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懐かしのクラスメイトたち(3)「女庭師、美香」  作者: 石原裕


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第3話 「それじゃ、少し話を聞かせて貰おうか」

「それじゃ、少し話を聞かせて貰おうか。先方さんの名前も碌に知らないんじゃ、姉として話にならないからね」

「当たり前だよ、それを話しに来たんじゃないか」

そう言う弟の声を聞き流して、美香はポットのお湯を急須に注ぎ足した。そして、キッチンの隅でコップに冷酒を注いで一息で飲み干した。

一寸思案してから、美香はもう一杯酒を注いだ。それを、顔を仰向けて一気に呷ると、口を拭ってリビングの方へ引き返した。短いカーテンだけで仕切られたキッチンであるが、上手く柱の陰に隠れて飲んだので、二人の座っている場所からは見えなかった筈である。

「この人のお父さんは会社の社長なんだ」

 和装小物を中心に呉服も帯も扱う、着物に関する総合小売会社のオーナー社長であり、大企業ではないが、うちの会社の上得意先なんだ、と弟は席に戻った美香に言った。

 弟は営業係長として、得意先である智恵の父親の会社へ商売で出入りする内に、何時とは無しに智恵と知り合った。呉服の業界では今も、大きな商社であっても、畳敷きの広い日本間で正座して、着物や反物を拡げて商談するところが多い。役職の名前は部長、課長であっても、昔の番頭、手代、丁稚といった雰囲気が大いに残っていたりもする。スーツ姿で礼儀正しくきちんと正座し、爽やかな物言いで商談を進める弟と、偶に店に姿を現わす智恵が何度か顔を合わせているうちに、互いに好意を持ったのだと言う。

「そんな訳で・・・」

弟は話を締め括った。

「今度の話も先様から切り出されたんだ」

「ふ~ん、お前も見込まれたもんだね」

智恵がふっふっと笑った。美香はそれを無視して聞いた。

「社長さんのお名前は何と仰るんだい?」

「あ、福本剛と言うんだ。会社は㈱福乃本美装苑だよ」

「そう、社長令嬢か。我々とは住んでいる世界が違うんだね」

キッチンで飲んだ酒が一気に効いて来る気配を美香は感じた。

「でもね、社長さんだからと言って恐縮することは無いよ。私をホテルに誘うのは、大抵、どこぞの会社の社長さんだからね。金で女を買おうという根性がさもしいよね」

「姉さん、変なこと言うなよ」

弟が智恵と美香に忙しく眼を配りながら言った。

「そんな言い方は、この人に失礼だろう」

「別に失礼じゃないよ。この人とは関係無いことなんだから。ただ、金持ちの社長と言ったって、どうってこと無いよ、と言っているだけ」

「参ったな、もう。姉はさ、仕事が仕事だからズバズバものを言うんだ。気にしないでくれよな」

「何を謝っているんだよ、お前は!」

美香は抑えていた酔いが一気に噴き出して来たのを感じた。

「謝らなくてもいいよ。第一、この人がお前を見染めたんだろう、結構なことじゃないの」

「何だ、姉さん、酒飲んでいるのか?」

やっと気づいた弟が声を荒げた。

「いつの間に飲んだんだ!」

「酒ぐらい飲んだって良いだろう。祝い酒よ」

美香は、細い眼を据えて薄笑いを浮かべた表情で此方を見ている智恵を見返した。

「勇一、何もへいこらすることは無いんだよ。お前の結婚費用は全部私が面倒見てやるからね。先方に遠慮することは無いんだよ。その為に一生懸命働いて貯金して来たんだから」

「金は要らないよ」

「何言っているのよ、金が無きゃこの世の中、生きて行けないだろうが」

「本当に金は要らないよ。結婚費用ぐらいは俺も貯めているよ」

持て余し気味に弟が言った。

「結婚したら、家と車を買って貰って、仕事もこの人のお父さんの会社へ移るんだ。下に妹さんが一人居るだけだから、いずれ俺が社長に就任するんだよ」

へ~え、と言って、美香は二人を見比べた。

「それじゃ丸抱えじゃないの」

「丸抱えって言うことはないだろう」

「だってそうじゃないの。なんだ、呉服屋に婿入りするのか。がっかりしちゃうなあ」

美香はふらりと立ち上がった。キッチンからウイスキーとグラスと氷を持って来て、テーブルの上でオンザロックを作った。

 智恵の顔に不安の色が浮かんだ。酒が入ると美香の心は鋭く冴えわたって、どんなことも見逃さない。怯えた智恵が手を伸ばして弟の袖を引っ張ったのも、目敏く見ていた。グラスのウイスキーを呷ってから言った。

「何も怖がることはありませんよ、お嬢さん。あなたまで取って食べようとはしませんからね」

「じゃ俺、そろそろ・・・」

智恵に袖を引っ張られて、弟がそう言った時、未だよ!と美香が鋭く言った。

「未だ肝心の話が済んでないでしょうが」

「肝心の話?」

「結婚式は何日になるのよ」

「ああ、それ・・・」

弟は智恵と顔を見合わせた。

「未だ決まってないけど、決まったら連絡するよ」

「決まったら連絡する、だって?」

美香はグラスのウイスキーを一息に飲み干した。

「私はね、痩せても枯れても、お前のたった一人の身内だよ。大事な弟の結婚の日取りを姉の私に相談するのが世の中の筋ってもんでしょう。何日、先方の社長に会いに行きゃ良いのか、それを聞いているのよ」

若い二人はまた顔を見合わせた。そして、同時に美香を見た。智恵は少し青ざめて、弟は口の辺りに薄笑いを浮かべていた。二人の眼には同じものが現れていた。

それはさっきまで、智恵の眼の中に在ったものである。堅気の者が水商売の女を無意識に蔑む眼の色であった。

薄笑いを浮かべたまま、弟が言った。

「それは、まあ、明日にでもこの人のお父さんと話してみるけど・・・」

「もういいよ」

「何しろ、忙しい人だから」

「もういいって、言っているだろう!」

美香はウイスキーを瓶ごと口に運んで、ごくりと一口飲んだ。

 若い二人はたじろいで立ち上がった。弟は庇うように智恵の肩を抱いてやっている。

「もうお帰りよ!二度と来るんじゃないよ!堅気の、伝統ある呉服屋さんじゃ、水商売の女は、商売の相手としちゃ結構なお客であっても、身内となりゃお呼びじゃないんだ。解っているよ!」

「・・・・・」

「ぐずぐずしてないで早くお帰りよ。勇一、お前だって、こういう姉が居ることが今じゃ迷惑なんだろう。本心言い当てられて怒るのか?」

「無茶苦茶言っているよ。手が着けられないや。じゃ、俺たち帰るからね。いいな」

「さっきから帰れと言っているだろう!立派なお店で旨いご馳走をたっぷり食べて来りゃ良いじゃないか!」

二人がほうほうの態で出て行くと、美香はキッチンから塩を持ち出して、自室のドアの外に威勢良く撒いた。それから改めてグラスにウイスキーを注ぐと、ストレートで飲み始めた。


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