預けられた子供
「ふう……まあ、まずは本人と話をしてからですかね」
「そうね」
オンリーは小さく頷くと、扉の近くに控えていたトバラと、その傍らに立つ子供へ手招きをした。
その合図を受け、二人がこちらへ歩み寄ってくる。
トバラの足取りは静かで、磨き上げられた所作には、かすかな乱れもない。それに対し、隣を歩く子供からは軽い靴音が響き、動きにもわずかなぎこちなさが残っていた。
やがて二人はオンリーの傍らで立ち止まる。
トバラが胸元に片手を添えて優雅に一礼すると、子供も一拍遅れて同じように頭を下げた。姿勢も手の位置もよく似ている。だが、自然に身についた所作というより、傍らの祖父を懸命に真似ているように見えた。
「皆様。こちらは、私の孫であるハルト。13歳でございます」
トバラに紹介され、ハルトが一歩前へ出る。
「ハルトです。よろしくお願いいたします」
言葉遣いだけなら丁寧だった。
深く下げられた頭にも、礼儀を欠いたところはない。
しかし、顔を上げたハルトを見た瞬間、クロはわずかな違和感を覚えた。
表情こそ整えているものの、その瞳の奥には、かすかな不満が滲んでいる。ここに呼ばれたこと自体が気に入らないのか。それとも、自分たちを前にして頭を下げさせられたことに納得していないのか。
(何に対する不満なんだ?)
クロがその視線を注意深く観察していると、トバラが静かに口を開いた。
「クロ様。ハルトには、皆様のお名前とお立場について、すでに簡単な説明をしております」
「そうですか」
クロが短く答えたところで、オンリーがハルトへ視線を向ける。
「ハルト。貴方に一つ、提案があるの」
「……提案、でございますか?」
思いがけない言葉だったのか、ハルトの表情に驚きが浮かんだ。
「ええ。しばらくオンリーワンを離れて、別のコロニーで働いてみる気はある?」
ハルトは目を見開いたあと、確かめるようにオンリーを見つめた。
「そちらのクロ様が滞在されているコロニーで、でしょうか?」
「そうよ。クロちゃんには、貴方をコロニーへ受け入れ、働ける場所を探してもらえないか相談しているところなの。もちろん、貴方にその意思がなければ、この話は取り下げるわ」
ハルトは一度俯き、考えるように唇を引き結んだ。
だが、返事までに要した時間は、ほんのわずかだった。
「……ぜひ、お願いいたします」
声は落ち着いている。
それでも、俯いた顔の陰で、抑えきれない笑みが口元にわずかに浮かんでいた。
(ずいぶんと行く気満々だな)
クロの目は、その微細な変化を見逃さなかった。
冷静に振る舞っているものの、本人は外へ出ることを嫌がっていない。それどころか、何か大きな期待を抱いているようにすら見えた。
「トバラさん。ハルトには、私についてどのように説明したのですか?」
「凄腕のハンター様であると、お伝えしております」
(まだ、表向きの事情についても話していないということか)
バハムートの子供という設定も、クレアやエルデとの関係も伝えていない。
つまりハルトにとってクロは、外見こそ幼いものの、オンリーとトバラから一定の評価を受けているハンターにすぎないのだろう。
「オンリーさん。こちらで受け入れ先を探し、その後の面倒を見ること自体は構いませんが、一つ条件をつけてもいいですか?」
クロがそう告げると、ハルトの顔が勢いよく上がった。
先ほどまで抑えていたものが一瞬だけ表へ漏れたのか、その視線には隠しきれない不快感が滲んでいる。
自分を預かる立場になるとはいえ、外見は自分と同年代ほどにしか見えない。そのクロが条件を出したことに、納得できないらしい。
その視線に気づいたクレアが、テーブルの上でゆっくりと身を起こした。声を発することはなかったが、耳を立て、ハルトを牽制するように鋭く睨みつける。
しかし、ハルトがクレアへ向けたのは警戒ではない。
小さな動物が何をしているのかとでも言いたげな、明らかに見下した眼差しだった。
その反応を見たクロの中で、オンリーがこの子供を外へ出そうとする理由が、少しずつ形を持ちはじめる。
「どんな条件かしら?」
オンリーは変わらぬ笑みを浮かべたまま、クロへ問い返した。
「簡単です」
クロはハルトへ一度視線を向けてから、淡々と告げる。
「言葉だけでは直らないと判断した場合、多少手荒に教育しても構いませんか?」
「あら。いいわよ」
オンリーは迷う様子もなく、あっさりと許可した。
「オンリーワン様!?」
さすがに予想していなかったのか、ハルトの顔に焦りが浮かぶ。
その反応を見て、クロはわずかに満足そうな笑みを見せると、ソファーから立ち上がった。
ハルトの前まで歩み寄り、正面から静かに見つめる。
「改めまして、私はハンターのクロです」
クロはそう名乗りながら、右手を差し出した。
「それと、これはあまり公表していませんが、私はバハムートの子供です。よろしくお願いします」
「……バハムートの、子供?」
ハルトの声には、驚きよりも疑いが強く滲んでいた。
その瞬間、トバラが軽く咳払いをした。
大きな音ではない。
それでもハルトは肩をわずかに震わせ、慌てて表情を整えた。背筋を伸ばし直すと、差し出されたクロの手を握る。
「よろしくお願いいたします」
言葉だけは丁寧だった。
だが、その握り方は、挨拶と呼ぶにはあまりにも強かった。
同年代ほどに見える少女へ、自分の方が上だと分からせるつもりなのだろう。握った手を通じて、露骨な対抗心をぶつけてくる。
しかし、当のクロは眉一つ動かさない。
ハルトの力など、クロにとっては手を添えられているのと何も変わらなかった。
むしろ、涼しい顔のまま握手を続けるクロに、ハルトの表情がわずかに強張っていく。
「ハルト。準備をしていらっしゃい」
オンリーの声が室内へ静かに響いた。
「……はい。失礼いたします」
ハルトはクロの手を離すと、オンリーへ深く一礼する。
それからトバラや他の者たちにも、形だけは整った礼を見せ、足早に部屋を出ていった。
扉が閉じ、その足音が遠ざかっていく。
しばらく誰も口を開かなかったが、やがてアヤコから深いため息が漏れた。
「オンリーさん。あの子、少し……その……」
アヤコは何度もトバラの方を窺いながら、言葉を濁す。
トバラの孫であるハルトを悪く言うことに気が引けているのだろう。だが、先ほどの態度を見た以上、何も触れないわけにもいかなかった。
「ええ。アヤコ様のおっしゃりたいことは承知しております」
代わりに答えたのは、トバラだった。
表情こそ崩していないものの、その声には、祖父としての苦悩がわずかに滲んでいる。
「ハルトには、他者を見下す悪い癖がございまして。クロ様方のいるコロニーで、さまざまな方と接する中で改めさせたいと考えております」
アヤコは困ったように眉を下げ、クロは小さく息を吐いた。
外へ出られることへの期待を隠しきれず、自分の仕事先を探す立場にいるクロへ対抗心を向け、クレアを小さな動物として見下した。
そのすべてを承知したうえで、オンリーとトバラはハルトを外へ出そうとしている。
連絡役というのも、理由の一つなのだろう。
だが、それ以上に大きな目的は、オンリーやトバラの庇護に頼れない場所で働かせ、自分がどれほど狭い世界しか見ていなかったのかを、身をもって気づかせることなのかもしれない。
「……オンリーさん」
「なにかしら?」
クロはオンリーの楽しげな笑みを見つめ、わずかに目を細める。
「これで、服の代わりにお願いを一つ聞くという約束は、果たしたことにしていいですか?」
「ええ。そのつもりよ」
オンリーは悪びれることなく、優雅に微笑んだ。
「手のかかる子だと思うけれど、お願いね」
その笑顔を見たクロは、とうとう隠すことなく深いため息を吐いた。




