最初の問い
「こちらトロピカルジュースでございます」
差し出されたのは、ガラスのコップに注がれた鮮やかなジュースだった。
給仕を終えたメイドは一礼し、サービングカートをトバラのそばへ運ぶと、その場から下がっていく。
見事な給仕だったが、ダリの関心はそこにはなく、目の前に置かれた器に釘づけになる。
(切子が入ってる……! しかも、ジュースの色とものすごく合ってる!)
光を受けるたび、細かな文様が淡く輝き、果実の色を含んだ液体と重なって、まるで器そのものが飲み物の一部になっているようだった。
器に見入るダリを見て、オンリーワンはくすくすと笑みを浮かべる。
「クロちゃん。この子のことね」
「ええ。デザインの勉強中でして、その師匠に、ということで連絡しました」
「そう」
トバラは、サービングカートの上で静かに紅茶を淹れていた。淹れたての紅茶をオンリーワンの前へ差し出すと、音もなく一歩下がる。
オンリーは、その香りを楽しむように、優雅に口をつけた。
「テストしてほしいということだったわね。それは構わないわよ。でもね」
そこでカップを置き、今までの優雅な表情とは別の、真剣な顔を浮かべた。
「見込みなしと判断したら、受けることはない。この私、オンリーワンに、二度と教えを乞うことは許さない」
そう告げて、オンリーワンは真っすぐダリを見つめる。
その視線を受けた瞬間、ダリは思わず姿勢を正した。胸の奥がきゅっと縮む。けれど、目を逸らしてはいけないと、本能のように分かっていた。
「その覚悟があって?」
静かな問いだった。
だが、その言葉には、飾り立てた空間の美しさよりもなお強い重みがあった。
ダリは息を吸い、真っすぐに答える。
「はい!」
オンリーワンは、その返事に小さく頷いた。
「なら聞くわ。あなたは誰?」
真っすぐに向けられた問い。
それは、かつてクロにも向けられたことのある問いだった。
ダリはごくりと唾を飲み込み、思わず俯く。
(僕は誰……? 誰って、何を答えればいいの?)
頭の中が混乱する。
名前を答えればいいのか。家族のことを言えばいいのか。それとも、自分が何をしたいのかを言えばいいのか。答えの形が見えず、胸の奥で焦りだけが膨らんでいく。
クロは我関せずとばかりに、静かにコーヒーへ口をつけていた。クレアもミルクを美味しそうに舐め、エルデはトロピカルジュースを飲みながら、どこか落ち着いた様子でダリを見守っている。
誰も助けようとはしない。
これは、ダリ自身が答えなければならない問いなのだ。
(僕は……僕は……)
やがて、ダリは顔を上げた。
まだ声は少し震えている。それでも、オンリーワンから目を逸らさず、自分なりの答えを口にする。
「僕はダリです。デザインが大好きで、将来、デザイナーになることを目指しています」
その答えに、オンリーワンはただ黙ったままだった。
そこで終わりかと思われた、そのとき。
ダリはもう一度、小さく息を吸った。
「今はまだ、卵どころか、生まれてもいない。夢しか語れない僕ですが……」
言葉を選びながら、けれど逃げずに続ける。
胸の奥にあるものを、オンリーワンへぶつけるように。
「だからこそ言います。将来、貴方を超えるデザイナーになる……予定です」
「最後のところは、ちゃんと言い切りなさい」
思わず、クレアが鋭くツッコミを入れた。
その一言で、張り詰めていた空気が少しだけ柔らかくなる。
オンリーワンは表情をわずかに緩めると、軽くクレアの頭を撫でた。
「そうね。そこは言い切ってほしかったところね」
オンリーワンの言葉を受け、ダリはさらに肩を落とした。
たった一言。その一言が、ダリには断罪の言葉のように聞こえた。
その様子を見届けると、オンリーワンは今度、同じ問いをエルデへ向けた。
「エルデちゃんにも聞くわ。あなたは誰?」
その問いに、ダリは思わずエルデを見る。
自分があれほど悩み、言葉を探し、震える声で答えた問い。それをエルデは、まるで難しいことなど何もないと言わんばかりに、元気よく答えた。
「エルデっす」
「え、それだけ?」
思わずダリの口から言葉が漏れる。
するとエルデは、不思議そうに首をかしげてダリを見返した。
「何がっす? だって、エルデはエルデっすよ」
その答えに、オンリーワンは満足げに目を細めた。
あまりにも真っすぐな答えだった。
飾ることも、背伸びすることもない。ただ、自分は自分だと迷いなく言い切る声。
その潔さに、ダリは何も言えなくなり、不合格という言葉が、頭上から落ちてきたような気がした。
(僕は……間違えた)
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。
何も言葉が出ない。
目の奥が熱くなり、涙がにじみ始める。ダリはぎゅっと拳を握り、泣くまいとして強く目をつむった。
(悪いのは僕だ……。ちゃんと答えられなかった、僕が……)
そう自分に言い聞かせる。
だが、その沈黙を破ったのは、思いもよらないオンリーワンの言葉だった。
「さて、まずは合格ね」
「えっ!」
ダリは涙を浮かべたまま、はっと顔を上げた。
驚きのあまり、目元に溜まっていた涙がこぼれそうになる。
「あら、泣いちゃったのね。ごめんなさい」
オンリーワンが軽く手を振る。
すると、すぐにトバラが静かに歩み寄り、真っ白なハンカチをダリへ差し出した。
「お使いください」
「あ、ありがとうございます」
ダリは戸惑いながらもハンカチを受け取り、こぼれかけた涙をそっと押さえた。
「ごめんなさいね、紛らわしくて。貴方の答えは合格よ。ただ、最後のところが締まらなかった。そこは残念だったけれどね」
オンリーワンはそう言うと、カップを手に取り、紅茶に口をつけた。
「いい? 夢を大きく持つこと。それ自体は、美しいわ。それに、自分のことを客観的に見られていたところも良かった。その年で、自分の未熟さまで言葉にできた。それは、悪くないわ」
オンリーワンから向けられる称賛の言葉に、ダリはまた涙が溢れそうになった。
先ほどまで自分は間違えたのだと思い込んでいた。だからこそ、今の言葉は胸の奥に深く染み込んでくる。
「私を超える。それも良かったわ。師事するということは、すなわち師を超えること。私はそう思っているわ」
そこで、オンリーワンはふとクロを見る。
「まあ、中には絶対に超えられない存在もいるけれどね」
「私はデザイン面に関しては素人です。まあ、戦闘力という意味では、超えられない壁であることは間違いないと思いますが」
クロはコーヒーを飲みながら、しれっと自分が越えられない壁であることを認めた。
そのあまりにも自然な言い方に、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
「ふふっ。そうね」
オンリーワンは楽しげに笑うと、改めてダリへ視線を向けた。
「でも、ダリ。貴方がこのオンリーワンに師事するということは、その覚悟を持ってもらわなければならないの。貴方には、それがあった。だから、まずは合格」




