半分の答え
オンリーがトバラへ軽く視線を送ると、その意図を察したトバラは音もなくダリの傍へ歩み寄り、以前と同じように真っ白なハンカチを差し出した。
ダリは俯いたままそれを受け取ると、頬を伝う涙をゆっくりと拭っていく。
何度拭っても目元には新たな涙が滲んだが、それでも必死に呼吸を整えようとしていた。
オンリーは急かすことなく、その様子を静かに待つ。
やがてダリが顔を拭き終えたことを確かめると、オンリーは組んでいた足をゆっくりと組み直し、改めて正面からダリを見つめた。
「まず、半分合格とした理由から話すわね」
穏やかな声音だったが、慰めるためだけの優しさではない。師として、自らの考えを誤解なく伝えようとする確かな厳しさが込められていた。
「私が評価したのは、私のデザインを組み合わせただけのものを、自分の答えにしなかったことよ」
「それって、使ったら駄目なんですか?」
アヤコが不思議そうに首を傾げる。
端末に用意されていた以上、それを利用することも試験の一部だと思っていたのだろう。オンリーはそんなアヤコへ視線を向けると、わずかに笑みを深めた。
「使うこと自体が駄目なのではないわ。あのデータには、私が用いた技法や素材の組み合わせ、デザインへ至るまでの考え方も記録されている。それを学び、自分の中へ取り込むことは構わないの」
オンリーはそこで言葉を切り、再びダリへ視線を戻した。
「けれど、完成された形を切り分けてつなぎ直し、それを自分の答えとして差し出すのは違う。私が見たかったのは、データを使うかどうかではなく、そこから何を学び、どう自分の答えへ変えるかだったのよ」
ダリはハンカチを握ったまま、静かにオンリーの言葉へ耳を傾けていた。
「貴方は、私のデザインを見て、一つ一つがすでに完成された作品なのだと理解した。そして、それを切り貼りして自分の作品とする道を選ばなかった。その判断が、半分合格とした理由よ」
「そういうことなんだ……」
アヤコは納得しかけながらも、どこか腑に落ちていないように首を傾げた。
「でも、優れたものを使って、さらに良くするのは駄目なの? じいちゃんも、先人が積み上げてきた技術は使うべきだって言ってるけど」
「そうね。ここは、アヤコちゃんのような技術者と、少なくとも私のようなデザイナーとでは、考え方の違いが表れやすいところかもしれないわ」
「考え方の違い……」
アヤコはその言葉を確かめるように呟き、背筋をわずかに伸ばした。
先ほどまでダリを心配していた表情には、今や一人の技術者として、オンリーの考えを理解しようとする真剣さが浮かんでいる。
「ええ。アヤコちゃんのような技術者は、優れた技術を学び、取り込み、理解したうえで、自分のものにしていくのでしょう? 新しい技術が生まれれば、それを受け継ぎ、さらに改良して、より良いものへと進化させていく」
「はい。まあ、私は独学したり、一度解体して仕組みを理解したりする方が好きなんですけど」
アヤコが少しだけ照れたように答えると、オンリーは楽しそうに喉を鳴らした。
「ふふふっ。それも立派な学び方よ。中身を知り、自分なりに組み直すことで、元の技術をさらに先へ進めているのだから」
そこでオンリーは一度言葉を切り、再びダリへ視線を戻した。
「もちろん、技術者に独創性が必要ないという話ではないわ。新しい発明や設計には、その人にしか生み出せない発想が必要でしょうからね」
そして、ダリへ語りかけるように続ける。
「同じように、デザイナーも過去から何も学ばずに作品を生み出せるわけではない。縫い方や素材の扱い方、色の組み合わせ方。そうした技法や知識は学んでいいし、受け継いでいくべきものよ」
静かな声が、張り詰めた室内へ染み渡っていく。
「けれど、たとえ作った本人の許可があったとしても、同じ形、同じ意匠、同じ見せ方を、そのまま自分の発想として差し出せば、それは模倣になる。もっと簡単に言えば――パクリと呼ばれても仕方がないの」
アヤコの表情が、少しだけ引き締まる。
「似ているだけで駄目だと言っているのではないわ。伝統として受け継がれてきた形もあれば、同じ技法や様式を使って作られるものもある。大切なのは、その中に作り手自身の考えがあるかどうかよ」
技術者もデザイナーも、過去から学び、その先へ進んでいく。
けれど、借りた個性を自分の発想として差し出しただけでは、自分自身の表現にはならない。
「何を参考にしたかだけではないの。なぜそれを使ったのか。誰のために、どのように変えたのか。そこに作り手自身の答えがあって、初めて新しい作品になる」
オンリーは静かに言葉を置いた。
「そしてデザインは、作り手がその時、その人、その目的のために生み出す、唯一無二のもの。私は、そう考えているわ」
「受け継いで、進化させる……」
「唯一無二……」
アヤコとダリが、ほとんど同時に呟いた。
二人はそれぞれの立場から、オンリーの言葉を胸の奥で噛みしめていた。
アヤコは技術者として。
ダリは、これからデザイナーを目指す者として。
「ただし、これはあくまで私個人の考えよ」
オンリーは二人を見渡し、表情をわずかに和らげた。
「創作に対する考え方は、人によって違うもの。過去の作品を土台にして新しいものを作る人もいれば、伝統を守り続けることに価値を置く人もいる。そのどれか一つだけが、絶対に正しいとは思っていないわ」
そのうえで、オンリーはダリへ向き直った。
穏やかだった眼差しに、師としての強い意志が宿る。
「でも、私に師事したいというのなら、少なくとも今は、私と同じ方向を見ていてほしい」
ダリの手が、膝の上で強く握られた。
オンリーはその反応を見つめ、美しく微笑む。
「前にも言ったでしょう。私に師事するということは、いつか私を超えるということよ」
「……はい」
「私の後を追うだけではなく、いつか私より遠くまで進んでほしいの」
その言葉を受け、ダリは静かに頷いた。
まだ涙の跡が残る顔には、先ほどまでの悲痛さがわずかに残っている。それでも、その瞳にはオンリーの言葉を受け止め、自分なりに考えようとする真剣な光が宿っていた。
その頷きを見届けたオンリーは満足そうに微笑むと、張り詰めていた空気を和らげるように、ゆっくりとソファーへ深く身を沈める。
「今すぐに、確固たる志を持てとは言わないわ。まだ貴方は若いもの」
先ほどまで師として厳しさを見せていた声音が、少しだけ柔らかくなる。
「これから多くのものを見て、触れて、学んでいく中で、考え方が変わることもあるでしょう。もしかしたら、私では思いつきもしなかったような志を持つかもしれない」
オンリーは未来のダリを思い描くように、穏やかに目を細めた。
「願わくば、その志が、美をさらに先へ進めるものであってほしいわね」
「……はい」
ダリは小さく答え、ハンカチを握る手に力を込めた。
その一言には、先ほどまでのような弱々しさだけではなく、確かに前を向こうとする意志が滲んでいた。
まだ、進む先が明確になったわけではない。
それでも、自分の足で歩き始めようとする決意が、ダリの中に芽生えつつあった。
本来、オンリーが語った一連の言葉は、ダリへ向けられたものだった。
だが、いつの間にか真剣に耳を傾けていたアヤコの胸にも、深く響いていた。
これまでアヤコは、面白いと思うものを作り、知りたいと思った仕組みを解き明かしてきた。
好きだから作る。
知りたいから解体する。
できないことがあれば、できるようになるまで試す。
その気持ちだけで、今まで走り続けてきた。
けれど、オンリーの言葉を聞きながら、アヤコは初めて、その先にあるものを考え始めていた。
自分は何を目指し、何を残したいのか。
そして、自分が生み出した技術を、誰のために使いたいのか。
答えはまだ見つからない。
それでも、その問いは確かにアヤコの胸へと根を下ろしていた。
だが、オンリーの言葉を、二人とはまったく異なる意味で受け止めている者もいた。
「私には、なかなか耳の痛い言葉でしたね」
静かに漏れたその声に、室内の視線が一斉に集まる。
声の主は、クロだった。




