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『「君の役目は妹で足りる」と婚約破棄されたので辺境へ去りましたが、滅びかけた王国より先に私の領地が大陸最強になっていました』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第177話 旧白蔦流通路

 白蔦会を追うのではない。


 白蔦会の名が走った道を追う。


 その言葉は、翌朝の帳場にもまだ残っていた。


 ルイスは壁に貼られた仮照合図を見上げていた。


 王都。

 南の村。

 北方古道。

 森沿いの旧荷道。

 廃れた小さな渡し場。

 旧物流組合の中継地。


 どれも、今すぐ誰かを捕まえられる線ではない。


 けれど、通称レオンの下宿に残されていた略図が、そこを指している。


 それだけで、帳場の空気は変わった。


 白蔦会。


 その名が出るたびに、これまでは誰もが身構えた。


 けれど今、レティシアはその名を正面から扱わなかった。


 扱うのは、道。


 古い流通路。

 かつて荷が通った可能性のある、今は廃れた線。


 ガレスは図の前で腕を組み、難しい顔をしていた。


「道って、残るんですね」


 ヨハンが隣で言う。


「道はしつこいぞ。荷車が通らなくなっても、人の足が通る。人が通らなくなっても、獣が通る。獣が通ると、また人が“ここ歩けるな”って思う」


「怖いですね」


「便利でもある」


 豆売りの女主人が豆袋を置きながら口を挟んだ。


「便利だったから残るんだよ。怖いだけの道なら、とっくに草に食われてる」


 ルイスは、その言葉を内部控えに入れようとして手を止めた。


 レティシアが見ている。


「内部控えに」


「はい」


 ルイスは少しだけ嬉しそうに書いた。


 便利だった道は、使われなくなっても消えにくい。


 今日の表題は、すでに決まっていた。


 旧白蔦流通路に関する通行可能性確認


 長い。


 けれど、短くはできない。


 白蔦会調査と書けば、町も王都も勝手に走る。

 旧流通路確認だけでは、なぜ確認するのかが抜ける。

 だから、この長さでいくしかなかった。


 朝一番で届いたのは、王立書庫からの写しだった。


 ロイエンが封を持って入ってきた時、少し疲れた顔をしていた。


「王立書庫は、こちらが“白蔦会”ではなく“旧白蔦流通路”と照会したことを評価しています」


 豆売りの女主人が鼻を鳴らす。


「書庫の人間も札好きかい」


「書庫は、むしろ札の本家かもしれません」


 ロイエンは封を置く。


「ただし、資料は古いです。今も通れるとは限りません」


 ルイスが封印確認を終え、読み上げを始めた。


 王立書庫資料によれば、旧白蔦流通路と呼ばれるものは、最初から犯罪組織の道ではなかった。


 もとは旧物流組合が、雪や増水で主要街道が使えない時に使っていた補助路。

 山裾を回り、南の村近くをかすめ、北方の森沿いを抜ける。

 途中に小さな渡し場があり、さらに古い倉庫跡が二つある。


 その後、物流組合の一部が不正な荷を流したとされ、白蔦会の噂と結びついた。


 つまり、道が先で、噂は後だった。


 ルイスは読み終えて、ゆっくり紙を置いた。


「道が先……」


 ガレスが呟く。


「白蔦会のための道じゃなかったんですね」


 ロイエンが頷いた。


「少なくとも資料上は。補助路としての記録が先にあります」


 クラウス・ベルガーが、図の前に立った。


「商人なら、こういう道は知りたがります。正式な街道が止まった時、荷を止めないために」


 ディルクが低く問う。


「今も使うのか」


「普通の商会は使いません。記録に残しにくい道は、今の大きな商会ほど嫌います」


 豆売りの女主人がすぐに言う。


「嫌います、ね。使いません、じゃないんだ」


 クラウスは女主人を見て、少しだけ苦笑した。


「はい。嫌います。使わないとは言い切れません」


 ルイスが書く。


 旧白蔦流通路は、もとは旧物流組合の補助路。白蔦会専用路ではない。現在、大商会は通常使用を避けるが、使用不能とは断定しない。


 レティシアは、通称レオンの略図と王立書庫の写しを並べた。


 重なる地名が三つある。


 南の村北口。

 小鹿渡し。

 灰松倉庫跡。


 ただし、通称レオンの紙片には、正式地名ではなく略称が使われていた。


 南北口

 鹿渡

 灰倉


 土地の者か、古い荷運びに慣れた者なら使いそうな略称だ。


 ヨハンはそれを見て首をひねった。


「この略し方、荷運びっぽいですね」


「わかるの?」


 ガレスが聞く。


「全部を言うと長い場所は、現場だと縮めるんだよ。小鹿渡しを鹿渡。灰松倉庫跡を灰倉。言いやすい」


「じゃあ、レオンは荷運びの人?」


「そこまでは言えない。誰かから聞いて書いた可能性もある」


 ヨハンは言ってから、少し笑った。


「俺もだいぶ慎重になったな」


 豆売りの女主人が満足げに頷く。


「成長したねえ」


 レティシアは、そこへ新しい札を置かせた。


 略称を知ることは、道を通ったことを意味しない。


 ルイスが書きながら、少しだけ息を吐く。


「今日は道関係の札が多いですね」


「道は人を急がせますから」


 レティシアは答えた。


「急がせるものには札をつけます」


 昼前、南の村から村長の返答が届いた。


 王立書庫の写しよりも、ある意味では重要だった。


 資料にある古い道が、今も実際に通れるかどうか。


 村長の返答は慎重だった。


 南の村北口から小鹿渡しへ向かう古道は、村人の一部が山菜採りで使用。荷車通行は困難。徒歩なら可能。雨天後はぬかるみ多し。小鹿渡しは正式な渡しではなく、浅瀬と古い木杭跡。春先は水量次第。灰松倉庫跡は、十年以上前に屋根が落ち、現在は壁の一部のみ。


 ヨハンが地図を覗き込んだ。


「荷車は無理ですね。少なくとも普通の荷車は」


 ディルクが問う。


「小箱なら」


「徒歩で運べます。鍵とか紙片なら余裕です」


 ガレスが嫌そうな顔をした。


「また、荷車本体と中身の道が違う話ですね」


「そうだな」


 ヨハンは頷いた。


「大きな荷は無理。でも、小さな物なら動く」


 ルイスが記録する。


 南の村北口〜小鹿渡し古道。荷車通行困難。徒歩可能。小物運搬可能性あり。未申告荷車本体経路とは考えにくいが、小箱・鍵・紙片等の移動路候補。


 クラウスが壁の図に指を置いた。


「通称レオンがこの道を使ったとすれば、荷車ではなく本人の移動、または小物の移動です」


 ロイエンが続ける。


「所在不明後の移動路としても候補になります」


 レティシアは頷いた。


「ただし、通ったとはまだ言いません」


 ガレスが先に口を開いた。


「通行可能性です」


「ええ」


 その時、豆売りの女主人がふと顔を上げた。


「小鹿渡しって、今は誰が見るんだい」


 ルイスが資料を確認する。


「正式管理者はいません。南の村と北方の境に近い浅瀬です」


「じゃあ、誰も見てない道だ」


 ディルクの表情が険しくなる。


「見ていない道」


 レティシアはすぐに言った。


「見ていない道を、見ていないと記録します」


 ルイスが書く。


 小鹿渡し、正式管理者なし。常時監視なし。通行記録なし。見ていない道。


 ヨハンが低く言う。


「この表現、怖いですね」


「でも正しい」


 豆売りの女主人が言った。


「見てないのに、通ってないと思い込む方が怖い」


 午後、旧白蔦流通路の仮照合図は三色の線に分けられた。


 第一の線は、資料上の旧道。

 第二の線は、現在も徒歩通行可能な道。

 第三の線は、通称レオンの略図に描かれた道。


 重なる場所はある。


 だが、完全には一致しない。


 通称レオンの略図は、王立書庫資料より少し短い。

 小鹿渡しから先、灰松倉庫跡へ向かう途中で、森沿いの細道へ折れている。


 そこは資料には薄くしか出ていない。


 ロイエンが言った。


「王立書庫の古い資料では、この分岐は“冬季木材道”とあります。荷の主路ではありません」


 クラウスが眉を寄せる。


「冬季木材道……木材を雪の上で引く道ですか」


「そのようです」


 ヨハンが地図を見て唸った。


「冬に使う道を、今使えるかは怪しいですね。雪があるから通れた場所ってありますから」


 ガレスが驚く。


「雪がある方が通りやすい道なんてあるんですか」


「ある。泥や石を雪が埋めてくれる。逆に雪がないと引っかかる」


 ルイスが書く。


 通称レオン略図の分岐、王立書庫資料では冬季木材道。現在季節での通行可能性未確認。雪道前提の可能性。


 レティシアは地図をじっと見た。


「ここを見たいですね」


 ディルクがすぐに答える。


「斥候を出す」


「少人数で。調査ではなく、通行可能性確認です」


「わかっている」


「白蔦会調査とは言わない」


「言わない」


 このやり取りに、ヨハンが小さく笑った。


「もう先に答えてますね」


 ディルクは不満そうに眉を寄せた。


「言われる前に覚えただけだ」


 豆売りの女主人がにやりとする。


「いいことじゃないか」


 斥候は二名。


 北方の地理に詳しい警備兵と、南の村出身の若い案内人。


 ヨハンも行きたがったが、荷車が通れない道であるため今回は外された。


「いや、荷車が通れないかを見るなら、荷車屋の目も……」


 ヨハンが食い下がると、ディルクが首を横に振った。


「今回は徒歩通行確認だ。お前は次だ」


「次がある前提なの嫌ですね」


「ある」


「もっと嫌ですね」


 ガレスが少し笑う。


 ヨハンは諦めたように肩を落とした。


 出発前、レティシアは斥候二名に確認した。


「見るものは、三つです。道幅。足跡。最近人が通った痕跡」


 案内人が頷く。


「はい」


「見つけても、触れない。拾わない。印をつけて戻る」


「はい」


「白蔦会の名は出さない」


 警備兵が答える。


「旧道確認として扱います」


「よろしい」


 ガレスはその様子を見ていた。


 以前なら、なぜそんなに言葉にこだわるのかと思っただろう。


 今は違う。


 言葉ひとつで、斥候が見るものまで変わる。


 白蔦会を探せと言えば、白蔦に見えるものを探してしまう。

 旧道を確認せよと言えば、道を見る。


 だから、表題が大事なのだ。


 夕方近く、斥候は戻った。


 予定より早い。


 だが、焦ってはいない。


 ルイスがすぐ記録板を取る。


 警備兵が報告した。


「南の村北口から小鹿渡しまでは徒歩通行可能。古い踏み跡あり。最近の足跡かは不明。小鹿渡しは水量浅く、渡河可能。ただし荷を持つ場合は危険あり」


 案内人が続ける。


「冬季木材道の分岐、見つかりました。草が被っていますが、完全には消えていません。人が一人通れる幅です。途中、枝が折られた跡がありました」


 場が静まった。


 ディルクが問う。


「新しいか」


「数日以内か、十日以内か……そこまでは。枯れ方が浅い枝がいくつか」


 ルイスが書く。


 冬季木材道分岐、人一人通行可能。草被りあり。枝折れ数箇所。新旧不明、比較的新しい可能性あり。断定不可。


 案内人は、さらに小さな布片を見せた。


 いや、直接渡さない。


 布片は枝に掛かったままだったため、触れずに位置を印し、写しだけ持ち帰ったという。


 布片は灰色に見えた。


 地味な外套の切れ端のようにも見える。


 ただし、それもまだ見えるだけ。


 レティシアはすぐに言った。


「明日、正式に保全します。今日は布片あり、ではなく、布片様のものを視認」


 ルイスが書く。


 冬季木材道分岐先、枝に灰色布片様のものを視認。未回収。明日立会い保全予定。衣服由来とは断定しない。


 ガレスは息を呑んだ。


「地味な外套……」


 その言葉は小さかった。


 だが、レティシアは聞き逃さなかった。


「まだです」


 ガレスは慌てて頷く。


「はい。布片様のものです」


 豆売りの女主人が、静かに言った。


「でも、道は生きてたわけだ」


 誰もすぐに答えなかった。


 そう。


 旧白蔦流通路そのものかはわからない。


 通称レオンが通ったかもわからない。


 けれど、略図にあった道は、完全には死んでいなかった。


 夜、帳場の追記に、レティシアは旧道の図を前にして口述した。


 古い道は、紙の中だけにあるのではなかった。南の村北口から小鹿渡しへ。小鹿渡しから冬季木材道へ。荷車は通れずとも、人は通れる。大きな荷は運べずとも、小箱や鍵や紙なら運べる。白蔦会を見つけたのではない。道を見つけた。道は組織ではない。だが、組織が消えた後も、道は残ることがある。明日は、枝に掛かった灰色の布片様のものを確認する。外套と決めず、証拠と呼ばず、まずそこにあるものとして見る。


 ルイスは筆を置いた。


 白蔦会の名は、まだ答えではない。


 けれど、道はあった。


 そして、その道の枝に、灰色の何かが掛かっている。


 通称レオンの影は、少しだけ森の方へ進んだように見えた。

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