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『「君の役目は妹で足りる」と婚約破棄されたので辺境へ去りましたが、滅びかけた王国より先に私の領地が大陸最強になっていました』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第126話 需要という名の急かし

 王都から届いた資料箱は、思ったより重かった。


 北方旧所領の帳場に運び込まれた時、ガレスが思わず顔をしかめた。


「これ、本当に紙ですか? 石でも入ってません?」


 ヨハンが横から覗き込む。


「王都の紙は重いんだよ。偉い人の言葉が乗ってるから」


「嫌な重さですね」


「だろ?」


 ルイスはその会話を聞きながら、資料箱の封印を確認していた。


 銀狐商会からの提出資料。

 王都魔導灯補修需要に関する根拠。

 補修組合からの見積依頼写し。

 魔導灯管理局の通達写し。

 商務係の需要予測表。

 王太子府確認欄付き。


 封印は三つ。


 銀狐商会本部印。

 王太子府商務係確認印。

 ロイエン連絡官の受領印。


 ルイスはそれらを一つずつ記録した。


「封印異常なし。箱外装、擦過あり。受領時刻、朝三刻。立会人、レティシア様、ディルク様、ロイエン副使、ルイス」


 ロイエンは、帳場の端で静かに見ていた。


 この数日で、彼は北方旧所領の開封手順にずいぶん慣れた。


 最初の頃のように、少し皮肉を挟むことも減っている。


 皮肉を言っても記録されるだけだと学んだのか。

 それとも、記録されるなら皮肉にも意味を持たせようと考えるようになったのか。


 おそらく後者だろう、とレティシアは思っていた。


 ルイスが箱を開ける。


 中から出てきた紙束を長机に並べると、三者確認表の周辺はまたたく間に埋まった。


 王都魔導灯補修需要。


 その言葉だけなら、いかにももっともらしい。


 王都の街灯、役所、王宮外郭、商業区の夜間照明。

 青脈鉱石は、それらの魔導灯の維持に使われる。


 需要が増えた。

 だから早期確保が必要。

 だから一・五倍の増量を。


 銀狐商会の主張はそうだった。


 だが、紙を広げていくうちに、帳場の空気は少しずつ変わっていった。


 最初に気づいたのは、ルイスだった。


「この補修組合の見積依頼……日付が古いです」


 レティシアが顔を上げる。


「どれくらい?」


「二か月前です」


 ヨハンが首を傾げる。


「二か月前って古いんですか?」


 ロイエンが答えた。


「需要予測の根拠として使うには、少し注意が必要です。二か月前の見積もりなら、すでに処理済みの案件が含まれている可能性があります」


 ルイスは頷いた。


「しかも、同じ補修区画が別紙にも出ています」


「重複?」


 レティシアが問う。


「おそらく」


 ルイスは二枚の紙を並べた。


 一枚目は、王都西区第三街路の魔導灯補修依頼。

 二枚目は、王都西区第三街路および周辺街灯の補修見込み。


 似ている。


 同じなのか、別なのか。


 紙面だけでは断定できない。


 だが、需要数量の合計には両方が入っているように見えた。


 ルイスは差異欄へ記録する。


 確認事項一:王都西区第三街路補修依頼と周辺街灯補修見込みに重複可能性あり。需要数量算定に二重計上の恐れ。


 豆売りの女主人が、立会席で腕を組んだ。


「豆でもあるよ。昨日売った分を、今日の仕入れ見込みにまた入れるやつ」


 ヨハンが笑う。


「それ、怒られるやつですね」


「怒るよ。数が合わなくなるからね」


 ガレスが小声で言う。


「王都でも数が合わないことあるんですね」


 ロイエンは少しだけ苦笑した。


「あります。王都の紙も人が作りますので」


 その言い方に、場が少し緩んだ。


 だが、レティシアは資料から目を離さなかった。


「次を見ましょう」


 魔導灯管理局の通達写し。


 そこには、今年の雨季明け以降、王都外郭の魔導灯点検を前倒しする可能性がある、と書かれていた。


 可能性。


 確定ではない。


 ルイスが読み上げる。


「雨季明け以降、外郭魔導灯点検を前倒しする可能性あり。補修必要箇所の一次確認を各区担当へ指示……」


 レティシアは言った。


「これは、需要ではなく点検の前倒しね」


「はい。補修が確定しているわけではありません」


 ロイエンも頷く。


「王都側で“補修需要”とまとめるには、少し強い表現になっています」


 ヨハンが首をすくめた。


「点検するかも、が、鉱石一・五倍になるんですか」


「商人の手にかかると、なることがあります」


 ロイエンが言うと、豆売りの女主人がにやりとした。


「あんた、だんだん正直になってきたね」


「記録される場所では、正直が一番安全です」


「それも正直だ」


 ルイスは笑いそうになりながらも記録を続けた。


 確認事項二:魔導灯管理局通達は点検前倒し可能性の通知であり、補修需要確定資料ではない。補修確定箇所、必要鉱石量、発注時期の追加資料が必要。


 次に商務係の需要予測表。


 これが、最も厄介だった。


 表は整っている。


 月別需要予測。

 過去三年平均。

 今年度増加見込み。

 王都外郭補修分。

 商業区夜間延長分。

 予備在庫分。


 数字は綺麗に並んでいた。


 綺麗すぎるほどに。


 ルイスは何度か目を往復させ、やがて小さく言った。


「この予備在庫分が大きいです」


 レティシアが覗き込む。


 予備在庫。


 需要ではなく、在庫。


 しかも、増量分のかなりの割合を占めている。


「王都の予備在庫を厚くするために、北方旧所領の搬出量を増やす、ということ?」


「そう読めます」


 ディルクが低く言った。


「それは補修需要とは別物だ」


 ロイエンも表情を少し引き締める。


「王太子府確認欄で分けるべきですね。緊急補修需要、点検見込み、予備在庫確保。この三つを混ぜて一・五倍としている」


 ルイスが書く。


 確認事項三:需要予測内に予備在庫分が含まれる。緊急補修需要、点検見込み、予備在庫確保を分離する必要あり。


 豆売りの女主人が言った。


「予備は大事だよ。でも予備なら予備って言わなきゃね」


「ええ」


 レティシアは頷く。


「急ぎの補修と、王都の在庫積み増しでは、現地が負うべき緊急性が違います」


 ガレスが手を上げる。


「予備在庫なら、雨の日を避けてゆっくり運んでもいいんですか」


 ルイスが顔を上げた。


「それは重要ですね」


 ロイエンも頷いた。


「予備在庫分については、搬出時期を分散できる可能性があります」


 レティシアは三者確認表へ視線を移した。


「対応案に入れましょう。補修確定分と予備在庫分を分ける。緊急性が低い予備在庫分は、天候、荷車、人員に余裕がある日に分散搬出」


「はい」


 ルイスが書く。


 ヨハンが少しほっとした顔をした。


「分散できるなら、荷車屋は助かります。いきなり一・五倍って言われるより、何日かに分けてもらった方がずっといい」


「炊事場も同じでございます」


 マルタが言った。


「人が一度に増えるより、日を分けた方が食材の手配も容易です」


 豆売りの女主人も頷く。


「豆もね」


 ロイエンは、それらの声を聞きながら、王太子府確認欄へ書くべき内容を考えていた。


 王都補修需要。


 それは嘘ではない。


 だが、膨らんでいる。


 補修確定分、点検見込み、予備在庫。


 それらを一つにまとめ、「需要増」として銀狐商会が一・五倍を求めた。


 商人としては珍しくないやり方だ。


 大きな数字にまとめた方が交渉しやすい。


 だが、北方旧所領の長机に置かれると、その数字は分解される。


 分解されると、急ぐべきものと、急がなくてよいものが見える。


 見えてしまえば、無理は通しにくい。


 ロイエンは静かに言った。


「王太子府確認欄として、三分類を提案します」


 ルイスが筆を構える。


「お願いします」


「一、補修確定分。根拠資料がある場合、優先搬出の対象。二、点検見込み分。補修確定後に搬出可否を再確認。三、予備在庫分。緊急性が低いため、現地負担を考慮し分散搬出」


 レティシアは頷いた。


「妥当です」


 豆売りの女主人がロイエンをじっと見た。


「あんた、本当に王都の人かい?」


 ロイエンは笑った。


「今のところは」


「その言い方、ちょっと怖いね」


「私も自分で少し怖いです」


 場に小さな笑いが起きた。


 しかし、笑いながらも、全員わかっていた。


 これは大きい。


 王太子府連絡官が、銀狐商会の需要根拠を三分類すべきだと所見を出す。


 それは、銀狐商会にとって容易な話ではない。


 夕方までに、三者確認表の第二版がまとまった。


 青脈鉱石増量取引案・需要根拠確認版。


 原文要旨。


 銀狐商会は、王都魔導灯補修需要増を理由に増量を求める。


 銀狐商会評価。


 補修需要および予備在庫確保により、早期確保が価格安定につながる。


 王太子府確認。


 需要根拠資料には、補修確定分、点検見込み分、予備在庫分が混在。三分類の上、優先度を再設定する必要あり。


 現地影響。


 一括一・五倍搬出は荷車、炊事場、警備、帳場記録、中継小屋動線に過大負担。分散搬出で負担軽減可能。


 差異・確認事項。


 西区第三街路関連資料に重複可能性。

 点検前倒し通達は補修確定ではない。

 予備在庫分の緊急性は低い。

 商会側輸送費定義が不明確。

 別建て費用補填の対象項目確認必要。


 対応案。


 一、補修確定分のみ優先搬出。

 二、初回増量は一・一五倍から一・二倍の範囲で再協議。

 三、点検見込み分は補修確定後に別枠。

 四、予備在庫分は分散搬出。

 五、現地追加負担は別建て費用補填。支払い繰越対象外。

 六、需要根拠の重複確認を銀狐商会および王太子府商務係へ照会。


 ルイスは書き終えて、目を押さえた。


「数字を分けるだけで、だいぶ見え方が変わりました」


「そうね」


 レティシアは表を見下ろす。


「一・五倍ではなくなったわ」


 ヨハンが頷く。


「補修確定分、点検見込み、予備在庫。まとめて一・五倍って言われると怖いけど、分けると話せますね」


 ガレスも言う。


「予備なら、こっちも準備できます」


 豆売りの女主人が鼻を鳴らした。


「結局、急げ急げって言葉が一番怪しいんだよ」


 その言葉に、レティシアは静かに頷いた。


 急げ。


 王都はよく、その言葉で現地を動かそうとする。


 急ぎだから。

 王都需要だから。

 上からの指示だから。

 商機を逃すから。


 だが、急ぎの中身を分けると、本当に急ぐべきものは意外と少ない。


 そのことが、紙の上に現れた。


 その夜、銀狐商会王都本部では、第二版の写しを読んだクラウスが額に手を当てていた。


 笑っているような、困っているような顔だった。


「分けられましたね」


 ロレンツが苦い声で言う。


「ええ。見事に」


「補修確定分、点検見込み分、予備在庫分……」


「こちらがまとめた数字を、きれいにほどかれました」


「感心している場合ですか」


「感心すべきところは感心しないと、次も同じ失敗をします」


 クラウスは、三者確認表を机に置いた。


「補修確定分だけなら、一・一五倍程度でしょう。点検見込みを含めて一・二倍。予備在庫まで含めて一・五倍。そういう構造です」


「なら、最初からそう出せばよかったと?」


「いえ。最初からそう出したら、一・五倍は通りません」


「つまり、通そうとした」


「商人ですので」


 クラウスは悪びれなかった。


 ロレンツは溜息をつく。


「それを見抜かれた」


「はい」


「王太子府連絡官まで、向こうの分類に乗っている」


「ロイエン副使は、現地で見たのでしょう。一・五倍が何を動かすか」


 クラウスは紙を指で叩いた。


「荷車、飯、警備、雨、書記官。王都では見えないものです」


 ロレンツはしばらく黙った。


「では、どう返します」


「補修確定分で一・一五倍を先に取りにいきます。点検見込み分は、確定後に追加。予備在庫分は分散搬出で交渉」


「利益は減ります」


「事故も減ります」


「あなたは最近、事故を恐れすぎでは?」


「事故は利益を食います」


 クラウスは即答した。


「それに、北方旧所領との長期取引を考えるなら、初回で無理をさせるべきではない」


「長期取引……」


 ロレンツは、窓の外の王都を見た。


 王都の商人は、早い利益を好む。


 だが、早い利益は早く燃えることもある。


「わかりました。一・一五倍案で再提出しましょう」


「ありがとうございます」


「ただし、費用補填額は詰めます」


「もちろん。そこは商売です」


 クラウスは笑った。


 王都の夜が深まる頃、王太子府にも第二版の写しが届いた。


 アルベルトは、エドガルの説明を聞きながら、三分類された需要表を眺めていた。


「補修確定、点検見込み、予備在庫……」


 彼は呟いた。


「全部まとめて需要増と言っていたのか」


 エドガルは答える。


「商会としては、早期確保の必要を強く見せたかったのでしょう」


「強く見せすぎだ」


「はい」


「王都商務係は、なぜこれをそのまま確認した」


 エドガルは言葉を選んだ。


「需要予測表としては整っていたためかと。ただ、現地負担を前提とした分類ではありませんでした」


「つまり、王都では足りていない見方を、辺境が補った」


 アルベルトは苦々しく言った。


 だが、その声には以前のような激しい反発はなかった。


「商務係へ確認しろ。今後、需要予測には確定、見込み、予備を分けさせる」


 エドガルは一礼した。


「承知しました」


「それと、銀狐商会には補修確定分を優先。点検見込みは確定後。予備在庫は分散搬出。これを王太子府方針として返せ」


「はい」


「現地負担費用は……」


 アルベルトは少し嫌そうに紙を見た。


「別建てでよい。ただし、金額は確認する」


「王太子府確認欄で」


「そうだ」


 エドガルは、内心でまた紙が増える音を聞いた。


 だが、今回は抗えなかった。


 むしろ、抗う理由が薄い。


 需要の中身を分ける。


 それは王太子府にとっても有益だった。


 銀狐商会に過大な需要を盾にされるのを防げる。


 王太子府が利用されるのを避けられる。


 結局、北方旧所領の紙は、また王都の手順を一つ変えた。


 夜、北方旧所領の帳場では、王太子府方針の受領記録が作られた。


 ルイスは少し疲れた顔で、それでも丁寧に書いている。


「王太子府、需要予測における確定、見込み、予備の分類を今後求める方針……これは、大きいですね」


 レティシアは頷いた。


「ええ」


 ロイエンが静かに言った。


「王都商務係は嫌がるでしょう」


「でしょうね」


「ですが、必要です」


 その言葉を、ロイエンが言った。


 ルイスは思わず顔を上げた。


 ロイエンは少しだけ笑う。


「うつりましたかね」


 豆売りの女主人なら、きっと「うつしたんだよ」と言っただろう。


 レティシアは、追記を口述した。


 急ぎという言葉は、束になると強い。補修も、点検も、予備も、まとめて急ぎと呼べば、誰も止めにくくなる。だから束をほどく。確定、見込み、予備。急ぎ、本当に急ぎではないもの、急ぎに見せたいもの。名を分ければ、圧は少し弱くなる。急かされる前に、何が急ぎなのかを問うこと。


 ルイスは、その一文を書きながら静かに息を吐いた。


 一・五倍という数字は、ほどかれた。


 補修確定分。

 点検見込み。

 予備在庫。


 数字の裏にあった急かしは、紙の上で少しずつ形を失っていく。


 その代わりに残ったのは、まだ面倒で、まだ重いが、話し合える取引だった。

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