に(前編)
雨戸を開けると、一面真っ白だった。初雪――。
音もなく降り積もる雪は、庭も畑も遠くの山並みまでも、静かに白く包み込んでいた。
今日は一日、ゆっくり過ごそう。
ユウは、いつもより少し濃い目にコーヒーを淹れ、窓辺の椅子に腰を下ろした。
理由はない。ただ、胸の奥がひどく静かで、どこか心さみしかった。
降り続く雪を眺めているうちに、亡き母の面影が、ふと心に浮かんだ。
ユウの母は聡明な人だった。
その賢さは、幼いユウにとって「叱られない安心」として記憶に残っている。
夢枕に観音様が現れるほど信心深く、感情に任せて声を荒らげることもない、物静かで優しい人だった。
女学校を卒業すると小学校の教師となり、低学年を受け持っていた。
しかし、結婚を機に教壇を離れた。
母は、その頃の教え子の中に、忘れられない一人の少年がいたと、折に触れて語っていた。
何事にも臆することなく手を挙げ、自然と周囲をまとめてしまう子だった。
まだ幼いのに、人から任されることを恐れない。
不思議なほど芯の強い少年だったという。
ある日の放課後、誰もいなくなった教室へ、その少年が突然やって来た。
「先生、僕の家は貧乏です」 前触れもなく、そう切り出した。
「勉強したいのに……残念で仕方ありません。
明日、親の都合で引っ越すことになりました。
これから学校へ通えるかどうかも分かりません。
丁稚奉公に出されるかもしれません。 悔しいのです。僕は、どうしたらいいでしょうか」
言葉は途切れがちだった。
それでも視線だけは一度も逸らさず、悔しさをいっぱいにたたえた瞳で、
まっすぐ母を見上げていたという。
「あの子の目が、どうしても忘れられないの」
母はそう言って、しばらく黙り込んだ。
やがて静かに口を開いた。
「誰にも、生涯自分を助けてくれる人が、必ず三人は現れます。
その大切な三人を見逃さないよう、自分を鍛えなさい。
学校だけが学ぶ場所ではありません。
たとえ学歴がなくても、立派になることはできます。
学のある人を雇えるほどになればいいのです。
そのためには、どんな時でも精一杯努力すること。 必ず、いいことがあります。
頑張りなさい」
母は、それ以上は語らなかった。
その言葉が少年をどこへ導いたのか、母にも分からなかったのだろう。
それでも、「三人の大切な人」という言葉だけは、いつまでもユウの胸に残り続けた。
雪は、静かに降り続いていた。




