崩れる空気、零れる正体
「アンジュ、ポンセ、タンドール。今までのことを纏めて報告書にしておいてください。ギルド用と、アリ中将の分です」
クロはそう指示を出しながら、自身の端末を操作する。直後、これまでの行動データがアンジュたちの端末へ送られていき、それに合わせるようにアヤコたちも解析した内容を共有し始めた。次々と転送されていく情報量に、アンジュたちの表情がわずかに引きつる。
「ブラックガーディアンで作業してもいいですよ。もうここには用はないですので」
さらりと言うクロに対し、受け取ったデータの量を見たアンジュたちは思わず額に汗を滲ませる。だが、その場を代表してタンドールがきちんと頷いた。
「わかりました。ところで、シゲルさんたちはこれからどうします? 戻られるなら、キャンピングカーを運転しますが」
タンドールがそう尋ねると、アヤコがちらりとクロを見る。
「クロ、もう少しいてもいいかな。少しデータを整理したいし」
「いいですが、データ整理ならついでにアンジュたちにやらせますが?」
「社長……」
クロのあまりにも当たり前のような言い方に、ポンセが呟くように苦笑する。すると今度は、ウェンが横から口を挟んだ。
「そのデータじゃないよ。コピーした企業の設計データとかのこと」
しかも、軽くウインクまで交えた堂々たる言い方だった。
クロはその返答に苦笑しつつ、ふと、おや、と思う。
いつもなら、こういう時こそすぐに苦言を挟んでくるはずのジュンが、まったく反応していなかったからだ。
不思議そうに視線を向けると、ジュンはそのやり取りにまるで気づいていないかのように、ただ黙って宙域図を見つめていた。消沈した表情は隠しようもなく、先ほどから視線だけは画面へ向いているのに、その中身を本当に見ているのかどうかも怪しいほど、気持ちが沈んでいるのが分かる。
「ジュン?」
クロが声をかける。
しかし、反応はない。
その様子に、クレアが仕方ないと言いたげに小さく息をつくと、クロの肩からひらりと飛び降りた。とことことジュンの膝元まで歩いていき、そこで組んでいた手に軽く噛みつく。
「いった!」
ようやくジュンが声を上げ、反応を見せる。驚いた顔のまま手元を見ると、そこにはもう噛んだままではなく、すでに離れてやれやれとした顔を向けているクレアがいた。
「クロ様が呼んでますよ」
静かに、だが少し呆れを含んだ声音だった。
ジュンはその言葉に押されるように、クロのもとへ戻っていくクレアを目で追い、それからゆっくりとクロへ視線を向ける。視線が合う。
「ショック、ですか?」
クロが真っ直ぐに尋ねると、ジュンはすぐには答えなかった。
「……お父さんから聞いて、ある程度は覚悟していました」
噛まれた手をさするような仕草を見せながら、ぽつりと漏らす。だが、その手は次第に止まり、いつの間にか拳が作られていく。指先に力がこもり、白くなるほど強く握り締められていた。
「ですが……ここまで……」
そこから先の言葉が出てこない。
目の前に突きつけられた現実は、覚悟していたはずの範囲を明らかに超えていたのだろう。内戦が仕組まれたものだとは聞いていた。裏で糸を引いている者がいることも、アリ中将との話で知っていた。だが、ここまで流通も金も情報も、人の命までもが誰かの掌の上で回されていたとなれば、そう簡単に受け止めきれるものではない。
「なに。これからです」
悲観に沈みかけたジュンへ、クロはきっぱりと言い切った。
迷いのない声音だった。
「遅い早いを言っても仕方ないです。全ては始めた者たちの責任です。ジュンがそこまで悲しむ必要はない」
「しかし!」
「しかしも何もないです。大丈夫」
クロはそう言って、少しだけ微笑んだ。
慰めるために無理に作った笑みではない。根拠があるからこそ出せる、静かな確信を含んだ表情だった。小柄な身体のまま、けれどその言葉だけは場の誰よりも揺らがない。
ジュンは思わず言葉を失う。
クロはそんなジュンを真っ直ぐ見つめ返したまま、はっきりと告げた。
「私が来ました。もう大丈夫ですよ」
大きな声ではなかった。だが、その言葉は不思議なほどまっすぐ会議室に通った。ただ事実を述べただけのような静けさが、かえって絶対的な頼もしさを帯びている。
しん、と場が静まる。
その空気を破ったのは、アヤコだった。
「ジュンさん。クロは、その、色々と常識がないけど、安心してください」
胸を張り、自信を滲ませながら、やけにはっきりと言い切る。
「なんせ、バハムートだし。きっと解決しますよ」
その言葉に、今度はクロが固まった。
ぴたりと動きが止まる。
「バハムート? その子供ではなく?」
ジュンの問いには疑いがあった。
クロ自身が、バハムートの子供だと言っていた。その本人が、実はバハムートそのものだというのだから、すぐに呑み込める話ではない。まさか、と思う気持ちは当然あった。
だが同時に、どこか納得しかけてもいた。
これまでの行動を思い返せば、むしろそう考える方が自然だったからだ。規格外の戦闘力。あまりにも常識の外にいる振る舞いの数々。その全部が、今さらになって別の形へ繋がり始めている。
アヤコはそんなジュンへ、迷いなく頷いた。
「クロはバハムートそのもの。だから、どんな事も破壊してのけるよ」
堂々たる断言だった。
ジュンは驚いたまま、だがどこか納得も滲ませながらクロを見る。
その視線の先では、クレアがやたら誇らしげに胸を張り、尻尾をぶんぶん振っていた。まるで自分のことのように得意げな顔。
それとは対照的に、クロは目を閉じ、何とも言えない顔をしていた。
頭痛でも堪えるような、諦めと脱力が入り混じった表情だった。
「アヤコ。お前、クロが正体を隠してるって忘れてねぇか?」
シゲルが呆れた声を出す。
「あれ? 言ってたんじゃないの。頻繁に転移や別空間を使ってるから、てっきり言ってるものかと」
「そこはバハムートの子供で通すって話だったじゃねぇか」
シゲルはアヤコを指差し、半ば馬鹿にするように笑いながら突っ込む。
アヤコはそこでようやく、しまった、という顔をした。
だが、もう遅い。
言葉は綺麗に会議室へ響き渡り、誤魔化しようのない形で共有されたあとだった。
沈んでいた空気は、別の意味で一気に崩れる。
アヤコがそろそろと周囲を見回すと、ウェンもエルデもこちらを見てにやにやしていた。スミスは小さく苦笑し、アンジュたちは何も言わず、ただそっと視線を外していた。
だが、それでも今この場には、さっきまでとは違う妙な温度が流れ始めていた。深刻な話の最中だというのに、肝心なところで台無しにしていく。それがまた、いかにもこの面々らしい。




