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ヒーローの指揮者 ~落ちこぼれ指揮者の俺に回ってきたのは、引退寸前のおっさんヒーローでした~  作者: MIYA
第一章 「最低のコンビ」

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第9話 更地の屋号

五月中旬の昼前、第九分署に届いた捜索願には、報酬額が書かれていなかった。


 レンは受付画面を二度見した。


 対象は七十代の女性。認知症の診断があり、朝から自宅へ戻っていないという。


 警察と家族が捜しているものの、旧市街に入ったところで足取りが途切れていた。


 〈報酬対象外〉


 〈査定点 〇〉


「……これ、うちが受ける案件ですか」


 レンは画面を指で弾(はじ)いた。


 先日の商業施設で、ようやく五点を獲得したばかりだ。


 年度の累計は四十四点。


 更新審査に必要な千点には、まだ遠い。


「警察の捜索願でしょう。五級を一人確保すれば十点ですよ。今日これに時間を使って、別の通報を逃したらどうするんですか」


「見つけりゃいい」


 ガイは机の端に置いた缶コーヒーを持ち上げた。


「その『見つけりゃいい』に、何時間かかるか分かりませんよ。市のカメラにも映ってないし、携帯電話も持ってない。服装だって、茶色の上着と黒い靴だけですよ」


「おう」


「似た格好の人、何人いると思ってるんですか」


「知らん」


「ほら!」


 レンは捜索願を開き直した。


 最後の目撃地点は旧市街の市場付近。それより先は、家族も警察も確認できていない。


 顔写真はある。


 だが、何時間も歩き続けているなら、今はもっと遠くへ行っているかもしれなかった。


「見つからなかったら、どうするんです?」


「探してみる」


「答えになってないんですけど」


 レンが言い返そうとしたところで、所長の沢渡が奥から出てきた。


 手には捜索願の控えを持っている。


「もう受けるのかい、ガイ」


「おう」


「所長、ちょっと待ってください。点にならない案件を、そんな簡単に通すんですか」


 所長は書類の端を持ち、受付画面と見比べた。


「そうだねえ。今回は報酬も査定も付かないね」


「だったら――」


「受けておくよ」


 所長は控えの受諾欄(じゅだくらん)へ印を押した。


 赤い印が、紙の上に残る。


 レンは言いかけた言葉を飲み込んだ。


「……本当に受けるんですね」


「まだ見つかってないからねえ」


 所長は控えを一枚、レンへ渡した。


「記録だけ頼むよ」


 ガイは缶コーヒーを置き、廊下(ろうか)の奥へ向かった。


 車庫ではない。


 レンが首をかしげていると、しばらくして大きな紙を抱えて戻ってきた。


 何度も折り畳まれた紙の端は、白く擦り切れている。


「……地図?」


「旧市街だ」


「何年前のですか、それ。道、変わってますよ。今の地図なら俺の端末にありますけど」


 ガイは紙を机へ広げた。


 胸ポケットから赤鉛筆を抜く。


 細い路地まで書き込まれた地図だった。


 道路の両側には、小さな字で店の名前が並んでいる。いくつもの赤い丸が付き、今の地図にはない建物の形まで残っていた。


 レンは画面の地図と見比べた。


「……この店、もうないですよね」


「そうだな」


「こっちも。道路になってます」


 ガイは赤鉛筆の先を地図へ置いた。


「この辺、カメラは」


「商店街の入口と、幹線道路の交差点です。その間はありません」


「そこから見る」


 ガイが指したのは、市場の裏手だった。


「そこにいる根拠は?」


「昔の道だ」


「それだけですか」


「おう」


 レンは現在の道路を拡大した。


 新しい地図には、大きな駐車場と幅の広い道路がある。


 一方、紙の地図では、同じ場所に細い路地が何本も続いていた。


 古い住宅と商店が、互いに背中を合わせるように並んでいる。


(地図まで古いのか。何もかも古いな)


 ガイは紙を折り畳み、作業着のポケットへしまった。


「行ってくる」


「一応、連絡だけはください。見つけても勝手に連れ回さないでくださいよ。ご家族の連絡先は、こっちで預かってますから」


「分かった」


 ガイが出ていく。


 レンは所長から渡された控えを見た。


 報酬額も、査定点も、空欄のままだ。


 受付画面へ戻り、受諾を登録する。


 〈査定見込み 〇点〉


「……得意ですよ。ゼロを入力するの」


 所長が振り返った。


「そうかい」


「いや、皮肉なんですけど」


 所長は短く笑い、受付へ戻っていった。


 昼過ぎ、ガイは旧市街の市場の裏手を歩いていた。


 作業着のポケットから紙地図を取り出し、目の前の通りと見比べる。


 市場の裏には、新しい駐車場ができていた。


 昔は道の両側に店が並び、荷車を置くと、人が一人通るのも難しいほど狭かった。


 今は白線が引かれ、車が整然と並んでいる。


 ガイは駐車場の端を歩いた。


 角の電柱には、色の落ちた店の広告が残っている。


 地図の店名と、同じ名前だった。


 その先の路地を曲がると、古い家の前で男が植木に水をやっていた。


「すまん。茶色の上着の婆(ばあ)さん、見なかったか」


 男がホースの水を止める。


「年寄りなら、さっき通ったよ。黒い靴の人かい?」


「そうだ」


「まっすぐ行って、角を右だったかな。何か探してるみたいだったよ」


「助かった」


 ガイは礼を言い、教えられた方向へ歩き出した。


 角を右へ曲がる。


 目の前には幅の広い道路があった。


 向かいには新しい建物が立ち、道路の反対側では工事用の囲いが風に揺れている。


 ガイは地図を開いた。


 紙の上では、そこから先も細い路地が続いていた。


 だが、実際には何軒もの店が取り壊され、一本の道路になっている。


 目撃された女性が、捜している相手とは限らない。


 それでも、何かを探しながら歩いていたという。


 ガイは紙の上に並ぶ古い店名を指で追った。


 今いる場所は、昔の裏通りに当たる。


 さらに少し歩くと、その通りから一本の細道が分かれていたはずだった。


 ガイは地図を折った。


 昔の道があった場所へ向かう。


 道路沿いには、取り壊しを終えた空き地が続いていた。


 新しい建物の基礎が作られている場所もあれば、まだ土がむき出しになっている場所もある。


 その一角で、ガイは足を止めた。


 低い囲いの内側に、古い敷石が二つ残っていた。


 周囲の地面は掘り返されているのに、その二つだけは元の位置にある。


 ガイは、そこにあった店を覚えていた。


 米屋の丸徳。


 店の横には、米を運ぶための細い通路があった。


 荷車が入れるよう、入口の石だけが少し広く並べられていた。


 今は、その通路も建物もない。


 ガイは敷石のそばに立つ女性を見つけた。


 茶色の上着。


 黒い靴。


 片方の靴には、白い泥が付いている。


 女性は空き地へ入ろうともせず、何もない場所をじっと見つめていた。


「すまん」


 声を掛けても、女性は振り向かなかった。


 ガイが近づくと、女性は敷石を指した。


「ここ、通れなくなってるの?」


 返事を待たずに言葉を続ける。


「道が違うのよ。家の前、こんなに広くなかったのに。お米を運ぶ人が困るでしょう」


 ガイは敷石を見た。


「丸徳さん」


 女性が顔を上げた。


「……あら」


 ガイの顔を見て、それから空き地へ目を戻す。


「看板がないの。朝は、あったのに」


「そうか」


「うちへ帰ろうと思ったんだけどね。お勝手の戸も見当たらないの」


 ガイは敷石の端に靴を乗せた。


 体重を掛けても、ぐらつかない。


 周りの建物はなくなっているが、この二つの石は昔と同じ場所に残っていた。


「ここにあった」


 女性が顔を向ける。


「でしょう?」


「今は建物がない」


「……そうなの?」


 女性は空き地を見た。


 しばらくして、二つ並んだ石の間を指した。


「こっちを踏むと、母に怒られたの。お客さんの通るところだからって」


 ガイは敷石の横へ立った。


「そうか」


「荷車の人は、端を通るのよ。真ん中はお客さんの場所だから」


 女性は石の上で足を動かした。


 通り道を確かめるような動きだった。


 しかし、その先には何もない。


「家へ入れないのねえ」


「迎えを呼ぶ」


 女性が首をかしげた。


「誰が来るの?」


「家の人だ」


「そう。じゃあ、待とうかしら」


 ガイは携帯電話を取り出し、レンへ連絡した。


 発見場所と女性の服装を伝え、家族へ確認を頼む。


 通話を終えても、女性は敷石から目を離さなかった。


「疲れたか」


「ちょっとねえ。家へ入れないから」


 ガイは近くの低い縁石を指した。


「座るか」


「玄関の前で待てばいいのに」


「そこ、車が通る」


「昔は通らなかったよ」


「今は通る」


 女性は道路を見た。


 ちょうど車が一台通り過ぎ、女性は少し肩をすくめた。


「本当ねえ」


 ガイが示した縁石へ腰を下ろす。


 ガイはその隣に立ち、通りを行き交う人々を見ていた。


 しばらくして、女性が口を開いた。


「丸徳って、知ってるの?」


「米屋だ」


「そうよ。米屋なの」


 女性は足元の敷石を指した。


「もう見えないと思った」


「残ってる」


 ガイが答えると、女性は石へ伸ばしかけた手を下ろした。


 それから何も言わず、迎えが来るのを待った。


 夕方、家族の車が空き地の前に到着した。


 車から降りてきた女性が、何度も頭を下げる。


「本当にありがとうございます。朝からずっと捜していて……」


 家族は老女へ駆け寄り、肩に上着を掛けた。


「お母さん、帰ろう。みんな心配してたんだから」


「……あら、迎えに来てくれたの?」


「そうよ。車、そこにあるから」


 老女は立ち上がり、敷石を一度振り返った。


「お米屋さんがなくなっちゃったの」


 家族の女性は空き地へ目を向けた。


「昔の家に来たかったのね」


 ガイは何も言わず、二人を見ていた。


 家族の女性が顔を上げる。


「ここ、もう何もないでしょう。よく分かりましたね」


「丸徳だ」


「……ああ」


 女性は敷石を見た。


「本当に、ここだったんですね」


 老女の手を取り、車の後部座席へ案内する。


 ガイは二人が乗り込むのを見届けた。


 家族の女性が窓を開ける。


「本当に助かりました。ありがとうございました」


「気をつけてな」


 車がゆっくり走り出した。


 ガイはそれを見送り、市場のほうへ歩き始めた。


 道の向こうには、敷石が二つだけ残っていた。


 夕方の第九分署で、レンは捜索願の処理欄(しょりらん)を開いた。


 〈発見・無事〉


 〈家族へ引き渡し済み〉


 〈費用請求なし〉


 査定申請の欄は、最初から入力できない状態になっている。


「無事だったのはいいですけど、半日以上使ってゼロ点ですからね。年度の累計、四十四のままですよ」


 レンは端末を回して見せた。


 ガイは缶コーヒーを一口飲んだ。


「おう」


「その返事、便利ですね。こっちの計算が全部無駄になるんですけど」


「見つかった」


「分かってますよ。そこは報告書に書きました」


 レンは机の上へ目を向けた。


 ガイが使った紙地図が、大きく広げられている。


 細い路地と、赤鉛筆で書き込まれた店名。


 いくつもの赤い丸。


 今の市の地図にはない建物まで残っていた。


「それにしても、よくあんな古い地図で見つけましたね。現在の道路と重なってない場所だらけですよ」


「前はあったからな」


「その『前』が分からないから聞いてるんですけど」


 ガイは地図の端を折り返した。


「丸徳は米屋だった」


「それは聞きました。いま更地(さらち)ですよね」


「そうだ」


「ご家族から預かった住所は、今の住所なんですよ。昔の家のことなんて、届けには書かれてませんでした」


 レンは捜索願を開き直した。


 記載されていたのは、現在の自宅住所と本人の特徴、最後に確認された場所だけだった。


 かつて米屋に住んでいたことも、そこが取り壊されていることも分からない。


(地図にない家を探してたのか)


 ガイは紙地図を畳み、赤鉛筆を胸ポケットへ戻した。


 レンは折り目の多い地図をもう一度見た。


 そこには、今はない店の名前がいくつも残っていた。


 ガイは地図を持ち上げ、廊下(ろうか)へ向かう。


「どこへ?」


「しまってくる」


「……今度、少し見せてくださいよ。その地図」


 ガイが振り返った。


「おう」


 そのまま廊下へ出ていった。


 レンは報告書を所長へ渡した。


 所長は捜索終了の印を押す。


「ありがとうね、天城くん。無事で何よりだ」


「俺は電話しただけですけど。あの人、一人で見つけたんですよ」


「そうだねえ」


「しかも、今の地図に載ってない場所で。普通、分かりませんよ」


「そうかい」


 所長は書類を重ね、受付へ戻った。


 レンは報告を終え、捜索願の一覧を閉じようとした。


 画面には、今日受け取った届けのほかにも、処理待ちの案件が並んでいる。


 名前。


 年齢。


 最後に確認された場所。


 発見時の連絡先。


 その中の一行だけ、職業欄に見慣れない文字があった。


 〈元登録者〉


「……元ヒーローまで、行方不明か」


 レンはその行を開いた。


 届けには以前の登録情報が付いていた。


 現在の状態は〈捜索中〉。


 いつから行方不明なのかは分かるものの、それ以上の詳しい事情は載っていない。


 レンは名前の欄を見た。


 知らない男だった。


 登録年も記載されている。


 何となく気になり、隣の画面でガイの登録情報を開いた。


 並べてみる。


 同じ年だった。


(同期ってことか)


 特に調べる目的があったわけではない。


 ただ、ガイの古い出動記録を調べていたときには、この名前を見た覚えがなかった。


 レンは個人メモを開いた。


 登録年と名前だけを写す。


 あとで古い記録を調べるとき、見かけたことを思い出せれば十分だった。


 保存を終え、捜索願の一覧を閉じる。


 メモの一行目には、ガイと同じ年に登録した男の名前が残った。


 志摩恭平(しまきょうへい)。

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