帰還前の油断
クロが会議室でだらりとしている頃、アヤコたちはブラックガーディアンへ辿り着いていた。
道中、タンドールをファステップで降ろした。そのあとでアヤコたちはブラックガーディアンへ戻っていく。緊張感に満ちた場から離れたはずなのに、完全に気が抜けるわけではない。だが、それでもようやく一息つける場所まで戻ってきたという安堵は、誰の胸にもあった。
「自分たちはクーユータ側で作業してますので、皆さんはランドセル側で休んでてください」
「わかりました。アンジュさんたちも休んでね」
アヤコの言葉に、アンジュとポンセは軽く頭を下げる。だが、すぐに休むつもりはないのだろう。そのままクーユータ側へ向かうエレベーターに乗り込んでいく。一方、アヤコたちはランドセル側のハッチへ通じるエレベーターへ向かい、そちらへ乗り込んだ。
扉が閉まり、機械的な音と共に静かに移動が始まる。
「しかし、思った以上に楽だったな」
シゲルがにやにやしながら端末を取り出す。どこか拍子抜けしたような、それでいて面白がっているような声音だった。
その隣では、スミスもサングラスを一旦上へ押し上げ、同じように端末へ視線を落としている。いつもの確認作業というより、画面を見つめる目つきがわずかに深かった。
「そうですね。しかし、クロには悪いことをしたな」
スミスが低く呟く。
本来なら苦労して突破し、時間をかけて漁るはずだった場所だった。だが実際は、拍子抜けするほどあっさり中を見せた。結果としては早く済んだ。
「仕方ないよ、父さん。セキュリティは簡単に突破できちゃったし、解析しようにも何も見たまんまだったしね」
ウェンが苦笑交じりに言いながら、その時のことを思い返す。
クロとジュンが出てすぐ、こちらも作業を始めた。もっと手間取ると踏んでいた。厳重に隠された裏データ。何重にも仕込まれた偽装。下手をすれば、解析班泣かせの嫌がらせめいたウイルスまで覚悟していた。
だが、実際に開いた先にあったのは、妙に整えられた管理データと、必要な情報が必要な形で並んでいるだけの画面だった。あまりにも素直で、全員が一瞬手を止めたほどだ。
「特に変なウイルスがあるわけでもなかったし、データを纏めるだけで終わっちゃったし」
ウェンは肩をすくめる。その軽い口ぶりとは裏腹に、端末を見る目にはまだ割り切れない色が残っていた。
「そうだね。それぞれの企業から物流データを持ってこようと思ったら、この基地で一元管理だったし、特にブラフデータもなかったしね」
「表立って企業側が仕入れできないからだろうな。ここには居ないことになっているからこそ、こういう方式を取っていたんだろう」
スミスがそう言うと、シゲルも納得したように頷く。
「セキュリティ面は、恐らくだがこの基地の特色によるものだ」
「アウトローたちが牛耳っていたのなら、そこまでセキュリティに力を入れてたとは思えねぇしな」
シゲルは端末を見たまま鼻を鳴らす。
正規の企業施設ではない。表向きにはここに存在してはいけない企業が、物資や情報を回すための施設。そういう場所だからこそ、厳密な企業式の防御よりも、そもそも辿り着かれないこと、見つからないことを前提に組まれていたのだろう。
一度踏み込まれたあとの弱さは、むしろ露骨だった。
隠し通せる前提で作られた場所は、中身を見られた時点で急に脆くなる。今回の一件は、まさにそれだった。
ウェンは端末を指先で弾きながら、小さく息を吐く。
「逆に助かったよ。企業側の隠された設計データとか、テストデータの方は思いっきりセキュリティが高かったしね。でも、そのおかげで貴重なデータが手に入ったのも事実だよ。もしあっちまで手ごわかったら、まだまだ時間がかかってたはずだし」
口調は軽い。だが、その中身は軽くない。
表向きの物流データは拍子抜けするほど素直だった。けれど、設計データやテストデータに触れた途端、隠し方も防御の張り方も露骨に変わった。その落差だけで、相手が何を本気で抱え込んでいたのかは十分に伝わってくる。
アヤコも苦笑しながら肩をすくめる。
「そうだね。クロには悪いことしたかも。こんな機会、めったにないから、表のデータだけじゃなくて非公開データも見たくなっちゃったね」
悪びれきらない言い方だったが、後ろめたさがまったくないわけではない。
本来なら、もっと危険で厄介な作業になると見積もっていた。だからこそ、数日かかると見積もってクロに伝えていたのだ。だが、いざ蓋を開けてみれば、表向きの物流データの回収はあっさり終わった。
「技術者として……いや、人として、手に届く宝は欲しいわな」
シゲルはにやにやしながら端末の画面をなぞる。
そこには、シゲルたちにとってまさに宝の山と呼ぶしかないデータが詰まっていた。企業側が秘匿していた設計資料、試験記録、調整履歴。最初にメモしていた公開情報とは比べものにならない。端末をなぞるシゲルの口元が緩んでいるだけで、その価値は十分伝わった。
「でも、クロが一旦戻ってきた時は焦ったね。その時、まだデータを漁ってたから、解析中だって嘘ついちゃったよ」
アヤコが思い出したように笑う。
クロとジュンが一旦戻ってきた時のことだ。ジュンはその場で倒れ込み、クロはアヤコの端末に映るデータを覗き込んでいた。
ばれるかとも思った。だが、クロは画面の意味をきちんと理解できていないようで、アヤコが時間がかかると告げても特に深く追及はしなかった。
助かったと思う一方で、胸の奥にわずかな引っかかりも残った。
「あれはナイスだった、アヤコ。時間稼ぎとしては申し分なかった。まあ、もう少しで終わってたが、念のためもう一回確認したかったしな」
シゲルが愉快そうに口元を歪める。
あの時のことを思い出したのか、ウェンもスミスも苦笑した。もしクロにデータを漁っていたことまで気づかれていれば、あれこれ説明を求められていただろう。さらにジュンまで意識を戻していたら、途中で止められていたかもしれない。そういう意味では、運が良かったと言うしかない。
「じいちゃん。まずどれから整理する?」
問いが落ちたのとほとんど同時に、エレベーターのドアが開いた。
アヤコたちは揃って降り、ランドセル側のハッチを開いて中へ入っていく。内部は、外の空気とは切り離されたような静けさに包まれていた。ひとまず戻ってきたという安堵はある。だが、それで全部が終わったわけではない。むしろ、ここから持ち帰ったものをどう整理し、どう扱うかが次の問題だった。
そして、その静けさも長くは続かなかった。
リビングの方から、笑い声が聞こえた気がしたからだ。
この後、アヤコたちはタサルたちと遭遇し、案の定ひと騒動起こすことになる。しかも、その怒りの矛先は報告を怠ったクロへ向く。
「クロ~~! 帰ってきたら説教だからね!!」
アヤコの声が、ランドセル内部へ元気よく響き渡った。




