見えない意図
オンリーはそう告げると、傍らに控えていたトバラへ視線だけで合図を送った。
わずかな目の動きに込められた意図を正確に受け取ったトバラは、理由を尋ねることもなく、胸元に片手を添え、静かに一礼する。そのまま無駄のない足取りで扉へ向かい、ほとんど物音を立てずに室内から出ていった。
「連絡役として置きたい、ということですか?」
閉じられた扉へ一度目を向けてから、クロがオンリーへ問いかける。
「それも含まれているけれど、できればコロニーで働かせてほしいの」
予想していたものとは少し異なる答えに、クロの眉がわずかに寄った。
課題を受け取り、オンリーへ届けるだけならば、連絡役としてクロたちの近くに置けば済む。わざわざコロニーで働かせる必要まではないはずだった。
「それって、うちで雇ってほしいということですか?」
アヤコが軽く手を上げながら確認する。
ジャンクショップならば、外から一人を受け入れる余地がないわけではない。技術者として働けるかどうかは別としても、連絡役として置く程度ならば何とかなると考えたのだろう。
しかし、オンリーはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。できることなら、シゲルちゃんやクロちゃん以外のところが理想ね」
「私たち以外のところ、ですか」
クロはオンリーの言葉を確かめるように繰り返した。
自分のところへ一人置いてほしいと言いながら、直接雇うのは避けてほしいという。どうにも意図が見えない。
「何か理由があるのですね?」
探るように尋ねたクロへ、オンリーはどこか愉快そうな笑みを向ける。
「そうね。本当なら、きちんと説明するべきなのでしょうけれど……今回は、あえて説明しないでおくわ」
「なぜです?」
クロが間を置かずに問い返すと、オンリーの笑みがさらに深くなった。
「だって、その方が面白そうだから」
悪びれる様子もなく告げられた答えに、クロはしばらくオンリーの顔を見つめたあと、諦めたように深く息を吐いた。
「人を預けようとしている理由としては、あまりにも不安なのですが……」
「あら。きっとクロちゃんにとっても、面白いことになるわよ」
「その言葉で、さらに不安になりました」
クロが額に手を添えたのと、扉が静かに開いたのは、ほとんど同時だった。
「お待たせいたしました」
先に入室したトバラが、いつもの完璧な所作で深く一礼する。
その後ろから、一人の子供が姿を現した。
「ご苦労様。クロちゃん、この子を預けたいの」
オンリーに促され、クロは扉の前に立つ子供へ視線を向けた。
身にまとっているのは、トバラとよく似た黒い執事服。皺一つ見当たらないほど丁寧に整えられ、黒い髪にも乱れ一つない。清潔感があり、身なりだけを見れば何の問題もなかった。
立ち姿も、決して悪くはなかった。
背筋を伸ばし、両手の位置を整え、来客の前で余計な動きを見せないよう意識している。その姿勢からは、真面目に学んできたことが窺えた。
だが、隣に立つトバラと比べてしまえば、どうしても粗さが目につく。
トバラの立ち姿には力みがなく、ただそこにいるだけで周囲の空気まで整って見える。呼吸、視線、指先の位置に至るまで、長い年月をかけて身につけたものが自然に滲み出ていた。
一方、目の前にいる子供は、その形を懸命に再現しようとしているにすぎない。
背筋は伸びているが、わずかに肩に力が入っている。視線も一定の位置に保とうとしすぎており、かえって硬さが際立っていた。優雅に見せようとしているものの、その一つ一つが頭で考えて行われているため、所作と所作の間に、かすかな迷いが残っている。
服装も、姿勢も、礼儀も、どれも一定の水準には達している。
それでも、身についてはいない。
すべてが途中。
すべてが中途半端。
少なくとも、クロにはそのような印象を拭うことができなかった。
「これはまた……」
思わず漏れた言葉を途中で止め、クロはオンリーへ視線を移す。
この子供を自分の近くへ置く。
それも、シゲルや自分の庇護下で働かせるのではなく、別の場所で仕事をさせる。
そこまで考えたところで、オンリーが何を求めているのか、その一端が見えた気がした。
――この子にも、いずれ私の正体を明かせ。
そういうことなのか。
クロが問いかけるような眼差しを向けると、オンリーは言葉を発することなく、静かに頷いた。
肯定を受けたクロは、考え込むように腕を組む。
(はてさて……どういうつもりなのか、まったく読めん)
連絡役として置くだけならば、自分の正体を知らせる必要はない。
クロ・レッドラインという少女が、ハンターとして活動している表向きの情報だけで十分だ。秘密基地や本体、転移を含めた裏側まで明かすとなれば、意味はまったく変わってくる。
しかも、オンリーは理由を説明しようとしない。
何かを試そうとしているのは間違いないのだろうが、それがクロを試しているのか、目の前の子供を試しているのか。あるいは、その両方なのかさえ判然としなかった。
クロはしばらく考えたあと、扉の前に佇む二人へ聞こえないよう声を落とし、オンリーへ顔を寄せる。
「……オンリーさんが、この子に裏側まで見せることを望んでいるのは分かりました。ですが、今すぐ明かすつもりはありません」
クロはそこで一度言葉を切り、改めて扉の前に立つ子供へ目を向けた。
「まずは表向きの事情だけを伝え、その後の態度を見て判断します。ただ、その前に、この子は本当に信用に足るのでしょうか?」
オンリーの紹介でなければ、その時点で拒絶していた。
それほどまでに、クロの正体は軽々しく明かしてよいものではない。
「オンリーさんが選んだ人ですから、できれば疑いたくはありません。それでも、私だけの問題ではありませんので」
秘密基地には、ダリをはじめ、クロの正体と裏側の事情を知る仲間たちが暮らしている。
これはクロ一人の問題ではない。万が一にも外部へ情報が漏れれば、家族や仲間たちの生活と安全まで脅かされる。オンリーが選んだ人物とはいえ、安易に信用するわけにはいかなかった。
「そこは心配しないで」
オンリーは変わらぬ笑みを浮かべたまま、穏やかに答えた。
「万が一、この子が貴方たちの秘密を漏らすようなことがあれば、トバラに責任を持って処罰させるわ」
口調は柔らかく、表情にも笑みが残っている。
けれど、その目だけは笑っていなかった。
迷いも、情もなく、必要とあれば必ず実行させる。そう理解させるだけの冷たい決意が、その眼差しの奥に宿っている。
(つまり、殺すということか……)
クロは内心でそう結論づけながら、改めて扉の前に立つ子供を見つめた。
何も知らないまま、トバラを手本とするように懸命に姿勢を保っている。
「では、ひとまず様子見として、ギルドが開示を認めている範囲まで教える。それでいいですか?」
クロは慎重に言葉を選びながら、オンリーへ確認する。
最初からすべてを明かすつもりはない。まずは表向きの事情だけを伝え、その後の態度を見て、どこまで信用できる人物なのかを判断する。その程度であれば、危険も最小限に抑えられるはずだった。
「ええ。それで構わないわ」
オンリーはあっさりと了承すると、確かめるように言葉を続ける。
「クロちゃんは、バハムートの子供。クレアちゃんは、そんなクロちゃんを守る神獣。そして、エルデちゃんは二人の世話役――そういうことになっているのよね?」
クロの表情が固まった。
すぐには言葉が出てこない。
それは、ハンターギルドの上層部で決められた、クロたちの正体を隠すための表向きの設定だった。
バハムートそのものだとは明かさず、その子供としてクロを扱う。クレアはクロを守る神獣。そして、エルデは二人に付き従う世話役。
確かに、外部へ開示してもよい情報ではある。
だが、誰にでも広く知らされている話ではない。
少なくとも、クロが自らこの設定を口にした相手は、ごく限られている。ジュンとタイソンへ明かしたことはあるが、それ以外へ広く話した覚えはなかった。
「……なぜ、それを知っているんです?」
驚きを隠しきれないまま、クロが尋ねる。
オンリーはその反応を楽しむように目を細めると、どこか誇らしげな笑みを浮かべた。
「私の情報網を、あまり甘く見ないでね」
声こそ柔らかいものの、そこには冗談だけでは済ませられない自信が宿っている。
「ユアオンリーのお客様には、本当にいろいろな方がいらっしゃるのよ。住んでいる場所も、職業も、立場もさまざま。ギルドや軍、各国政府の上層に関わる方も、決して少なくないわ」
オンリーはそこで言葉を切ると、秘密を打ち明けるように声をわずかに落とした。
「もちろん、誰か一人からすべてを聞いたわけではないの。各地から集まった断片をつなぎ合わせ、そこから推測しただけよ」
「推測しただけで、そこまで……」
「あら。情報というものは、一つだけを見ていても、見えるものは限られるわ。けれど、異なる場所から集まった断片を並べてみれば、その奥に隠されたものまで見えてくるでしょう?」
オンリーは当然のことを語るように、優雅な笑みを浮かべている。
クロは再び言葉を失い、目の前に座る人物を見つめた。
ユアオンリー。
どの惑星にも、どのコロニーにも必ず一店舗は存在するといわれる、宇宙規模で展開する超高級ブランド店。
それだけの店舗と顧客を抱えているのならば、商品の流通だけでなく、各地から膨大な情報が集まっていたとしても不思議ではない。
しかも、オンリーはそれらをただ集めているだけではない。
離れた場所から届いた情報を結びつけ、その背後に隠された事情まで読み取っている。
これほど大きな組織を率いる相手の、デザイナーとしての顔だけを見ていたことの方が間違いなのかもしれなかった。
(ユアオンリー……侮れんな。いや、この人を甘く見ていたつもりはなかったのだが……)
オンリーは今も、何事もなかったかのように微笑んでいる。
だが、その笑みの奥にどれほど広大な情報網が隠されているのか。クロには、まるで底が見えなかった。




