遠い世界の思い出
やがてオンリーが舞台裏へと姿を消し、その余韻を色濃く残したまま、ファッションショーは閉幕した。
オンリーは関係者への挨拶のため、そのまま舞台裏に残った。一方、アヤコたちは着替えるため、再びメイドたちに付き添われ、それぞれの部屋へと戻っていった。
クロだけは着替えることなく、アセンダンスシリーズを身にまとったまま、一足先にオンリーの部屋へと戻っていた。
先ほどまでの華やかな舞台とは異なり、室内には穏やかな静けさが流れていた。
クロはソファーへ腰を下ろし、アヤコたちや、先ほどまで傍にいたルビーの姿がない室内を見渡す。
「皆様はお着替え中でございますので、今しばらくお待ちくださいませ。なお、ルビーは現在、オンリーワン様のお傍に控えております」
トバラはそう告げると、流れるような所作でコーヒーを淹れた。
湯気とともに香ばしい香りが広がり、クロの前へ静かにカップが置かれる。その一連の動きには、いつものことながら一切の無駄がない。
「ありがとうございます」
クロは軽く頭を下げ、カップへ手を伸ばした。
一口飲む。
ほどよい苦味と深い香りが口の中へ広がり、先ほどまで続いていた慣れない緊張を、少しずつ解きほぐしてくれるようだった。
「ところで、ダリはどうしています?」
「最初は私もお傍に控えておりましたが、集中したいとのことでございましたので、今は部屋の前に部下を待機させております。何かございましたら、私もすぐに伺えるようにしておりますので、ご安心くださいませ」
「なるほど」
クロは小さく頷き、もう一度コーヒーへ口をつける。
そして、以前から少し気になっていたことを口にした。
「そういえば、トバラさん」
「はい。何でございましょう」
「どんなスキルを持っているんです?」
何気なく尋ねたつもりだった。
だが、トバラは一瞬たりとも表情を変えない。
いつもの穏やかな笑みを崩すことなく、ただ一言。
「秘密でございます」
「やっぱり言えませんよね」
「ほほほっ。クロ様にも秘密がおありになるように、私にも幾つかございますので」
「それはそうですね」
クロは苦笑し、それ以上の追及を諦めた。
聞いたところで、トバラが簡単に答えるとは思っていなかった。
ならばと、クロは話題を変える。
「そうそう。この前、転生者に会ったんですよ」
「ほお」
それまでと変わらなかったトバラの表情に、ほんのわずかだけ興味の色が加わった。
「それは珍しいことでございますな。私も長く生きておりますが、出会った転生者は数えるほどしかおりません。クロ様はお仕事柄、そうした方と出会う機会も多いのでございましょうか」
「いえ。私も、トバラさんを含めて三人ですね。ですが、この前会った人は……まあ、力に酔っていましたね」
「ほほほっ。なるほど」
トバラはどこか納得したように目を細める。
「ゲームに登場する典型的な悪役のような方だった、ということでございますか?」
「ええ。まさにそんな感じでしたよ。特別な力を持つ自分たちは、普通の人より優れている。だから上に立つのも当然だ、というような考え方でした」
「なるほど。転生して力を得た結果、自らを選ばれた者だと考えるようになったのでございますな」
「そんなところですね」
クロはコーヒーを飲みながら、小さく息を吐いた。
「ユウタという人なんですが、最初はもう少し話ができると思っていたんですよ。同じように前の世界の記憶を持っているなら、少しくらいは分かり合えるかと思ったんですが……無理でしたね」
「それは残念でございましたな」
「ええ。本当に」
短く答えたクロだったが、その声音には怒りよりも、わずかな落胆が混じっていた。
せっかく出会った、自分と同じように別の世界の記憶を持つ者。
けれど、その出会いは懐かしさを分かち合うものにはならなかった。
トバラはそれ以上深く問いかけることなく、静かにクロの話へ耳を傾けている。
その距離感が、クロには心地よかった。
「そういえば、トバラさんは何が好きだったんです?」
「転生前のことでございますか?」
「はい。漫画とか、アニメとか、ゲームとか」
「ほほほっ。随分と懐かしい話題でございますな」
トバラは穏やかに笑う。
その笑みは、いつもの完璧な執事のものと変わらない。
けれど、ほんの少しだけ、その奥に懐かしさが混じっているようにクロには見えた。
そこから二人の会話は、自然と遠い過去の話へ移っていった。
好きだった漫画。
夢中になったアニメ。
夜更かしして遊んだゲーム。
今となっては題名さえ曖昧になった作品もあれば、どれほど時間が過ぎても忘れられない場面もある。
「ああ、それは知っています。私も見ていましたよ」
「ほお。クロ様もでございますか」
「ええ。あの場面は格好良かったですよね。実用性なんて関係なく、ああいうのは浪漫です」
「ほほほっ。それには同意いたします」
宇宙を飛び回る戦艦も、巨大なロボットも、本来なら空想の中にしか存在しなかったもの。
けれど今、クロたちは、それらが現実となった世界で生きている。
だからこそ、昔はただ憧れていただけの話も、今ではまったく違う意味を持って聞こえた。
転生してからどれほど長い時間が過ぎても、転生前の記憶は消えていない。
クロにとっては、誰かとこうして昔の作品について語り合うことそのものが珍しかった。
世界が変わり、身体が変わり、生きた年月さえ数えきれないほどになった。
それでも、こうして口にすれば、遠い記憶は昨日のことのように蘇ってくる。
「あの作品の続編、結局どうなったんでしょうね」
「さて。私がこちらへ来た後に制作されていれば、知る術がございませんな」
「それが転生の一番困るところかもしれませんね」
「ほほほっ。違いございません」
そんな、どうでもいい話で笑うことができる。
かつて好きだった漫画やアニメ。
夢中になったゲームの思い出。
どれも、この世界で生きていくためには必要のない、たわいもない話だった。
だからこそ、不思議と楽しかった。
遠い世界を知る者同士でなければ、交わせない話なのだから。
ファッションショーの華やかな余韻がまだ残る部屋で、クロはコーヒーを飲み、トバラは静かに給仕を続けながら、ときおり昔を懐かしむように笑った。
そうして二人は、しばらくの間、穏やかに話へ花を咲かせていた。
「クロがあんなに楽しそうに話してるなんて、珍しい」
「トバラ様が、あのように笑っておられるのも珍しいことです」
戻ってきたアヤコとエメラルドは、楽しそうに会話を続ける二人の姿を前に、少し驚いたように部屋の入口で足を止めていた。




