束の間の静けさ
その後、気まずそうにしたアヤコが会議室を後にするため準備を始めると、それに合わせるようにシゲルたちも片付けを始めた。
「レッド。カバンに入れ」
シゲルがそう声をかけると、先ほどまで枕代わりにされていたレッド君がのそりと立ち上がる。やわらかい体を揺らしながらカバンへ近づくと、そのまま体を丸めるように中へ潜り込んだ。中で軽く向きを変え、上を見上げた状態で顔がすっぽりと収まる。
見事な収まり具合だった。
あまりにも自然に入り切ったその光景に、クロは思わずぽつりと漏らす。
「こう見ると、シュールですね」
するとシゲルは満足げに口元を歪めた。
「連れてきて正解だった。中々面白れぇ反応が見れたな」
「それだけのために連れてきたんですか?」
クロが若干呆れながら尋ねると、シゲルは迷うことなく頷く。
それはもう、ひどく満足そうだった。
クロは小さく息をついた。真面目な顔をしていても、こういうところで平然と面白さを優先する。いかにもシゲルらしい。だが、そのどうでもいい部分が残っているからこそ、この場の息苦しさもわずかにほどけている。
そして、先に準備を終えていたアンジュへ、クロは声をかける。
「アンジュ。ファステップとコンテナを積み込んでおいてくださいね」
「了解です」
アンジュはすぐに頷き、端末を操作しながら手早くメモを取り始める。その横顔には疲れも見えたが、それでも仕事は仕事と割り切っているのがよく分かった。
やがて準備が整うと、アヤコたちは会議室を後にしていく。先ほどまで人の気配で満ちていた空間は、彼女たちが出ていったことで少しだけ静けさを取り戻した。
会議室に残るのは、クロ、クレア、エルデ、そしてジュンだけだった。
「ジュン。アリ中将と通信を繋いでください」
「どうするんです?」
「ユウタのことを話しておきたいと思いまして。それと、コーヒーです」
クロはそう言うと、椅子の背もたれを少し倒し、そのまま天井を見上げた。張りつめた空気の中でも、ほんのわずかに力を抜くような仕草だった。
肩にいたクレアはその動きに合わせてひらりと飛び降りる。クロの腹の上へ軽やかに着地すると、そのまま伏せの姿勢になった。まるでそこが当然であるかのような落ち着きぶりだった。
「自分はオレンジジュースがいいっす。クレアねぇは?」
「私はいりません」
クレアはそう言うと目を閉じ、ゆったりと尻尾を振り始める。言葉数は少なくても、その仕草だけで今は少し気を抜いているのが伝わってきた。
「クロ……さん。これからどうするんです?」
ジュンは端末を操作しながら尋ねる。だが、声にはわずかな硬さが残っていた。クロの正体を知ってしまったことで、どうしても今までと同じ距離感に戻りきれていないのだろう。
「さんはいいですよ。今まで通りで」
クロは目を閉じたまま、そう返した。そして小さくうーんと唸るように声を漏らしながら、天井へ向かって手を伸ばす。肩や背を解すような、気の抜けた動きだった。
「さすがに少し疲れましたね。ここ数日、動きっぱなしでしたから」
その声には、珍しく隠さない疲労が混じっていた。弱音というほどではない。ただ、事実として少し消耗しているのだと分かる声音だった。
「クロねぇでも疲れるっすか?」
エルデが意外そうに目を丸くする。
その反応に、クロは薄く笑う。
「疲れますよ。寝なくてもいい体ですが、さすがにちょっとね」
軽く言っているが、その言葉の裏にはここ数日の密度が滲んでいた。移動して、見て、戦って、探って、また動く。その繰り返しだったのだ。止まる暇もなく走り続けてきたのだから、いくらクロでも消耗はする。
それでも、弱ったようには見せない。
椅子にもたれ、腹の上に乗ったクレアの重みを受け止めながら、クロは静かに呼吸を整えている。その姿には不思議な安定感があった。疲れていても崩れない。むしろ、少し力を抜いた今の方が、かえって底の見えなさが際立っているようにも見える。
ジュンはそんなクロをちらりと見たあと、端末へ視線を戻した。
先ほどまでとは違う意味で、言葉を選んでいるような間がある。正体を知ったからといって、急に何もかもが変わるわけではない。だが、何も変わらないとも言えない。その戸惑いがまだどこかに残っている。
クロはそれを急かさなかった。
今まで通りでいいと口にした以上、本当にそれで通すつもりなのだろう。相手が慣れるまで待つことすら、さしたる問題ではないというように。
やがてドローンで運ばれてきたコーヒーがテーブルに置かれる。会議室には、コーヒーの香りと端末を操作する微かな音、そしてクレアの尻尾がゆるくクロの腹を打つ気配だけが残った。
張りつめた話の続きが、もうすぐ始まる。




