揺れる声、変わらぬ名
エクスフラックは背後にバハムートを従え、トゥドウへ向けて飛んでいた。試作艦らしい鋭い輪郭を震わせながら、艦は一直線に前へ突き進んでいく。後方では、バハムートの巨体が一定の距離を保ったまま追随しており、その肩にいるヨルハの姿まで見て取れた。
「推進力はさすがね」
ブリッジでは操縦桿を握るジュンが、流れていく景色を見据えたまま小さく呟く。試作艦ゆえの不安要素は多い。だが、加速と伸びに関しては文句のつけようがなかった。艦体そのものは癖が強く、扱いも難しい。けれど、前へ食らいつくようなこの伸びだけは、設計思想どおりに鋭かった。
「クロねぇとどっちが速いっすか?」
アレクに、どの機器をどう見て支援に回ればいいのかを教わっていたエルデが、ジュンの呟きを拾って顔を上げた。まだ手元の操作にも慣れ切っておらず、端末の上に指を置いたまま、こらえきれないように問いを挟む。
「エルデさん。今はそんな話をしている暇はないです」
アレクがやんわりと注意を入れる。声音は穏やかだったが、発艦直後の艦内である以上、気を散らされるわけにもいかないという現実も滲んでいた。
だが、エルデは少し渋い顔をする。
「呼び捨てでいいっすって言ったっすよ。だって、気になるっすよ」
そう言いながら、どうなのかと視線で答えを催促する。叱られてもしおれるような性格ではない。むしろ、気になった事はそのままにしておけないらしく、瞳だけはきらきらと輝いたままだった。
ジュンはそんな様子に苦笑を漏らし、前方へ流れていく星の光と計器の数値をひと通り確認してから答えた。
「私が知っている限りでは、二番目です」
操縦に意識を割いたままの返答だったが、迷いはなかった。
「一番は?」
間髪入れずに返ってきた問いに、ジュンはごく自然に答えた。
「クロ。バハムートですね」
その言葉に、エルデは「やっぱりっすか」とでも言いたげに目を丸くする。驚きより納得の方が強いらしく、すぐに口元を緩めた。
「そうっすよね。クロねぇは速いっす」
「あれはもう、速いという次元じゃなかったけどね」
ジュンはそう言って、わずかに遠い目をした。あの制圧の最中、言葉にしがたい移動速度に振り回された感覚が、今も身体の奥に残っているのだろう。
そんなジュンの顔を見て、エルデはくすくすと笑う。
「仕方ないっす」
容易にその光景を想像できたアレクも、腕を組みながら苦笑し、ぽつりと呟いた。
「社長は、速い遅いで比べられる相手じゃないでしょう」
『なんだか好き勝手に言ってるな』
その時、ブリッジに男の声が響いた。
あまりにも唐突だった。エルデとアレクは揃って肩を跳ねさせ、ジュンまでもが思わず目を見開く。
「クロ……ですか?」
ジュンが通信先を確認しつつ問いかけると、ホロディスプレイには確かにクロの姿が映っていた。
だが、普段見るクロとは少し違う。ホロディスプレイに映っているのは、アヤコが組んだ疑似コックピットアプリの中のクロだった。見慣れているはずの姿なのに、こうして枠の中に収まった形で映ると、いつものクロとは少しだけ印象が違う。そのわずかなずれが、ジュンには妙に引っかかった。
『そうだ。これが本来の声だな。クロの時とはずいぶん違うだろ』
力強く、それでいて面白がるように響く声に、ジュンは目を瞬かせながらも素直にこくりと頷く。
そんな声に、エルデは唇を尖らせて少し不満そうにし、アレクはばつが悪そうに苦笑した。
「いきなりでびっくりしたっす」
「社長。別に悪い意味で言っていたわけじゃないです」
エルデが非難するような声を上げ、アレクが少し笑いつつ取り繕うように言葉を添える。
そんな二人に、クロは愉快そうに笑った。
その表情は、普段のクロからはまず見られないものだった。少女の顔立ちに浮かんだ笑みは、今までのクロからは想像できないほど大きく緩んでいて、ジュンはさらに驚かされる。
『気にしてない、気にしてない。それよりどうだ、ジュン。本来の声は。カッコいいだろ?』
「その……いい声だとは思いますが」
ジュンは少し言葉を選びながら答える。正直な感想ではある。だが、目の前の少女の姿との落差が凄まじく、どう反応するのが正解なのかまでは分からなかった。
「クロねぇ。なんか、キモいっすよ」
エルデが笑いながら遠慮なく言うと、すぐにアレクから短く注意が飛ぶ。だが、当の本人はまったく気にした様子を見せない。
『いや、仕方ないだろう。なら、クロの声で喋るか? たまにはこの声で喋らせてくれ。どっちも俺だが、忘れられそうでな』
そう言って苦笑するクロに、エルデは遠慮なく本音をぶつけた。
「どっちでもいいっす。クロねぇはクロねぇっすよ」
その言葉に、アレクも静かに頷く。
「まあ、そうですね。社長は社長ですし」
けれど、ジュンだけはまだ割り切れないらしい。視線をホロディスプレイへ向けたまま、小さく呟く。
「私としては、違和感しかないんですけど」
『慣れてくれ』
即答だった。そこに迷いも遠慮もない。
だが、言い切った後のクロの声音はどこか楽しげで、無理に押し通すというより、反応そのものを面白がっているようでもあった。
『ところで、あとどのくらいで着く?』
話を切り替えるように問われ、ジュンはすぐに意識を操縦へ戻す。前方の航路表示と現在位置を確認し、淡々と答えた。
「もう10分ほどで、トゥドウ地区に一番近い都市を通過します」
それを聞いたクロは、満足したように小さく頷いた。
ホロディスプレイの向こうでは、バハムートの巨体が変わらぬ距離でエクスフラックを追っている。肩にいるヨルハも微動だにしない。
前方の航路表示には、目的地まで残りわずかという数字が浮かんでいる。トゥドウは、もう目の前だ。




