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『「君の役目は妹で足りる」と婚約破棄されたので辺境へ去りましたが、滅びかけた王国より先に私の領地が大陸最強になっていました』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第176話 消えたレオン

通称レオンは、消えた。


 そう書けば簡単だった。


 けれど、帳場の紙にはそう書かれなかった。


 ルイスが朝一番に貼った札には、こうある。


 通称レオン所在不明。逃走とは断定しない。


 豆売りの女主人はそれを読んで、深く頷いた。


「いいね。消えた、って書くと怪談になる。逃げた、って書くと犯人になる」


 ヨハンが隣で苦い顔をする。


「所在不明、だと?」


「探す相手になる」


「……なるほど」


 ガレスは壁の移動可能性表を見つめていた。


 王都南区。

 王都外郭マーロ店。

 王都南門馬車宿。

 北方町内鍛冶場。

 南の村。

 灰鷹副支配人屋敷。


 通称レオンらしき人物は、いくつもの場所に影を残していた。


 けれど今、その本人はどこにもいない。


 空白が、急に黒く見えた。


「逃げたって、思いたくなりますね」


 ガレスが言うと、レティシアは静かに答えた。


「思うことは止められません。書くことは止められます」


「はい」


「そして、書かないことで探し方が変わります。逃走者として追うのか、所在不明者として探すのかでは、見る場所が違う」


 クラウス・ベルガーも頷いた。


「逃げた者なら、追手を避ける道を使います。消された者なら、最後に誰と会ったかを見る。隠された者なら、誰が隠す得をするかを見る。最初から偽名だけの人物なら、名簿ではなく宿帳と支払いを見ます」


 豆売りの女主人が腕を組んだ。


「商人らしく嫌な分類だねえ」


「今回は必要です」


「わかってるよ」


 ルイスは新しい紙を出した。


 表題は、


 通称レオン所在不明に関する足取り確認


 その下に、レティシアが口述する。


「まず、最後に確認された場所」


 ロイエンが王都からの第一報を見ながら答えた。


「灰鷹副支配人の屋敷周辺。昨日の夕刻以降、姿なし。ただし、王都側の時刻です」


「次に、下宿」


「戻っていないとの情報あり。宿帳確認中」


「王都南門馬車宿」


「小箱発送時の記録あり。ただし、それ以前の宿泊記録は未確認」


「北方町内鍛冶場」


 ボルツが腕を組んで答えた。


「うちに来たのは取引日前だ。仕事を頼んで、夕方前には帰った」


「どちらへ向かったかは?」


「見てねえ。忙しかったしな」


 ルイスが書く。


 ボルツ証言:依頼後の移動方向不明。見ていない。


 ボルツはその文字を見て、少し不満そうに言った。


「見てないって書かれると、俺がサボってたみたいだな」


 豆売りの女主人が即座に返す。


「見たふりされるより百倍いいよ」


「そりゃそうだが」


 ガレスが小さく笑った。


 笑いはすぐ消えたが、その一瞬で帳場の空気が少しだけ呼吸した。


 昼前、王都から次の報告が届いた。


 レムスの筆跡だった。


 通称レオン下宿確認第一報。

 王都南区の安宿に、レオン名で半月ほど出入りしていた若い男あり。宿泊費は数日分ずつ前払い。荷は少なく、革鞄一つ。昨日夕刻以降、戻らず。部屋には私物少量。灰鷹商会正式書類なし。


 ルイスが読み終えると、ディルクが言った。


「部屋の私物は」


「王都側が保全中です。内容物はまだ」


 ロイエンが答える。


 クラウスは眉を寄せた。


「半月。短いが、短すぎるわけでもない。仕事のために用意した仮の滞在先としては自然です」


 ガレスが聞く。


「じゃあ、最初から逃げるつもりだったんでしょうか」


 レティシアは首を横に振った。


「それもまだです。仕事が終わったら移る予定だったのか、急に戻れなくなったのか、誰かが戻らせなかったのか。どれもあります」


 ルイスは候補を並べた。


 レオン下宿未帰還理由候補。

 一、本人が離脱。

 二、誰かに隠された。

 三、危険を察して逃げた。

 四、別任務で移動。

 五、最初から仮宿として使用。

 未確認。


 ヨハンが壁を見て、ぽつりと言った。


「候補が多い時って、怖いですね」


「少ない時も怖いよ」


 豆売りの女主人が言う。


「少ないと、人はその中から犯人を作るからね」


 そこへ、南の村からも報告が入った。


 村長印のある封書だった。


 小箱の件ではない。


 通称レオンらしき人物の足取りに関する照会への返答だった。


 ルイスは読み上げる。


「南の村馬車宿。小箱を運んだ定期便御者への直接聞き取り実施。御者は王都南門馬車宿で預け主本人を見たと証言。若い男。地味な外套。手袋。良い靴。薄い香油様。名はレオンと聞いた。小箱を渡す際、“北方は面倒でしょうから、札をなくさないように”に類する発言あり。ただし正確な文言は不明」


 ガレスが低く言った。


「やっぱり……」


 レティシアが見る。


 ガレスはすぐに言い直す。


「線が濃くなりました。でも、まだ同一人物とは断定しません」


「ええ」


 ルイスが記録する。


 定期便御者直接証言により、王都南門小箱預け主の特徴がマーロ・ボルツ証言と類似。名はレオンと聞いた。発言内容も北方帳場の面倒さに触れる。ただし同一人物特定は未了。


 クラウスは壁の移動可能性表へ近づいた。


「少なくとも、小箱発送者は“レオン名使用者”としてかなり重くなりました」


「はい」


 ロイエンが頷く。


「王都南門馬車宿、定期便御者、南の村馬車宿。三点で同じ荷がつながった」


 レティシアは線を引き直させた。


 レオン名使用者 → 王都南門小箱発送 → 南の村小箱


 この線は、薄い実線から実線へ。


 ただし、その上に札をつける。


 レオン名は本名とは限らない。


 ヨハンが、少しだけ息を吐いた。


「ようやく一本、実線ですか」


「荷の線です」


 レティシアは答えた。


「人の線ではありません」


「はい。荷の線」


 ヨハンは自分に言い聞かせるように繰り返した。


 午後、王都からさらに報告が重なった。


 通称レオンが使っていた下宿の部屋についてである。


 フェルナー監査官らしい、淡々とした所見が添えられていた。


 部屋に残されていたもの。


 替えの襟布。

 安物の筆。

 古い王都南区の地図。

 香油の小瓶。

 空の革袋。

 そして、小さく折られた道案内の紙片。


 その紙片に、北方方面の古道が記されていた。


 ルイスはそこで読む声を止めた。


 部屋に、沈黙が落ちる。


 ディルクが問う。


「古道?」


 ルイスは続きを読む。


「王都南区から北方へ向かう一般馬車道ではなく、途中で南の村方面を経由し、さらに北の森沿いへ抜ける古道の略図。紙片には地名略称のみ。うち一部が、旧白蔦流通路に関する王立書庫資料の記載地名と一致する可能性あり。王都側確認中」


 白蔦。


 その名がまた、戻ってきた。


 だが、今度は白蔦会そのものではない。


 流通路。


 道である。


 豆売りの女主人が、低く言った。


「とうとう、道が出てきたね」


 クラウスの表情も変わっていた。


「旧白蔦流通路……商人の古い噂では聞いたことがあります。密輸路というより、旧物流組合が使っていた裏道の一部だと」


 ロイエンが頷く。


「王立書庫資料にもありました。白蔦会と呼ばれる前から存在した、古い荷の道です」


 ガレスが恐る恐る言う。


「白蔦会を追うことになるんですか」


 レティシアは、すぐには答えなかった。


 壁の図を見る。


 白蔦状類似印。

 灰鷹状類似印。

 第三鍵類似加工鍵。

 通称レオン。

 小箱。

 古道。

 旧白蔦流通路。


 これまで、白蔦会という名に飛びつかないために、ずっと線を分けてきた。


 ここで飛びつけば、すべてが戻ってしまう。


 レティシアは静かに言った。


「白蔦会を追うのではありません」


 全員が彼女を見る。


「白蔦会の名が走った道を追います」


 ルイスは、その言葉をすぐには書けなかった。


 少し遅れて、筆を動かす。


 白蔦会を追うのではない。白蔦会の名が走った道を追う。


 豆売りの女主人が、小さく息を吐いた。


「いいね。怖いけど、いい」


 ディルクが問う。


「次の調査対象は」


 レティシアは答えた。


「旧白蔦流通路。あくまで、道です。組織ではなく、道。噂ではなく、通行可能性」


 ルイスが新しい表題を書いた。


 旧白蔦流通路に関する通行可能性確認


 ヨハンが苦い顔をする。


「また長い」


「短くすると危険です」


 ルイスとガレスが同時に言った。


 二人は顔を見合わせた。


 豆売りの女主人が笑う。


「揃ったねえ」


 ほんの少しだけ笑いが起きた。


 だが、すぐに帳場は現実へ戻る。


 旧白蔦流通路。


 その名が出た以上、町へ出す情報は慎重にしなければならない。


 白蔦会が動いている。

 レオンが白蔦会の道を使った。

 灰鷹商会と白蔦会がつながった。


 そんな噂が一度走れば、止めるのは難しい。


 ルイスは町向け説明案を作った。


 北方方面の古道について確認対象が増えました。現時点で白蔦会の活動を示すものではありません。古い物流路の通行可能性を確認します。個人名・商会名は共有しません。


 豆売りの女主人が、それを読んで頷く。


「町向けなら、これでぎりぎりだね」


「白蔦という名は出さない方がいいでしょうか」


 ルイスが聞くと、女主人は少し考えた。


「出さなきゃ出さないで、誰かが“隠してる”って言う。出すなら、“活動ではない”を大きく」


 レティシアが頷く。


「その形で」


 ガレスは壁の移動表を見た。


 通称レオンの足取りは、王都から南の村へ伸び、そこからさらに北の古道へ向かおうとしている。


 まだ実際に通ったとは決まっていない。


 しかし、部屋にその略図があった。


 それだけで、次に見るべき場所は変わった。


 クラウスが言った。


「灰鷹副支配人は、旧白蔦流通路を知っていた可能性があります」


 ロイエンが応じる。


「王都の古い商人なら、噂として知っていても不自然ではありません」


「はい。だから、それだけでは関与にはならない」


 ルイスが書く。


 旧白蔦流通路を知ることは、白蔦会関与を意味しない。古い商人・物流関係者には噂として共有されている可能性あり。


 ヨハンがぽつりと言う。


「道を知ってるだけで疑われるなら、荷車屋なんて全員危ないですからね」


「そうだね」


 豆売りの女主人が頷く。


「道を知ることと、その日に通ったことは違う」


 ガレスがすぐに言った。


「大きく書くやつですね」


 ルイスが書いた。


 道を知ることは、その道を通ったことを意味しない。


 夕方、王太子府への返信と照会がまとめられた。


 内容は三つ。


 一、レオン下宿の道案内紙片について、王立書庫資料との照合を求める。

 二、旧白蔦流通路の現在の通行可能地点を確認する。

 三、レオンが南の村から北へ向かった可能性について、馬車宿・渡し場・古道沿いの宿へ照会する。


 ただし、通称レオンはまだ所在不明者。


 逃走者ではない。


 白蔦会関係者でもない。


 ルイスは、その注記を何度も書いた。


 ロイエンは報告書の所見を整える。


 通称レオン下宿より、南の村方面から北方古道へ抜ける略図が確認された。略図の一部地名が旧白蔦流通路資料と一致する可能性あり。ただし、通称レオンが当該道を実際に通ったこと、白蔦会に関与すること、灰鷹商会が旧白蔦流通路を利用したことは、いずれも未確認。北方旧所領側は調査対象を“白蔦会”ではなく“旧白蔦流通路の通行可能性”に限定する方針。


 レティシアはそれを読んだ。


「よいと思います」


 ロイエンは疲れた顔で笑った。


「重い“よい”ですね」


「ええ」


 夜の帳場は、いつもより静かだった。


 壁には、また新しい図が貼られた。


 旧白蔦流通路・仮照合図


 王都。

 南の村。

 北方古道。

 森沿いの旧荷道。

 かつての物流組合の中継地。

 現在は廃れた小さな渡し場。


 まだ、紙の上の道でしかない。


 だが、通称レオンの影は、その道の入口に立っているように見えた。


 レティシアは追記を口述した。


 通称レオンは所在不明となった。逃げたのか、隠されたのか、消されたのか、まだわからない。だが、下宿に残された紙片は、古い道を指していた。白蔦会を追うのではない。白蔦会の名が走った道を追う。道は、組織より長く残る。人が消えても、荷の道は残る。噂が古くなっても、地図の隅に細い線は残る。次に見るべきは、人の顔ではなく、その細い線である。


 ルイスは書き終え、筆を置いた。


 通称レオンは見つかっていない。


 灰鷹副支配人も、まだ黒とは言えない。


 白蔦会が動いた証拠もない。


 だが、道が出た。


 事件は、古い噂そのものではなく、古い噂が走った道へ向かおうとしていた。

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