流されるままに
頭上に広がる街並みを見上げたまま、ハルトはその場から動こうとしなかった。
「そろそろ行きますよ」
クロが声をかけても返事はない。目の前に突きつけられた現実を、まだ受け入れきれていないらしい。
クロは小さく息を吐くと、再びハルトの手を取って街路を歩き始めた。
腰まで届く黒髪の少女に、執事服を身につけた少年が半ば引きずられるように連れていかれる。その光景が珍しいのか、道行く人々の中には、すれ違ったあとで振り返る者や、何事かと二人をまじまじと見つめる者もいた。
「いつまで呆けているんです?」
クロに声をかけられ、ハルトはようやく我に返った。
自分の手が握られたままだと気づくと、すぐさま強引に腕を引き、クロの手を振り払おうとする。
だが、クロが使っているのは片手だけだというのに、その手はびくともしない。どれほど腕を捻り、身体ごと後ろへ引こうとしても、クロの指一本すら外すことができなかった。
そこでハルトは、自分に向けられているもう一つの視線に気づく。
クロの肩に乗ったクレアが、鋭く目を細めながらハルトを睨んでいた。再びクロへ無礼を働けば許さない。そんな意志が、小さな黒い瞳にはっきりと宿っている。
「僕をどこへ連れていくつもりだ!」
「大声を出さないでください。いいから、黙ってついてきなさい」
クロはハルトの言葉を強引に遮ると、手を放すことなく、そのまま引っ張りながら歩き続ける。
そのとき、二人の前方から一人の男が歩いてきた。
「クロ。何やってんだ?」
現れたのはシゲルだった。
シゲルは愉快そうに口元を緩めながら、クロのそばまでやってくる。そして、手を引かれているハルトの姿を目にすると、その笑みをさらに深めた。
「お父さん。少し頼まれまして」
クロは何でもないことのように答え、その場で足を止めた。
「お父さん……?」
ハルトは怪訝そうにシゲルを見た。
クロは自分をバハムートの子供だと名乗っていた。それにもかかわらず、今度は目の前にいる人間の男を父と呼んでいる。
「養父です。詳しいことは、あとで説明します」
「また説明を後回しにするつもりか!」
ハルトの抗議を聞き流しながら、クロはシゲルの顔を見上げた。
(これは……面白いものを見つけたときの顔だな)
「ほう……」
シゲルは興味深そうに声を漏らし、二人の様子を覗き込む。
その態度が気に入らなかったのか、ハルトは苛立ちを隠すことなく声を荒らげた。
「おい! こいつの父親なら、今すぐこの僕を放せと言え!」
(あ、逆効果)
クロがそう思った瞬間、シゲルの口元から笑みが消えた。
「お前、何言ってんだ?」
先ほどまでの愉快そうな声とは違う。低く落ちたその声に、ハルトの身体がわずかに強張った。
「人にものを頼む態度じゃねぇよなぁ。頼み方ってもんがあるだろ」
「何を!」
「クロ。面白そうだから、俺もついていく」
「はぁ?」
ハルトの間の抜けた声が街路に響く。
しかし、シゲルは気にした様子もなく、当然のようにクロの隣へ並び、そのまま一緒に歩き始めた。
「お前ら、おかしいだろ!」
「うるせぇ。で、こいつは何なんだ、クロ?」
「ダリのことでオンリーワンへ行ったとき、いろいろありまして。そこで、ハルトを預かることになったんです」
「何を平然と会話しているんだ、こいつら……」
手を引かれ、行き先すら満足に説明されないまま、強引に連れていかれている。それにもかかわらず、隣を歩く親子は、まるで何事も起きていないかのように会話を続けていた。
ハルトには、その光景そのものが理解できなかった。
「いい加減、僕の話を聞け!」
「うるせぇ!」
シゲルの一喝が街路に響き、ハルトは反射的に口を閉ざした。
「それで、こいつをどこへ連れていくつもりだ……と聞きたいところだが、この道を進んでいるってことは、あそこか」
周囲の建物とクロが向かう方角を確かめ、シゲルはすぐに目的地を察したらしい。
クロは小さく笑いながら頷いた。
「はい。そのつもりです」
そうして三人が街路を進むうちに、人工の空は夕暮れから夜へと色を深めていった。街を照らしていた光が少しずつ弱まり、代わりに道路沿いや建物の照明が一つずつ灯っていく。
やがて、三人は目的地であるハンターギルドへたどり着いた。
「さっき来たばかりだってのに、また戻ってくることになるとはな」
建物を見上げながら、シゲルが面倒そうに頭を掻く。
「ギルドに何か用事でもあったのですか?」
クロが不思議そうに尋ねると、シゲルは何を言っているのかとでも言いたげな顔で見返した。
そのまましばらくクロの顔を見つめ、やがて呆れを隠そうともせず、深いため息を吐く。
「おめぇが持って帰ってきた小惑星のことで、話があったんだよ」
「ああ、そうでしたか」
「そうでしたか、じゃねぇ」
シゲルは眉間に皺を寄せながら、クロの素っ気ない返事に肩を落とした。
「あんなもんを持って帰ってきて、誰にも話さねぇってわけにはいかねぇだろうが。だから、わざわざ俺様が説明しに来たんだよ」
「それは、お疲れさまでした」
「相変わらず素っ気ねぇな、お前は……」
シゲルは諦めたように首を振る。
その会話を聞いていたハルトは、小惑星を持ち帰ったという言葉に引っかかりを覚えたものの、問い返す間もなくクロに手を引かれ、ギルドの中へ入っていった。
扉が開くと、室内のざわめきが三人を迎える。
受付カウンターにいたグレゴは、入ってきたクロと、戻ってきたばかりのシゲルへ視線を向けた。
そして最後に、その後ろでクロに手を掴まれたまま立っている、執事服姿の少年を目にする。
しばらく無言で三人を見つめたあと、グレゴは胸の奥に溜まったものを吐き出すような、それはもう深いため息を漏らした。
「シゲ! てめぇ、何しに戻ってきやがった!」
ギルド中に響く声に、周囲のハンターたちが一斉に振り返る。
「それにクロ! お前には、たんまり話を聞きたいところだ!」
だが、今はそれ以上に気になるものがあるらしい。
グレゴの視線が、クロの背後に立つハルトへ移った。
「……だが、まずはそいつだ。今度は何を連れてきた?」
「そのことで話がありまして。今、ギルマスはいますか?」
「…………」
グレゴは何も答えず、しばらくクロを鋭く睨み続けた。
だが、当のクロはその視線をまるで意に介さず、いつもと変わらぬ表情で返事を待っている。その隣では、シゲルが二人のやり取りを眺めながら、いかにも面白そうに口元を緩めていた。
「何なんだ……こいつら」
ハルトは呆然と呟く。
小惑星オンリーワンから一瞬で見知らぬコロニーへ連れてこられ、そのまま事情も分からぬまま街を引き回され、今度はグレゴの鋭い視線を平然と受け止めるクロを見せられている。
次に何が起きるのか、もはや予想することさえできない。
ハルトは抵抗する気力を失い、この異常な状況に流されるしかなかった。




