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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
お掃除開始。クロの清掃大作戦!

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櫛の行方

 ジュンの説教がようやく一区切りつき、クロは小さく息をついた。会議室に張りつめていた空気も、そこでようやく少し緩む。


 その直後だった。レッド君を枕にしたまま床に転がるように眠っていたアヤコが、もぞりと身じろぎした。薄く目を開け、眠気を引きずったまま一つ大きなあくびを漏らすと、まだ覚醒しきっていない視線で周囲をゆっくり見回す。そして、少し離れた場所に立つクロの姿を見つけた瞬間、寝起きの顔のまま口元を緩めた。


「ん……おはよ〜、クロ」


「おはようございます。寝ぐせ、凄いですね」


 クロが跳ねた髪を指さして言うと、アヤコは反射的に自分の髪へ手をやった。普段は整えている赤髪は、今は見事なまでにあちこち跳ねている。指先がその跳ねた部分に触れるたび、ぴょこんと立った毛先がふるふると揺れ、いかにも寝起きらしい無防備さを晒していた。


 アヤコは一瞬きょとんとしたあと、自分の状態を理解したらしく、少しだけ照れくさそうに頬を掻く。だがクロはそれをからかうでもなく、小さく息をついた。


 次の瞬間、クロは別空間からペットボトルの水とタオル三枚を取り出した。それらを自然な手つきで元の形へ戻っていた中央テーブルへ置いていく。殺風景な会議室の無機質な机の上に、生活感のある品が並ぶ光景は少しだけ場違いで、それが逆に今の緩んだ空気によく馴染んでいた。


「とりあえず、タオルを濡らして対処してください」


「それはいいけど……三つ?」


 アヤコは首を傾げる。だが、そのまま視線を横へ向け、ちょうど起き始めていたウェンとエルデの頭を見た瞬間、すぐに納得したように「ああ」と頷いた。


 二人とも、寝起きらしく髪が好き放題に乱れている。ウェンのポニーテールは崩れて横に流れ、エルデの髪もあちこちが跳ねて、寝相の激しさをそのまま物語っていた。自分だけではなかったと分かったことで、アヤコは少しだけほっとしたように表情を緩めた。


「クロ、櫛はないの?」


 アヤコは上体を起こし、中央テーブルに置かれたペットボトルとタオルを手に取りながら訊ねる。まだ寝起きの気だるさは残っているが、こういう時の立ち直りは早い。


 しかし、クロはあっさりと首を横に振った。


「ないですよ。普段使いませんから」


 あまりにも迷いなく言い切られ、アヤコはじとっとした目を向ける。


「全く。櫛ぐらい持ってた方がいいよ」


 呆れたように言いながらも、その声音にはいつもの調子が戻っていた。起き抜けのだるさより、世話を焼く側の感覚が前に出たらしい。アヤコはそのまま立ち上がると、自分のカバンが置いてある場所まで歩いていく。


 どうせすぐ見つかるだろう――そんな気楽さで見ていたクロだったが、アヤコは思ったより長くカバンの中を探り続けた。がさがさと中身をかき回し、ポーチをどけ、工具らしきものや小物を取り出しては戻し、また別の場所を探る。その動きは最初こそ軽かったが、次第に首を傾げる回数が増えていく。


 クロはそこで、ようやく小さく首を傾げた。


 アヤコなら、自分の持ち物の位置はだいたい把握しているはずだった。にもかかわらず、いつまで経っても探す手が止まらない。しかも、さっきまでの気楽さが少しずつ薄れているのが背中越しにも分かった。


「……あれ?」


 アヤコの口から、小さな呟きが漏れる。


「おかしいな……」


 さらに、もう一度。今度はさっきよりも少しだけ本気の混じった声だった。


 その様子に、寝ぼけた眼差しをしていたウェンの目がふっと光る。さっきまで半分眠っていたはずなのに、面白そうな気配を察した瞬間だけ妙に覚醒が早い。口元には、いかにも何か企んでいると分かる笑みが浮かんでいた。


 ウェンは足音を立てないよう、そろりそろりとアヤコの後ろへ回り込む。その動きは無駄に静かで、明らかにからかう気満々だった。


 そして、ゆっくりとアヤコの肩に手を置く。


 びくっ、とアヤコの肩が大きく跳ねた。


「アヤコ。もしかして……」


 わざと間を作るような言い方だった。その先を聞かずとも分かるからこそ、余計に腹が立つ声音でもある。


「いや、忘れてない! ここに入れといた……はずなんだけどね」


 最初こそ勢いよく否定したものの、最後の方は自信がなくなったのか、小さく呟くような声へとしぼんでいく。


 さっきまでクロに向かって「櫛ぐらい持ってた方がいいよ」と言っていた手前、その言葉が見事にブーメランとなって自分へ突き刺さっている状況だった。アヤコの顔はみるみる赤くなり、いたたまれなくなったのか、がさがさとカバンを漁る手もぴたりと止まる。


 その様子を見たウェンは、堪えきれないといったふうにくすくすと笑った。


 からかいはしたものの、本気で意地悪をしたいわけではないのだろう。笑いながらも、どこか仕方ないなという表情を浮かべ、自分のカバンへと手を伸ばす。


「アヤコ。貸してあげるから、あとで私の髪を整えてね」


 そう言って、片目を閉じて軽くウインクする。助け舟を出しつつ、きっちり対価も要求するあたりがウェンらしい。


 アヤコは一瞬、助かったという顔をした。


 だが、その安堵は長く続かなかった。


 ウェンが自分のカバンを開けて数秒後、その表情からすっと余裕が消えた。中を軽く探った手が止まり、眉が寄る。


「……あれ?」


 今度はウェンの口から、アヤコとまったく同じ呟きが漏れた。


 その瞬間、会議室の空気が妙な静けさに包まれる。


 アヤコは何とも言えない顔でウェンを見つめ、クロは小さく目を細め、シゲルたちは揃って呆れたような視線を向けた。ついさっきまで余裕たっぷりに助ける側へ回っていたはずのウェンまで同じ状況に陥ったことで、もはや誰も突っ込む気力すら薄れていた。寝起きの会議室には、緊張感とはまったく別の意味で、何とも言えない空気がじわじわと広がっていく。


「何やってんだか……」


 すると、その傍らにいたスミスが黙ったまま自分のカバンへ手を伸ばした。余計な言葉もなく、中を探る動きにも迷いはない。すぐに取り出されたのは二本の櫛だった。


 そして次の瞬間、スミスはそれを無造作にアヤコとウェンへ放る。


 二人は反射的に、それぞれ一本ずつ受け取った。


「常に準備はしておけ」


 短い言葉だった。


 だが、妙に重みがあった。寝起きで気の抜けたこの場にあっても、そこだけは変わらず実務的で、無駄がない。だからこそ余計に、アヤコとウェンには刺さった。


 二人は櫛を手にしたまま、揃って自分のカバンを見下ろす。


 さっきまでクロに対してあれこれ言っていた立場だったこともあり、その表情はひどく気まずそうだった。言い訳をするにも材料がなく、誤魔化そうにも状況があまりにも分かりやすい。会議室の緩んだ空気の中で、そこだけが何とも言えない敗北感に包まれている。


 クロはその様子を見て、さすがに少しだけ口元を緩めた。


 先ほどまで散々揺さぶられ、説教まで受けていた身としては、こうして別の意味で場の空気が崩れていくのは悪くない。ようやく、自分だけが振り回される時間も終わったらしい。


 もっとも、当のアヤコとウェンにしてみれば、まったく笑い事ではないのだが。

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