重なる輪郭
クロが不思議そうに尋ねると、シゲルはすぐには答えず、一度だけゆっくりと目を閉じた。思い返すような、あるいは余計な名を口にしないよう言葉を選んでいるような間だった。
「すまんが、名前は明かせねぇ。だが、あえて言うなら――唯一無二の奴からの情報だ。前から色々ちょっかいを出されててな。向こうも、めんどくさそうにしてやがった」
そう言うと、シゲルは椅子の背にもたれかかり、思いきり体重を預けたまま天井を見上げる。
いかにも、これ以上は説明しないと言いたげな態度だった。
その様子に、スミスはやれやれとでも言うようにサングラスをかけ直す。ジュンは口を挟まず、ただ黙ってホロディスプレイを見つめていた。画面上には補給路と取引の線が複雑に絡み合い、会議室に漂っていた先ほどまでの緩さは、もうすっかり消えている。
(ああ、オンリーさんか)
クロは内心で納得する。
シゲルがあそこまでぼかして、それでも通じる相手などそう多くはない。唯一無二――その言い回しだけで、クロの頭に浮かぶ顔は一人しかなかった。
もっとも、クロはそれ以上その件に触れなかった。わざわざ名を伏せた以上、今ここで自分から掘り返す話でもない。そう判断し、視線だけを素直にホロディスプレイへ戻す。そこに映るのは、伝票の隅に刻まれた日蝕と湖の印。戦争の裏側に食い込んだ、ひどく不穏な商会の紋章だった。
だが次に口を開いたのは、クロではなかった。
寝ぐせをどうにか直し終えたアヤコが席へ戻ってくる。まだ髪を整えた直後らしく、指先で軽く前髪を押さえながら椅子へ腰を下ろすと、ホロディスプレイへ視線を向けた。その表情は、さっきまでの気まずさをもう引きずっていない。
「それで、そのレイクリプス商会の方は、どこまで分かってるの?」
シゲルは天井へ向けていた視線を、ゆっくりとアヤコへ移した。
そこにいたのは、何か重大な話を聞き逃したとでも言いたげな顔のアヤコだった。その少し後ろからは、髪にゴムを巻きながらウェンも遅れてやって来る。ついさっきまで寝ぐせで騒いでいた空気をまだわずかに引きずっているはずなのに、二人とも表情だけはすでに真面目だった。
シゲルはそんな二人を見て、やれやれと言いたげに息を吐く。
仕方ない、と顔に書いたまま姿勢を立て直し、改めて口を開いた。
「唯一無二から聞いた話だと、商会長の名はレイン・クリープス。性別は不明」
そこで一度、言葉を切る。
その間は短かったが、ただ情報を並べているのではなく、自分の持つ断片をどう見せるか選んでいるような間だった。
「――だが」
シゲルはそう付け加え、ホロディスプレイの伝票へ視線を向ける。
「文書の癖からして、女じゃねぇかって話だ」
その一言で、会議室の空気がまた少しだけ変わった。
名前も性別も曖昧。だが実務は異様に精密で、戦場を利用した物流の統制までやってのける商会。その中心にいる人物が、今ようやく輪郭だけを見せ始めたのだ。
クロは黙ってその名を頭の中で反芻する。
レイン・クリープス。
日蝕と湖の印を掲げ、両陣営に物と金を流し、戦争そのものを回している商会の長。
そこで、もう一つの名が脳裏に浮かぶ。
サンデーン・レイク。
タイソンから聞いた、裏で金と情報の流れを握る存在。必要とあらば、敵味方すら問わず武装を供給する商人。断片だった情報が、今この場で少しずつ形を取り始める。
似すぎている。
流しているものも、やっていることも、立ち位置も、重なる部分が多すぎた。
(同一人物の可能性は、かなりあるか)
クロの中で、散っていた情報がゆっくりと一つの線になり始める。
「一つ、情報があります」
クロが口を開くと、その場の視線が自然と集まった。
先ほどまで黙ってホロディスプレイを見つめていたジュンも、寝ぐせを直し終えたアヤコも、遅れて席へ着いたウェンも、皆が次の言葉を待つ。クロは一拍置いてから、タイソンから聞いていた話を口にした。
「タイソン大佐から聞いた名前です。サンデーン・レイク。金と情報の流れを握り、必要とあらば敵味方を問わず武装を流す商人だそうです。やっていることが、今出てきたレイクリプス商会と重なりすぎています。恐らく、同一人物……」
「――の可能性が高いね」
今度はウェンが、クロの言葉を自然に引き取った。
髪をまとめ終えたばかりの手で軽く毛先を払いながら、ウェンはホロディスプレイへ視線を向けたまま続ける。
「名前の響きも近いし、金と情報、それに武装の流れまで握ってる時点で、偶然にしては出来すぎてる。商会の名と、裏で使う名を分けてるって考えた方が自然かな」
その言葉に、シゲルが小さく鼻を鳴らした。
「そんなわけないだろ」
ふてぶてしく言い切り、ふんと鼻を鳴らす。だが、その軽い否定も次の瞬間には消えた。シゲルは肩を揉みながら小さく溜息を吐き、今度は真剣な顔でウェンを見る。
「――と言いたいところだが、唯一無二からの情報だと、この商会の大本がこの星系にあるってところまでは分かってるらしい」
その一言で、場の空気がまた少しだけ沈んだ。
ホロディスプレイの上では、青い補給線と赤黄の取引線、その中心にある伝票の印が静かに明滅している。複雑に絡み合う線のどれもが、今はただ一つの場所へ収束していくように見えた。
レイン・クリープス。
サンデーン・レイク。
別々の名で拾ってきた情報が、今この場でゆっくりと重なり始めていた。
クロは黙ってその光景を見つめる。
商会の名と、商人の名。別々の情報として見れば、どちらもただの断片に過ぎない。だが、金の流れも、武装の流れも、情報の流れも、そして戦場という受け渡し場所すら一致しているとなれば、もう偶然で片づけるには無理があった。
むしろ、同じ存在が場に応じて名を使い分けていると考えた方が自然だ。
そうしなければ、この歪んだ構造は成立しない。
商会としての顔、裏商人としての顔。その二つが一つの存在に重なっているのだとすれば、ようやくこの全体像にも筋が通る。ホロディスプレイに浮かぶ印は、もはやただの商会の紋章には見えなかった。戦場そのものへ刻まれた署名のようですらある。
ジュンは黙ったまま画面を見つめている。アヤコもウェンも、もう先ほどまでの寝ぐせ騒ぎを引きずる気配はなかった。スミスだけが変わらず静かな顔で立っているが、その沈黙さえ今は場の重さを補強しているようだった。
金も、物も、情報も、そして戦場そのものすら流通の一部として扱う存在。
その輪郭が、ようやく明らかになっていく。




