差し出された星系
対応の決まったギルドとは違い、会議室では、ウォーガイが目の前の化け物への対応を迫られていた。
以前、ディク・バオウル大将の作戦として実行された、オンリーワン奪取作戦。
クリフィス中将の指揮下に置かれ、精鋭を集めた第七艦隊。
そのすべてを、塵すら残さず消し飛ばした化け物。
それが今、目の前で問いかけている。
ウォーガイの喉が、ひゅっと鳴った。
答えればどうなるのか。黙っていればどうなるのか。どちらを選んでも、助かる未来が見えない。
バハムートは漆黒のフレアを掲げたまま、ゆっくりと首を傾けた。
「もう一度聞くが、クリフィスとかいう奴の仲間はいるのか、と聞いている」
再び、声が響く。
それは怒号ではなかった。
だが、怒鳴られるよりも恐ろしい声だった。
逃げ道を一つずつ塞いでいくような、静かで重い問いかけ。
ウォーガイは震える唇を動かそうとしたが、言葉は喉の奥で絡まり、声にならなかった。
「答えないか……なら、聞け」
バハムートの声が、さらに低く響く。
掲げられた漆黒のフレアが、空の上でゆっくりと膨れ上がっていく。光を呑み込む闇の塊は、都市全体を見下ろすように広がり、その存在だけで人々の呼吸を奪った。
「お前らの愚かな行動に対する対価を頂く。あのくだらない模造品を俺だと偽り、責任を押しつけようとした。その対価をな」
その言葉に、ウォーガイの肩が大きく震えた。
つい先ほどまで、自分がマルティラへ突きつけていた理屈。
支援の対価。
返せないなら国を差し出せ。
その論法を、今度は自分たちが突きつけられている。
バハムートは極大のフレアを空高く掲げたまま、ゆっくりと口角を上げた。
「選べ」
その声は、都市全体へと降り注ぐ。
「お前らの国を、俺の住処にするため全国民を追い出したうえで、差し出すか」
漆黒のフレアが、さらに脈動する。
「それとも、この星系を差し出すか」
あまりにも理不尽な二択。
だが、その場にいた者たちは誰一人として笑えなかった。
なぜなら、それはほんの少し前に、ウォーガイがマルティラへ突きつけていたものと同じだったからだ。
力を持つ者が、理屈と文書を盾に、弱った相手からすべてを奪おうとする。
その理屈を、今度は圧倒的な力で突き返されていた。
ウォーガイの顔から、完全に血の気が引いた。
「ウォーガイ大将。調印しましょう」
重く沈んだ会議室の中で、アリは静かにそう言った。
「な……に……」
ウォーガイは、喉の奥から絞り出すように声を漏らし、信じられないものを見るようにアリへ顔を向ける。
アリは何事もなかったように、椅子とテーブルの上に散ったガラス片を軽く手で払いのけると、落ち着いた動作でホロディスプレイを展開した。
そこに、調印書が映し出される。
「お互い、因果なものですな」
アリは静かに語り始めた。
「新天地に行かねばならぬ者同士です。どうすることもできないでしょう」
その声に怒りはない。
アリはウォーガイをまっすぐに見た。
「ならば、調印して、一緒に地獄へ落ちましょう」
ドリーム星系側から見れば、どちらも地獄に変わりはなかった。
国を失う。
自由を失う。
その先に待つ未来が、ろくなものではないことくらい誰にでもわかる。
だが、ウォーガイにとっては違う。
フロティアン国が巻き込まれるとなれば、話はまったく変わってくる。
「貴様……! 我々を道連れにする気か!」
ウォーガイが震える声で叫ぶ。
アリは表情を変えなかった。
「逆ですよ、ウォーガイ大将」
静かな声だった。
だが、その響きは刃のように冷えていた。
「あなた方が、我々を道連れにしようとしているんです。そこを履き違えないように」
アリは調印書を示し、淡々と続ける。
「支払い不能なら国を渡せ。そう言ったのはあなたです。ならば、我々が支払えない以上、文書通りに進めるしかありません」
そして、わずかに目を細めた。
ウォーガイは悔しそうに唇を噛み、必死に考えを巡らせる。
このままでは、フロティアン国そのものが巻き込まれる。
だが、マルティラを手放せば、これまでの工作も、支援も、圧力もすべて無駄になる。
恐怖と打算が頭の中で渦を巻く中、ウォーガイは一つの答えに辿り着いた。
「調印の内容を変更します」
声は震えていたが、それでもどうにか言葉を形にする。
「完全に取り込むのではなく、属国とします。そして、その属国化によって得る統治権と支配権を、バハムートに差し出す」
アリの目がわずかに細くなる。
(この男はまだ、自分たちだけは逃げられると思っている)
アリは苛立ちを押し殺し、ちらりとジュンへ視線を向けた。
タイソンはまだジュンの前に立ち、庇うように身構えている。その背越しに、ジュンはアリの視線に気づき、ほんの一瞬だけバハムートを見上げた。
その目に迷いはなかった。
(クロ。信じますよ)
ジュンの視線が、そう語っていた。
そして、アリへ向けて小さく、しかし確かに頷く。
それだけで、十分だった。
「……我々としては、どう転んでも変わりません。お好きにどうぞ」
アリが淡々と了承すると、ウォーガイは恐怖をこらえながら、割れた窓の向こうにいるバハムートへ声をかけた。
「わ、私はフロティアン軍所属の、ウォーガイ大将……」
「そうか。お前が、クリフィスとかいう奴の仲間だな」
バハムートの巨大な顔が、割れた窓へ近づいた。
それだけで、室内の空気が変わる。
恐怖。
その一言が、形を持って入り込んできたようだった。
ウォーガイは喉を鳴らし、必死に意識をつなぎ止める。
逃げ出したい。
目を逸らしたい。
だが、目の前の存在から逃れられるはずもない。震える身体を叱りつけるように、ウォーガイは何とか言葉を押し出した。
「は、はい。提案を受け入れる……ます」
声は裏返り、言葉も乱れていた。
命令する側にいた男が、今は敬語の使い方すら見失っている。
それでも、ウォーガイは必死に話を続けた。
「たっ、ただし、この星系を差し出します。我が国の属国であれば、対価として十分なはず……」
「一つ、勘違いするなよ」
バハムートの声が、低く落ちた。
その瞬間、ウォーガイの言葉が止まる。
「俺は、お前の国が嫌いだ。差し出すというなら、まず属国にするのをやめろ」
バハムートは、にっと笑みを浮かべた。
それは獣の笑みではない。ただ、抗うことすら許さない存在が、答えを待っているだけの笑みだった。
「そうしなければ……」
空高く掲げられていた漆黒のフレアが、さらに上昇していく。
大気を抜け、雲を突き破り、宇宙へと浮かび上がる。
そして、バハムートはそれをわざと大きく爆発させた。
最初に襲ったのは、音だった。
星の空を裂くような轟音が遅れて降り注ぎ、続いて衝撃波が大地を揺らす。建物が軋み、砕け残った窓枠が震え、会議室の者たちは床に伏せることすらできず、ただその場で恐怖に縛られた。
だが、それでもなお、バハムートはまだ何も壊していない。
壊せる力を見せただけ。
その事実が、何よりも恐ろしかった。




