それぞれの旅立ち
その後、クロたちのもとへ、いくつもの大型コンテナが運び込まれた。
中に収められているのは、今回新たに制作されたアセンダンスシリーズ。クロがランウェイで着用したものだけではなく、用途や状況に応じて使い分けられる衣服が、予備も含めて大量に詰められているらしい。
コンテナを運び終えた者たちが一礼して室内から退出すると、オンリーが積み重なった荷物へ視線を向けた。
「その中には、クレアちゃんとアヤコちゃん、それにエルデちゃんの服も入っているわ。今日着た衣装ももちろん入っているから、また着てみてね」
「ありがとうございます。やりました、クロ様」
クレアが嬉しそうに声を弾ませる一方で、アヤコはわずかに頬を赤らめ、落ち着かなさそうに視線を逸らした。
「それは、少し恥ずかしいな……」
「やったーっす! オンリーさん、ありがとうっす!」
エルデは隠すことなく両手を上げ、全身で喜びを表す。
積み重ねられたコンテナを前に、クロはその量にわずかに頬を引きつらせたものの、今さら驚くのにも疲れたのか、何も言わずに受け入れた。
すべての話が終わったことを察し、アヤコたちもソファーから立ち上がる。帰る準備を整えながら、転移に備えてクロの周囲へと集まっていった。
「それでは、収納しますね」
クロがコンテナへ片手を向ける。
その直後、周囲の空間がわずかに揺らぎ、積み重なっていた荷物が端から順番に別空間へと吸い込まれていく。あれほど室内を圧迫していたコンテナは、数秒も経たないうちに跡形もなく消え去った。
ちょうどそのとき、扉が開いた。
入室してきたのは、先ほど準備に向かったハルトだった。
両手には大きな鞄を提げ、背中にも荷物を背負っている。長期間の滞在を想定しているのか、その姿は執事見習いというより、これから遠方へ旅立つ子供のようにも見えた。
「それじゃあ、クロちゃん。よろしくね」
オンリーが優雅に微笑みながら声をかける。
「はい。しばらく預かります」
クロは大量の荷物を抱えたハルトへ視線を向け、わずかに諦めの滲んだ笑みを浮かべた。
「ふふふっ。お願いね」
満足そうに微笑んだオンリーは、ゆっくりとソファーから立ち上がった。
最初に向かったのは、作業用端末を大切そうに抱えているダリのもとだった。
オンリーはその前まで歩み寄ると、衣装の裾を整えながら静かにしゃがみ込み、ダリと視線の高さを合わせる。
「ダリ。貴方の中には、まだ多くの可能性が眠っているわ」
その声は柔らかい。
だが、言葉の一つ一つには、これから弟子を目指す者へ向ける真剣な重みが込められていた。
「努力しなさい。自分には才能があるのだと、そこで満足しては駄目よ。才能に溺れれば、それ以上前へ進めなくなるわ」
「はい、師匠」
ダリは迷うことなく答えた。
涙で赤くなった目には、もう不安よりも強い決意が宿っている。
「あらあら。そう呼ぶには、まだ少し早いわよ」
オンリーは困ったように笑いながら、ダリの頭へそっと手を伸ばした。
丁寧に整えられた髪を崩さないよう、優しく撫でる。
言葉では、まだ正式な弟子として認めていない。
それでも、その仕草には、ダリを見習いとして受け入れた者の温かさが滲んでいた。
ダリもそれを感じ取ったのか、端末を抱く腕にわずかに力を込めながら、嬉しそうに目を細めた。
続いて、オンリーはハルトの前へ向かった。
大量の荷物を持ったまま立っているハルトを見上げ、その姿を静かに見つめる。
「ハルト。外の世界を見てきなさい」
「はい」
「貴方が今まで見てきたものは、世界のほんの一部にすぎないわ。そこで何を見て、何を感じるのか。それが、いつか貴方自身の糧となることを願っているわ」
ハルトは一瞬だけ視線を伏せたあと、荷物を床へ置き、姿勢を正した。
「はい。行ってまいります、オンリーワン様」
深々と下げられた頭。
その礼を受けたオンリーは、満足そうに小さく頷く。
これで伝えるべき言葉はすべて伝えたのか、オンリーは再び静かな足取りでソファーへ戻り、優雅に腰を下ろした。
「では、トバラさん。遠慮なく連れていきますね」
「よろしくお願いいたします」
クロの言葉に、トバラは胸元に片手を添え、深く頭を下げる。
その姿を目にした瞬間、ハルトの表情がわずかに強張った。
祖父であるトバラが、自分より幼く見えるクロへ頭を下げている。そのことが、どうしても気に入らないらしい。隠しきれない怒気が、細められた瞳からクロへと向けられる。
すると、クロの肩に乗っていたクレアが、即座に反応した。
背の毛をわずかに逆立て、耳を立てる。小さな身体から放たれる警戒が、真っすぐハルトへ向けられた。
「クレア。落ち着いてください」
クロが背を軽く撫でながら宥める。
それから、床に置いた荷物を持ち直そうとしているハルトへ顔を向けた。
「では、ハルト。行きますよ」
「どこへ行くのですか? ドックなら、こちらではありませんよ」
ハルトはわずかに眉を上げ、そんなことも分からないのかとでも言いたげな口調で答えた。
その声に含まれた侮りを聞き取り、とうとうクレアの我慢が限界に達した。
「貴方! 先ほどからクロ様に対して失礼です! その口を噛みちぎられたいのですか!」
突然響いた澄んだ声に、ハルトの身体が固まった。
目を大きく見開き、信じられないものを見るようにクレアを凝視している。
つい先ほどまで小さな犬だと思っていた存在が、人の言葉を話した。
その事実を前に、理解が追いついていない様子だった。
「クレア。そこまでです」
クロは肩の上にいるクレアの頭を撫で、興奮を鎮めていく。
「ですが、クロ様。この方は先ほどから――」
「分かっています。必要であれば、私が直接教えますから」
「……承知しました」
クレアは不満そうに耳を伏せたものの、それ以上は何も言わず、クロの肩へ身体を預けた。
その小さな背を撫でながら、クロは未だに固まっているハルトへ説明する。
「ハルト。クレアは、私を守る神獣です。人の言葉も話しますし、見た目からは想像できないほど強いですよ。あまり侮らない方がいいです」
「神獣……」
ハルトはどうにか言葉を絞り出したが、視線はクレアへ向けられたままだった。
そのとき、トバラはいつの間にかハルトのすぐそばまで移動していた。
足音も気配も感じさせないまま立っている祖父に気づき、ハルトがわずかに姿勢を正す。
「ハルト」
トバラの声は穏やかだった。
「私は貴方に期待しております。それは、貴方が私の孫だからではございません。一人の人間として、貴方の中に可能性があると信じているからです」
「お爺様……」
温かな言葉を受け、ハルトの瞳にわずかな涙が浮かんだ。
厳しい祖父から面と向かって期待を告げられたことが、嬉しかったのだろう。張り詰めていた表情が緩み、その場の空気にも一瞬だけ穏やかな温もりが満ちる。
だが、その温もりが長く続くことはなかった。
次の瞬間、ハルトの身体が宙を舞った。
トバラは流れるような動きでハルトの腕と衣服を取り、その重心を崩した。宙へ浮かせた身体の勢いを着地の直前で殺し、クロの足元に敷かれた厚い絨毯の上へ転がす。
ハルトの身体は厚い絨毯の上へ落ち、そのまま荷物の隣まで転がっていく。
「ですので、あまり私を失望させないよう、お願いいたします」
トバラは何事もなかったかのように姿勢を整え、静かに言い添えた。
投げられたハルトは、絨毯の上へ横たわったまま動けない。
何が起きたのか理解できない混乱。そして、温かな言葉の直後に突きつけられた祖父の厳しい忠告。
そのすべてが一度に押し寄せ、返す言葉すら見つからない様子だった。
「オンリーさん、トバラさん。それでは、また」
クロは床に倒れているハルトを一瞥しただけで、平然と別れの挨拶を口にする。
「ええ。またね、クロちゃん」
「クロ様。またお会いできる日を、心待ちにしております」
二人から挨拶を返されたクロは、自分の周囲を確かめる。
アヤコとエルデ、ダリは互いの肩に手を置き、その先頭に立つアヤコがクロの肩へ手を添えていた。クレアも反対側の肩にしっかりとつかまり、残るのは絨毯の上に横たわるハルトと、その傍らに置かれた大量の荷物だけだった。
荷物は別空間へ収納できる。
問題は、いまだ絨毯の上に横たわっているハルト本人だった。
「……いつまで倒れているつもりですか」
「す、少しお待ちを……」
ハルトは起き上がろうとしたものの、突然投げられた混乱から立ち直れていないのか、動きがひどくぎこちない。
クロは小さく息を吐くと、その傍らへしゃがみ込み、ハルトの肩に手を置いた。
「仕方ありませんね。そのまま行きますよ」
「そのまま、とは――」
問いかけが終わるよりも早く、クロたちの姿が空間の揺らぎに包まれ、その場から一瞬にして消え去った。床に置かれていたハルトの荷物も同時に収納され、部屋にはオンリーとトバラだけが残される。
先ほどまで大勢の人で満ちていた室内へ、急に静けさが戻ってくる。
「さて。どんな子になって帰ってくるのか、楽しみね」
オンリーは誰もいなくなった場所を眺めながら、期待に満ちた声を漏らした。
「オンリーワン様。このたびは、孫がご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした」
トバラが深く頭を下げる。
ハルトの傲慢さも、隠しきれない未熟さも、祖父であるトバラにはよく分かっているのだろう。その声には申し訳なさと同時に、孫の将来を案じるわずかな苦悩が滲んでいた。
「気にしないでと言ったでしょう?」
オンリーは穏やかに微笑み、頭を上げるよう促した。
「それに、新しい楽しみもできたもの」
そう言うと、オンリーはソファーへ深く身を預け、見えない宇宙の彼方を眺めるように天井を仰いだ。
片や、自らの才能と向き合い、デザイナーとして歩み始めたダリ。
片や、狭い世界から外へ放り出され、自らの未熟さを学ぶことになったハルト。
「ハルトとダリ……二人がどのような未来を選ぶのか、楽しみね」
オンリーの声は静かだった。
それでも、その微笑みには、これから何者にでもなれる二人の少年が、いつか大きく成長することへの確かな期待が宿っていた。




