最初の道標
「それで、ダリの結果はどうなります?」
オンリーの話が一段落したのを見て、クロが改めて確認する。
ダリへの評価や教えは理解できた。だが、肝心のテストに合格したのかどうかは、まだ明確に告げられていない。
その問いを受けたオンリーは、わずかに考えるような間を置いてから、静かに口を開いた。
「そうね。見込みは十分にあるわ。ただ、今すぐ私の傍へ置いて、直接教えることはできない」
その言葉を不合格だと受け取ったのか、ダリは肩を落とし、がくりと項垂れた。
しかし、オンリーの話はそこで終わらなかった。
「私は、基本的にここからあまり動かないの。だから、クロちゃんに連れてきてもらった時なら、時間が許す限り教えることはできるわ」
どこか含みを持たせながら、面白そうに語るオンリー。
わざと結論を先延ばしにしているようにも見え、クロはわずかに苦笑を浮かべながら、その先を促した。
「つまり、合格ということでいいんですか?」
「もう。クロちゃんはせっかちね。半分合格と言ったでしょう? まずは見習いからのスタートよ」
オンリーは楽しげに微笑みながら、肯定するようにゆっくりと頷いた。
その瞬間、教えを受ける道は閉ざされたと思っていたダリが、勢いよく顔を上げる。
涙で赤くなった瞳が大きく見開かれ、信じられないとでもいうようにオンリーを見つめていた。
「貴方はまだ子供だもの。今から親御さんの傍を離れさせるのは忍びないわ。まずは見習いとして、私から出す課題に取り組みなさい」
オンリーは優しく微笑みながらも、試すような眼差しをダリへ向けた。
「そして成人した時に、正式な弟子として迎えられるか、改めて判断しましょう」
オンリーの声に、ダリの表情がすぐさま引き締まる。
喜びに浸るよりも先に、次の言葉を聞き逃すまいと背筋を伸ばし、真っすぐに向き直った。
「まず一つ。毎月一つ、私からお題を出すわ」
オンリーは人差し指を静かに立てる。
「一つのお題に対して、何枚描いても構わない。途中で考えが変わって描き直してもいいし、違う方向性を試してもいいわ。でも、描いたものは、未完成のものも含め、すべて私に見せなさい」
「完成していないものも、ですか?」
「ええ。完成品だけを見ても、どう考え、どこで迷い、何を捨てたのかまでは分からないもの。私は完成した形だけではなく、貴方がそこへ至るまでに何を考えたのかも見たいの」
「……分かりました」
ダリは緊張を滲ませながらも、しっかりと頷いた。
オンリーはその返事を確かめると、続けて二本目の指を立てる。
「二つ。ダリ自身の個性を育てなさい」
「個性……ですか?」
ダリはその言葉を確かめるように、ゆっくりと繰り返した。
「ええ」
オンリーの表情から笑みがわずかに薄れ、デザイナーとしての真剣な眼差しがダリへ向けられる。
「少し強い言い方をするなら、個性のない作品は、そこに何もないのと同じよ」
静かな言葉だった。
だが、部屋の空気へ深く沈み込むような重さがある。
「私ならどう描くのかを考えるのではなく、貴方ならどうするのかを示しなさい。私の色使いや形を真似ても、私の作品に近づくだけ。それでは、貴方が描く意味がないわ」
ダリは瞬きもせず、オンリーの言葉へ耳を傾けている。
「技術を学ぶことと、作品を真似ることは違う。学んだ技術を使って、自分なら何を描くのか。何を美しいと思い、何を伝えたいのか。その芯を見つけなさい」
「自分の芯……」
「すぐに見つからなくてもいいわ。迷って、描いて、失敗して、その繰り返しの中で少しずつ育てればいい。でも、自分のものを生み出そうとする意志だけは、絶対に手放しては駄目よ」
真剣な表情のまま自分を見つめるダリへ、オンリーは優しい微笑みを向けていた。
厳しい言葉を並べながらも、その奥にあるのは期待だ。
ダリならば、いつか自分自身の個性へたどり着ける。
そう信じているからこその教えだった。
「そして三つ。技術を身につけ、自らの可能性を広げなさい」
オンリーはそう告げると、ダリの前に置かれた作業用端末を指先で示した。
「そこには、私がこれまで描いてきたデザインだけではなく、それらを完成させるまでの過程も入っているわ。最初の着想、途中で没にした案、配色や素材を変更した理由、完成へ至るまでに何を選び、何を捨てたのか。そのすべてが記録されている」
ダリは驚いたように作業用端末へ目を向けた。
完成したデザインだけでも、学べることは数え切れない。
それに加えて、オンリーが何を考え、どのように一つの作品を作り上げたのか。その過程まで収められているとなれば、デザイナーを目指す者にとって、何物にも代えがたい資料となる。
「それを見て、よく学びなさい。完成した形を真似るためではなく、私がどのように考え、答えへたどり着いたのかを知るためにね」
「いっ、いいんですか?」
ダリの声が裏返る。
作業用端末とオンリーの顔を何度も見比べながら、信じられないとばかりに目を見開いていた。
「ええ。貴方へ渡すために用意したものだもの」
オンリーは何でもないことのように答えたあと、笑みを少しだけ深める。
「もちろん、端末は貴方にしか使えないよう登録してあるわ。ほかの誰かが開こうとしても、内部の資料を見ることはできないから安心なさい」
「そこまでしてあるんですか?」
「当然でしょう? 私がこれまで積み重ねてきたものが、すべて収められているのよ」
オンリーはそう答えると、わずかに眼差しを引き締めた。
「でも、端末に守られているからといって、自分から誰かへ見せてもよいわけではないわ。貴方が学ぶために託すものなの。そのことは忘れないで」
「はい!」
ダリは作業用端末を胸元へ引き寄せ、強く頷いた。
「もし自分から誰かに見せようとしたら、その時はクロちゃんにお仕置きしてもらうわね」
「しれっと私を巻き込みましたね」
突然自分の名前を出されたクロが、呆れを含んだ苦言を漏らす。
だが、オンリーは少しも気にする様子を見せず、楽しげな笑みを浮かべたままダリへ言葉を続けた。
「そうね……最初の課題は、銀河標準時間を基準に一か月後までに、先ほどの四人分のデザインをすべて完成させることよ」
ダリの表情に、再び緊張が走る。
四時間では完成させられなかった、オンリー、クロ、クレア、エルデのためのデザイン。
今度は時間切れを言い訳にすることはできない。
「完成させたうえで、残された時間を使い、自分が納得できるところまで磨き上げなさい。それに加えて、その期間中に描いたほかのデザインも、練習でも落書きでも構わないから、すべて見せて頂戴」
「全部……ですか?」
「全部よ。上手く描けたものだけを選んでは駄目。失敗したものも、途中で諦めたものも、貴方が何を考えて描いたのかを知るために必要だから」
オンリーは優しく微笑みながらも、逃げ道を残さず言い切った。
「完成品だけを見せられても、成長の過程までは分からないもの。今の貴方を、そのまま見せなさい」
ダリは作業用端末を両手で抱えるように持ち、その重みを確かめる。
先ほどまで、それは自分の失敗を示すものに思えていた。
けれど今は違う。
ここから学び、描き、いつか自分だけの作品を生み出すために与えられた、最初の道標だった。
「……はい。必ず、描き上げます」
声には、まだわずかな震えが残っている。
それでも、オンリーを真っすぐに見つめる瞳には、先ほどまでになかった確かな光が宿っていた。
「さて。次は、課題をどう提出してもらうかについてなのだけれど」
そこでオンリーは言葉を切ると、何かを思いついたようにクロへ視線を向け、そのままじっと見つめる。
「……何です? 何やら、嫌な予感がするのですが」
向けられた視線に気づいたクロが、わずかに身構えながら問い返す。その表情には、これまで何度もオンリーの思いつきへ巻き込まれてきた者らしい警戒が滲んでいた。
「あら、失礼ね」
オンリーは心外だと言わんばかりに眉を上げたものの、その口元には楽しげな笑みが浮かんでいる。
「私のところの人間を一人、クロちゃんのところへ置いてほしいのよ」




