秘密基地の作業場
クロはクレアとエルデを連れ、会議室を出た。
廊下の奥。行き止まりにしか見えない壁の前で、クロはそこに取り付けられた転移ドアへ手をかける。
ドアが静かに開いた。
その先にあったのは、壁ではなかった。明るい銀色の廊下が、まっすぐ奥へと伸びている。
クロが一歩踏み込むと、境界そのものが揺れたような感覚とともに、空気が変わった。背後にあった店の気配が遠ざかり、足音の反響が少し高くなる。肌に触れる空気も、急に冷たく澄んだものへと切り替わった。
クレアはクロの足元に寄り添い、エルデは興味津々といった様子で、きょろきょろと周囲を見回している。
「おお……やっぱりこの切り替わり感。すごいっすね」
転移のたびに変わる感覚に、エルデは思わず声を漏らした。その声は、銀色の廊下に小さく響き、すぐに澄んだ空気の中へ溶けていく。
やがて、クロたちは居住区画の隅に設置されているドアから外へ出た。
そこは、秘密基地レッドラインの中だった。
整えられた廊下には無駄なものがなく、壁面を走る照明が静かに足元を照らしている。コロニーとは違い、人の生活臭よりも、管理された施設特有の清潔な空気が漂っている。
そのとき、廊下の奥から一台のドローンが滑るように近づいてきた。
「いらっしゃいませ。バハムート様」
ドローンのスピーカーから、レッドラインの声が響く。
その上には小さなホロディスプレイが浮かんでおり、可愛らしい黒いゴーレムのキャラクターが表示されていた。丸みのある体に、愛嬌のある目。こちらへ向かって、丁寧にお辞儀までしている。
「迎えに来なくてもいいですよ。ところで、その可愛いゴーレムは?」
クロがまじまじとドローンの上のホロディスプレイを見つめながら尋ねると、黒いゴーレムは、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに胸を張った。
「これはダリが描いた私の姿です。気に入りましたので、メインの姿としました。差別化のため、ドローンゴーレムを略して、ドロムとお呼びください」
「ドロムですか。まあ、いいです」
クロが苦笑すると、ドロムは満足したように小さく頷き、そのまますっと一つの扉の前へ移動した。
「ところで、こちらの家はいつご使用されますか?」
不思議そうにクロたちが近づくと、ドアが横へ滑るように開いた。
中に広がっていたのは、普通の平屋造りを思わせる住居スペースだった。ドロムに案内されるまま玄関から室内へ入ると、正面には大きな窓があり、その向こうには森の情景が映し出されている。
ただの映像だと分かっていても、木々の揺らぎや差し込む光は妙に自然で、どこか落ち着く雰囲気を作り出していた。
間取りは、いたってシンプルだった。リビングとキッチンに加え、奥には二つの個室がある。
だが、生活するための家具や道具は一切置かれていなかった。広いリビングも、キッチンも、奥の部屋も、まだ誰にも使われていない。まるで引っ越し前の室内のように、整いすぎた静けさだけがそこにあった。
「広いっすね! 何にもないっす!」
エルデは目を輝かせながら、何もないリビングを軽く走り回った。扉を開け、トイレや他の部屋までのぞき込み、まるで新しい遊び場を見つけた子どものようにはしゃいでいる。
「ここは、バハムート様、クレア、エルデ専用の家になります」
「私はここに住む予定はないんですが」
クロが少し呆れたように呟くと、ドロムはわずかに肩を落とすような動きを見せた。その仕草には、分かりやすい落胆がある。
「やはり……分かっていましたが。ですが、いつでもここで住むことができますので、その際はぜひご使用ください」
「はいはい。他の人たちも同じような感じですか?」
クロは軽く受け流すように返事をし、玄関を出て廊下へ戻った。
それに気づいたエルデも、慌ててリビングから走って戻り、クロに追いつく。
「いえ。それぞれの要望を聞いた上で構築しています。アレクたちは四人で暮らせるよう、個室を四つ備えた共同住宅風。ヒコノ家は、一軒家風で構築済みです」
「何でもありっすね」
エルデが素直に感心したように呟くと、ドロムはその言葉に反応し、自信に満ちたポーズを取った。
「それが、この基地型ゴーレムの強みです。内部を最適化し、資材さえあれば拡張が可能。これも端末と多くの血石を取り込んだ成果です」
「それは分かりました。とりあえず、ダリのところに行きましょう」
クロは自慢げに胸を張るドロムを軽く流し、そのまま作業場へ向かう。
「すぐそこです」
ドロムは流されることも分かっていたのか、落ち込む様子もなく、すぐさまクロたちに追いついた。そして、軽やかに先導するように進みながら、近くにある作業場へと案内を始める。
「ここですね。では、私はここで。また御用がありましたら、名前を呼んでいただければすぐに駆け付けます」
ドロムはそう言うと、近くに設置されていたドローンスタンドへ向かった。
小さな黒いゴーレムのホロ表示が軽く一礼し、ドローン本体はそのまま静かにスタンドへ収まる。光が落ち、動作音もすっと消えた。
「基地内にあるドローンであれば、どこにでも現れられる、ということですかね」
クロはドローンスタンドを眺めながら呟く。
「そうみたいですね。クロ様への忠誠心が強くて、良いと思います」
クレアはそう答えた。
言葉だけを聞けば認めているように聞こえる。だが、その横顔には、ほんの少しだけ面白くなさそうな気配があった。
(いくらクロ様の血から生まれたとはいえ、一番は私です)
胸の奥に浮かんだ対抗心を、クレアは尻尾の先にだけ滲ませる。
だが、クロはそんなクレアの小さな感情には気づかないまま、扉の横にあるボタンを押した。
短い電子音が鳴り、続いて内部のロックが外れる音がする。
扉が横へ滑るように開いた。
「入りますよ」
クロが一声かけてから中へ入ると、奥から「どうぞ」と返事があった。
室内へ足を踏み入れた瞬間、視界いっぱいに色と光が広がる。
いくつものホロディスプレイが空中に浮かび、そこには服のデザイン、奇妙な形をした建築案、愛嬌のあるキャラクター、用途の分からない装飾案まで、様々な図案が次々と表示されていた。
線画、色見本、立体モデル、動くラフ画。
それらが幾重にも重なり、部屋全体がまるで一つの大きな創作空間になっている。
そのホロディスプレイに埋もれるようにして、ダリは作業台の前に座っていた。
手元のペンを軽やかに走らせ、楽しげに絵を描いている。
周囲の光に照らされたその表情は、完全に自分の世界へ入り込んだ者のものだった。
その姿を見て、クロは少しだけ目を細めた。どうやらここは、ダリにとって悪くない場所になり始めているらしい。




