桜色の姫
エメラルドが静かに道を開ける。
その先に立っていたのは、一瞬、クロが見たことのない人物のように思える少女だった。
いつもはワックスで固められている赤いミドルショートの髪が、今は柔らかく下ろされている。丁寧に整えられた毛先は内側へゆるくカールし、赤い髪の艶が光を受けて淡く揺れていた。
頭上には、繊細な細工のティアラ。
小さな宝石が散りばめられたそれは、派手すぎないのに確かな存在感を放ち、アヤコの赤い髪をより華やかに見せている。
耳元には、揺れるイヤリング。
首元にも細いネックレスが添えられ、普段の作業着姿からは想像できないほど、上品な輝きをまとっていた。
身にまとっているのは、淡いピンクで統一されたドレスだった。
胸元から腰にかけては、繊細なレースと小さなリボンで飾られている。甘さはある。けれど、子どもっぽいだけではない。赤い髪と重なることで、可憐さの奥に、少しだけ大人びた華やかさが生まれていた。
肩には、薄いピンクのストール。
柔らかな布地は腕に沿って流れ、アヤコが少し身じろぎするだけで、光を含んだ花びらのように揺れる。
前側のスカートは膝上で軽やかに広がり、動きやすさと可愛らしさを残している。だが、その後ろからは長いトレーンが流れるように伸び、床へ優雅に広がっていた。
少女らしさと、姫としての華やかさ。
その二つが、一着のドレスの中で静かに重なっている。
だが、クロが一番驚いたのはメイクだった。
作業のあとには機械油や細かな汚れが薄く残ることもある頬は、今は淡いピンクに整えられ、光を受けてかすかに煌めいている。目元には淡くアイシャドウが施され、普段の快活な印象に、少しだけ大人びた深みを添えていた。
唇には、薄い赤の口紅。
派手ではない。
けれど、だからこそアヤコ本来の明るさと可愛らしさが、静かに引き出されている。
そこにいたのは、いつものジャンプスーツ姿で工具を握るアヤコではなかった。
「アヤコ様には、『サクラの花が開くように、少女から大人へと階段を上る姫』というコンセプトをもとに彩らせていただきました。まさに、至福のひとときでございました」
エメラルドは満足そうに微笑む。
だが、その言葉を聞いても、クロは動けなかった。
目の前にいるのは、間違いなくアヤコだ。
けれど、クロの知るアヤコではない。
いつも明るく笑い、工具を握り、機械油の匂いをまとっている少女。そのはずなのに、今は淡いピンクに包まれ、ティアラを戴き、ほんの少し大人びた表情で立っている。
その変化があまりにも大きくて、クロは言葉を失っていた。
そんなクロの腕の中から、クレアが軽やかに飛び降りる。
クレアはアヤコの周りを小さく走り回り、正面から、横から、少し離れた位置から、その姿を何度も見上げた。
尻尾が嬉しそうに揺れる。
背中の小さな翼も、それに合わせてぱたぱたと動いていた。
言葉にしなくても、喜びがあふれていることは一目でわかる。
「アヤコねぇ! 綺麗っす! お姫様っす!」
エルデもまた、アヤコの姿に目を輝かせていた。
驚きはある。
けれど、それ以上に心の底からの称賛が声に乗っていた。
「もう、エルデ。言い過ぎ」
アヤコは少し困ったように笑う。
けれど、その頬はうっすら赤い。
照れくささを隠しきれないまま、ストールの端をそっと指で押さえている。
すると、クレアはさらに嬉しそうに尻尾を振り、エルデも負けじと声を弾ませた。
「言い過ぎじゃないっす! 本当にお姫様っす!」
その明るい声に、近くで控えていたモデルたちの視線も自然と集まっていく。
「さすが……これ以上ないくらい愛らしいわ」
「黄色のワンピースの子も素敵だけれど、あのピンクのドレスの子はまた別格ね」
「私はあの小さな狼ちゃんに惚れたわ。可愛すぎるもの」
「これは、負けていられないわね。私たちも、もっと輝かなくちゃ」
小さなざわめきが、ランウェイの裏側に広がっていく。
それは嫉妬ではない。
競い合う者たちが、互いの輝きを認めた時に生まれる、静かな熱だった。
クロはその中心で、まだアヤコを見つめていた。
そして、ようやく小さく息を吐く。
「これは……化けましたね」
その言葉に、アヤコはむっとしたように眉を寄せた。
すかさず、控えていたルビーが、クロへそっと小声で注意する。
「クロ様。その言い方では、アヤコ様に失礼でございます。一言でよろしいのです」
ルビーに諭され、クロはそこでようやく、自分の言葉の何がいけなかったのかを理解した。
(そういえば、似合わないと言っていましたね)
クロは姿勢を正し、改めてアヤコへ向き直る。
そして、今度は余計な言葉を挟まず、真っすぐに告げた。
「とても綺麗です」
「でしょ。私を舐めないでね」
ようやく笑顔を見せたアヤコに、クロは素直に頭を下げる。
「はい。似合わないと言って、すみませんでした」
「ようやくわかったわね。で、それだけ?」
確認するようなアヤコの声に、クロは少し考え、それからもう一度しっかりと答えた。
「とても、よく似合っています。さすが、お姉ちゃんですね」
それは、クロが珍しく柔らかな笑みを浮かべて告げた、飾り気のない本音だった。
その一言に、アヤコは一瞬だけ目を丸くした。
そして、照れくさそうに視線を逸らす。
「……そういうことを最初から言えばいいのよ」
口ではそう言いながらも、その頬は先ほどより少し赤い。
その横で、ルビーは満足そうに微笑み、クレアは嬉しそうに尻尾を振り、エルデは何度も頷いていた。




