テストの行方
「それはそれとして、このアセンダンスシリーズ、買い取らせてもらえませんか?」
「あっ! そういえば、クロだけ着替えてない」
アヤコが今さら気づいたように声を上げる。
クロは今もアセンダンスシリーズを身にまとったままだった。
あまりにも自然に着こなしていたためか、メイドたちを除けば、アヤコたちは誰ひとりとしてそのことに気づいていなかった。
「いいわよ。その服は、もともとクロちゃん用に制作したものだからね。それに、エルデちゃんやアレクちゃんたちのアセンダンスシリーズも制作してあるから、帰る際に用意するわ」
「それは……いくらになります?」
クロは少しだけ緊張しながら尋ねた。
これだけの品質だ。
いくら請求されるのか、正直なところ想像もつかない。
だが、オンリーはそんなクロの心配を見透かしたかのように、美しく微笑んだ。
「お代はいらないわよ」
「え?」
「その代わり、次も私のお願いを聞いてくれれば、それでいいわ」
あまりにも軽く告げられた条件に、クロは少し考え込むように目を細める。
金額が決まっている方が、まだ分かりやすかったかもしれない。
(これはまた、パレードやショーに参加させられそうだな)
これまでの経験から考えても、十分にあり得る。
「それは……場合によっては、お金を払う方が安かったかもしれませんね」
「あら。失礼ね」
オンリーは楽しそうに笑い、クロも苦笑を浮かべた。
服の価値に疑いはない。
問題は、その対価として次に何を頼まれるのかだった。
クロには、そちらの方が少しばかり恐ろしく思えていた。
「その服の詳しい機能一覧については、あとでデータを送っておくから確認して頂戴ね」
「はい。ありがとうございます。お願いの方は、お手柔らかにお願いしますね」
「大丈夫よ。無茶なお願いじゃないから」
オンリーはそう言って、悪戯っぽく片目を閉じた。
そのウインクを見たクロは、本当に大丈夫なのだろうかと少しだけ不安を覚えながらも、苦笑しつつ頷く。
そんな時だった。
どこからか、澄んだ鐘の音が室内へ流れてくる。
それまで穏やかに続いていた会話が途切れ、皆の意識が自然とその音へ向けられた。
「四時間ね」
オンリーは静かにそう告げると、ルビーたちへ向けて軽く手を上げた。
それを受け、ルビーたちは揃って一礼する。
そして何も言わず、そのまま室内を後にした。
入れ替わるように扉が開く。
姿を現したのは、トバラとダリだった。
室内に残っていた和やかな空気が、ほんの少しだけ引き締まる。
オンリーは紅茶を一口飲むと、カップを静かに置き、ダリへ視線を向けた。
「さて、時間になったけど……どう?」
トバラに案内されるまま、ダリはオンリーの対面にあるソファーへ腰を下ろした。
「クロ。これ、どんなテストなの?」
隣に座るアヤコが、ダリへ視線を向けたまま小声で尋ねてくる。
「私とクレアとエルデ。そして、オンリーさんの服のデザインを四時間以内に作るというテストです」
「それって、激ムズじゃない?」
説明を聞いたアヤコは目を見開き、心配そうにダリを見つめた。
だが、極度に緊張しているためか、ダリはアヤコがいることにも気づいていない様子だった。
視線を落としたまま、両手で大切に抱えていた作業端末を、ゆっくりとテーブルの上へ置く。
その表情は暗い。
指先には力が入り、身体全体が今にも震え出しそうなほど張り詰めていた。
トバラはそんなダリの前へジュースをそっと置くと、何も言わず、いつものようにオンリーの傍へ控える。
しばらく、誰も言葉を発しなかった。
やがてダリは俯いたまま、絞り出すように声を漏らす。
「……ダメ……でした」
あまりにも悲痛なその一言に、それまで穏やかだった部屋の空気が、一気に重く沈んでいった。
「どうしても……できませんでした。オンリーさんのデザインデータを見ました」
ダリは泣きそうになるのを堪えるように唇を震わせながら、ゆっくりと話し始めた。
オンリーは何も言わず、静かにダリの言葉へ耳を傾けている。
「どれも……素晴らしいデザインでした」
その言葉とともに、堪えていたものが溢れた。
涙が一粒、ダリの頬を伝って落ちる。
膝の上で握られた手には力が入り、声も次第に震えていった。
「僕には、あれを使う資格なんてありません」
ダリは苦しそうに言葉を続ける。
「だって……あれは、一つ一つがもう完成されていました。それを切り貼りして、新しい形にしても、超えることなんてできない」
唇を噛みしめる。
悔しさ。
情けなさ。
そして、自分の力が届かないことへの恐怖。
それらが入り混じった感情を押し出すように、ダリは声を絞り出した。
「むしろ……僕が手を加えたら、ダメにしてしまう」
その言葉が落ちたあと、室内には重い沈黙が広がった。
誰もすぐには口を開けない。
ダリだけが俯いたまま、流れ落ちる涙を止めることができずにいた。
オンリーは、ダリの言葉を最後まで黙って聞いていた。
そして、表情を変えることなく、一つだけ問いかける。
「では、何もしなかったということかしら?」
「……いえ」
ダリは小さく首を横へ振った。
「一からやろうとしました。でも……」
そこで言葉を詰まらせる。
しばらく視線を落としていたダリは、やがて意を決したように顔を上げ、真っすぐオンリーを見つめた。
その頬は、すでに涙に濡れている。
「オンリーさんを超えるデザインを……描くことができませんでした」
震える声で、それでも逃げることなく言い切る。
オンリーはそんなダリを静かに見つめ、ほんのわずかに目を細めた。
「そう……」
短い一言。
そこにどんな感情が込められているのか、ダリには読み取ることができない。
「オンリーさん。ダリを認めてあげられないの?」
たまらず、アヤコが会話へ割って入る。
だが、その言葉を遮るように、クロが静かに口を開いた。
「駄目ですよ。これは、私たちが手を出してはいけないことです」
「でも!」
「お姉ちゃん。自分に置き換えて考えてみてください」
クロは少しだけ声を落とし、真っすぐアヤコを見る。
「もし、お父さんがお姉ちゃんにテストを出したとします。そして、お姉ちゃんが必死になって挑んだ結果、認めてもらえなかった」
アヤコは何も言わず、クロの言葉を聞く。
「その時、横から私が庇って、『頑張ったんだから認めてあげてください』と言ったら、お姉ちゃんは嬉しいですか?」
「それは……」
アヤコは言葉を詰まらせた。
すぐに答えられない。
自分が同じ立場ならどう思うのか。
必死に挑み、それでも届かなかった時、誰かの擁護によって認められることを、本当に望むのか。
そう考えると、それ以上の言葉が出てこなかった。
「クロちゃん。いいこと言うわね」
オンリーは感心したように目を細める。
「そうでもないですよ。それより、テストの結果はどうなんです?」
クロはそう返し、オンリーへ視線を向けた。
その問いに、オンリーは少しだけ間を置く。
そして、不安そうに自分を見つめるダリへ、穏やかな笑みを向けた。
「半分合格ね」
「……え?」
思いもよらなかった言葉に、ダリは涙に濡れた顔のまま、呆然とオンリーを見つめた。




