託されたもの
笑いの余韻がわずかに残る中で、クロだけは静かに表情を戻した。
「さて、では私なりの責任を果たしましょうか」
「責任?」
ジュンが不思議そうに問い返す。
すると、クロの正面に小さな別空間が開いた。
空気が静かに歪み、その奥から二つの苗木が落ちてくる。細い幹に、まだ頼りない枝。葉も少なく、見た目だけなら、どこにでもありそうな小さな苗木だった。
「その木は何?」
ジュンもタイソンもアリも、思わず苗木へ近づいた。
ジュンはそのうち一つを手に取ると、まじまじと見つめる。指先で葉に触れ、幹の感触を確かめるように軽く撫でた。
もう一つはタイソンが手に取り、アリが横から覗き込む。
品種も、由来も、特別な気配もわからない。どこにでもある苗木としか思っていない三人の様子に、クロはどこか満足げだった。
「どうです。名前も知らない、見たことのない木でしょ」
「そうだな。どこにでもあるような木に見えるが……」
タイソンの困惑した声に、アリも同意するように頷いた。
「で、この苗木は何なの?」
ジュンは、もったいぶるようなクロを少しだけ急かすように尋ねる。
するとクロは、待っていましたと言わんばかりに目を細め、その正体を口にした。
「世界樹の苗木ですよ」
「へえ……世界樹!」
一拍遅れて、ジュンの声が跳ね上がった。
その瞬間、手にしていた苗木が落ちかける。ジュンは慌てて両腕で抱きかかえるように受け止めると、そのまま力が抜けたように床へ座り込んだ。
「世界樹って、あの、よく物語やゲームで出てくるような?」
「はい」
クロの満足げな答えに、ジュンはもちろん、アリやタイソンまでもが怪訝そうな目でクロを見る。
「それって……」
ジュンが期待を込め、何かを言いかける。
だが、その前にクロがあっさりと付け加えた。
「ちなみに、傷が治ったり、死者が生き返ったりという効果はありません。奇跡を起こす木というわけではなく、そう呼ばれているだけの木です。元々住んでいた星で大きく育った木の苗木ですね。一応、神樹として扱われていたものになります」
その説明に、ジュンたちは黙って聞き入った。
世界樹。
神樹。
そう呼ばれる存在を、クロはまるで鉢植えでも渡すような軽さで差し出している。
だが、その軽さとは裏腹に、苗木を抱えるジュンの腕には自然と力が入っていた。
「一応、力はあるんですが」
「その力って?」
神樹と言われ、物語に出てくるような奇跡を少しだけ期待していたジュンが、恐る恐る問い返す。
クロは何でもないことのように告げた。
「なに、大木として育てば、その星は良い星。腐り落ちれば、悪い星。そう判断するための木です」
その言葉に、室内の空気が少しだけ変わった。
ただの苗木に見えていたものが、急に別の意味を持ち始める。
「その、悪い星って判断された時、この世界樹が何かを起こすの?」
ジュンは何かを飲み込むように、かすかに喉を鳴らした。
だが、その緊張とは逆に、クロはあっさりと首を横に振る。
「いえ、ただ腐って終わりです」
「そう……か」
ジュンは少し安心したように息を吐いた。
だが、その安堵は長く続かなかった。
「ただし」
クロの声が、静かに続く。
その一言だけで、緩みかけた空気がぴたりと止まった。
「その時は救い無しとみなし、この星系を私が責任をもって破壊します」
あまりにも淡々とした宣告だった。
ジュンは抱えていた苗木へ視線を落とし、先ほどよりも強く腕に力を込める。
「これが、私なりの責任です」
クロの真面目な声が、室内に響いた。
「それはもう、塵すら残すことなく、一瞬のうちに消滅させますので、頑張ってくださいね」
笑顔で語られたその言葉は、あまりにも重かった。
それは、まさに呪い。
何よりも重く、そして逃げ場のない呪いだった。
「別に、明確な指標があるわけではないです。日々を一生懸命に生き、先に進もうとする意思があれば大丈夫です」
「停滞は許されない。そういうことかのう」
アリが確認するように尋ねる。
その表情は、いつものような飄々としたものではなかった。先ほどまでウォーガイへ向けていた時のような、冷たさを含んだ視線がクロへ向けられている。
「どう捉えるか。それは、この国の人々次第です」
クロは、あえて答えを断定しなかった。
割れた窓から吹き込む風に、黒い髪が静かに揺れる。
「世界樹は、細かな善悪を裁くためのものではありません。人が争ったからどうとか、誰かが罪を犯したからどうとか、そういう単純なものでもない」
「では、何を見る木かな?」
アリの問いに、クロは少しだけ目を細めた。
「さあ。ただ、私が知る限り、あの木が本当に枯れる時は……もうその星が、戻れないところまで傾いた時だけです」
淡々とした言葉だった。
だが、その内容は重い。
戦争でも、混乱でも、罪でもない。もっと深い場所にあるもの。星そのものが進む先を、静かに見ている木。
ジュンは腕の中の苗木へ視線を落とした。
小さな葉は、何も語らない。
ただ、そこにあるだけだった。
「だから、普通に生きている限りは問題ありません。迷っても、間違えても、立ち直れるならそれでいい。少なくとも、世界樹はその程度で簡単に枯れるほど繊細な木ではありません」
「前を向けるかどうか……」
「まあ、そういう言い方もできますね」
クロはそこで目を閉じ、過去を思い出すように少しだけ黙った。
そして、どこか情けないものを吐き出すように、ぽつりと続ける。
「むしろ、前の星では私自身が色々と動きました。争いの種になりそうな計画も、挑む者が現れるような仕掛けも、何度も用意しましたが……結局はすべて裏目に出て、世界は平和なままでした。私の行動で世界樹が枯れることはありませんでした」
そこで、クロは深いため息を吐いた。
「せっかくダンジョンまで作ったのに、誰も来ませんでしたし」
その言葉だけは、先ほどまでの宣告とは違い、ほんの少しだけ拗ねたような響きを帯びていた。
「まあ、それは置いておきましょう。別に戦争をしようが、平和に暮らそうが、駄目になる時は駄目になります。その時は、私が消し去るだけです。それが千年先になるのか、数年後になるのかはわかりませんが」
「すべては、ここに生きる者たちにかかっているわけか」
アリは静かに世界樹へ手を伸ばし、葉に触れた。
軽く揺れる小さな葉。
そこに未来が託されたような、そんな気がした。




