第8話 白と金の配信
五月の連休、新市街の大型商業施設で四級の獣が暴れ始めた。
第九分署の管制卓に、現場の写真が届く。
中央の吹き抜けでは、二階の手すりが折れていた。階下には買い物袋が散らばり、閉じかけた防火扉の前を人々が走っている。
レンは案件票を開いた。
〈四級/二足型〉
その下には、すでに別の分署の名前が入っていた。
〈討伐担当:ハウンド〉
「先に取られてるじゃん」
今回、第九分署へ届いたのは追加の救助要請だった。
獣の討伐はハウンドが担当する。第九分署が査定点を得られるのは、逃げ遅れた人を救助した場合だけだ。
四級の討伐は四十点。
通常の救助なら一人五点。
レンは年度の累計表示を見た。
三十九点。
(八分の一かよ)
固定カメラを切り替える。
正面玄関の外には、すでに人だかりができていた。避難した客までスマホを取り出し、建物のほうへ向けている。
その理由は、すぐに分かった。
レンの端末に配信通知が表示された。
『ハウンド、本日も現場から生配信!』
「……仕事してくださいよ」
レンは通知を閉じ、ガイへ呼出を入れた。
『こちらグリット』
「第九分署で救助要請を受けました。四級ビースト、二足型。討伐はハウンドが担当します。こちらは逃げ遅れた人の確認です」
『おう』
「館内の固定カメラが少ないんです。特に、裏の従業員通路が見えません。目撃情報が入り次第、送ります」
『分かった』
ガイが車庫へ移動した。
少し遅れて、外装の生体情報が管制卓に表示される。展開時間は二・八秒。相変わらず、旧式の登録章だった。
レンは屋上射出機の地図を開いた。
商業施設は新市街にある。第九分署からは距離があり、射出機の射程を超えていた。
「援護射出、圏外です。こっちからアイテムは送れません。人のいる場所と、使える出口を探します」
『おう』
九号車の位置表示が道路へ出た。
レンは館内図を拡大する。
中央の吹き抜けを囲むように、各階の店舗が並んでいた。奥には従業員専用の搬出口があり、細い通路で建物の裏側につながっている。
だが、その通路には固定カメラの印が一つもなかった。
(また、見えない場所か)
レンは施設の管理室へ連絡し、従業員の避難状況を問い合わせた。
商業施設の正面玄関で、ガイは九号車を止めた。
人だかりの向こうで、白い光が弾ける。
若い男が空中のドローンへ指を向け、軽く鳴らした。その手を胸の登録章へ運び、叩く。
白と金の繊維が一瞬で全身を覆った。
腕、腰、背中へ装備が重なり、三つのスポンサーのロゴが光る。
「みなさん、下がっててくださいね! 僕らが来たんで、もう大丈夫ですよ!」
ハウンドだった。
ドローンが頭上を回り、白と金の外装を正面から映している。
少し離れた場所では、避難してきた子どもが二人、胸を二度叩いて同じポーズを取っていた。
ガイは人の列から離れ、施設の出入口へ目を向けた。
奥の吹き抜けから、重いものが床を打つ音が聞こえる。
続いて、金属の折れる音。
館内では、まだ獣が動いていた。
「おや、グリットさんじゃないですか!」
ハウンド――久我レイジが声を掛けてきた。
笑顔のままドローンへ手を振る。
「第九も来てくれたんですね。いやあ、お疲れさまです!」
「人は」
「避難中ですよ。僕がいますから、もう安心してください」
ハウンドはドローンを横へ送った。
カメラが離れた途端、ガイの外装へ視線を落とす。
「ロートルは下がっててくださいよ。席が詰まるんで」
ガイは返事をしなかった。
出入口の横に、清掃道具の台車が倒れていた。
モップが床へ転がり、雑巾の入った袋が破れている。床には台車を引きずった跡が残り、従業員用通路のほうへ続いていた。
『グリット、施設の管理室から連絡です。清掃員が一人、避難確認できていません。どの階にいるかは不明です』
レンの声が耳元へ入る。
ガイは台車の車輪を見た。
片方が曲がっている。床についた跡は、その車輪が引きずられたものらしい。
「裏を見る」
『そちらは固定カメラがありません。吹き抜けの正面なら確認できますけど』
「こっちだ」
ガイは台車の跡を追った。
従業員用通路の入口には、防火扉が半分閉まっていた。床に落ちた清掃道具が挟まり、最後まで閉じられなくなっている。
その向こうから、何かをこする音がした。
「誰かいるか」
「……ここです!」
声が返ってきた。
ガイが扉を押し開けると、通路の奥に清掃員が倒れていた。
横倒しの道具棚が片脚に乗っている。首から下げた社員証が床に当たり、小さな音を立てていた。
「足、抜けるか」
「駄目です。棚が重くて……」
ガイは棚の横へ回った。
道具が詰まった引き出しは外れかけ、棚の重さで清掃員の靴が床へ押しつけられている。
片側を持ち上げれば、抜けそうだった。
そのとき、吹き抜けから激しい音が響いた。
獣が壁へ何かを叩きつけたらしい。
頭上の案内看板が揺れる。
留め金が一本外れた。
ガイは清掃員の頭上へ目を向けた。
落ちてくる。
左肩を差し出した。
看板の平らな面が肩当てにぶつかる。だが、装甲板の角度が合っていない。
衝撃の一部が外側へ逃げ、肩当ての端が背中側の装甲を押した。
ガイの身体が半歩後ろへずれる。
左肩に、鈍い痛みが残った。
届いたばかりの肩当ては厚かった。それでも、前から受けるには面が傾きすぎている。
ガイは左腕を寄せ、足を開き直した。
看板の端が壁へ当たっている。そのまま落ちれば、下の清掃員にぶつかる。
ガイは肩で重さを支えた。
受けた衝撃のうち、身体へ届いた分だけが溜まっている。
それを脚へ回す。
踏み込んだ足で身体を支え、看板を壁際へ押し寄せた。
看板の端が床についた。
もう清掃員の上には落ちない。
「少し待ってろ」
ガイは空いた手で棚を持ち上げた。
清掃員が足を引く。
靴先が棚の脚へ引っかかり、一度止まった。
「もう少しだ」
ガイは持ち上げる位置を変えた。
棚の脚が床から離れる。
今度は靴が抜けた。
「歩けるか」
「……少しなら」
「つかまれ」
ガイは片腕を貸した。
清掃員は棚から身体を離し、外装の腰へ手を回す。立ち上がると、片足を引きずった。
背後で、獣の爪が床を削る音がした。
吹き抜けのほうから聞こえてくる。
爪を受けても、衝撃は溜まらない。
ガイは清掃員を自分の陰へ入れた。
「こっちだ」
二人は従業員用の搬出口へ向かった。
第九分署の管制室で、レンはハウンドの配信を開いていた。
映っているのは吹き抜けの中央ばかりだった。
固定カメラと見比べても、ガイが入った従業員用通路の奥は見えない。
『グリット、清掃員は見つかりましたか』
『一人いた。連れて出る』
「搬出口は開いてます。裏に救急隊を呼びました。そこまで出られますか」
『行ける』
レンは救助欄に印を入れかけ、指を止めた。
まだ救急隊へ引き渡していない。
ここで確定するのは早い。
ハウンドの配信へ目を戻す。
吹き抜けには、四級の獣が立っていた。
二本の脚で床を蹴り、長い腕を振り回している。周囲の柱には細い鋼線が張られ、獣が動くたびに引っかかった。
合同回線へ、先方の指揮者の声が入る。
『ハウンド、左右の柱は使える。通路から客は出たよ』
若い女の声だった。
ハウンドは手のひらを返した。
獣が右へ跳ぼうとすると、先に張られた線が脚を引き戻す。
反対側にも別の線が伸び、逃げ道がふさがれた。
(……上手いな、こいつ)
レンは画面を拡大した。
線を張る柱を選んでいる。
獣が逃げそうな方向にも、先に線を置いている。
正面から力比べをせず、少しずつ動ける場所を減らしていた。
これなら、四級の獣でも逃げられない。
ガイの位置表示は裏通路を進んでいる。
清掃員を支えて歩いているなら、速度は出せないはずだ。
「グリット、搬出口まであと少しです。救急隊が裏で待っています。吹き抜けには戻らないでください」
『おう』
レンは再び配信へ目を戻した。
ハウンドがドローンの正面に立ち、片腕を高く上げている。
「じゃあ、そろそろ締めましょうか!」
周囲の柱に張られた線が一斉に光った。
「――ハウンド・ネスト!」
四十本の鋼線が、獣へ向かった。
最初の線が両脚を引き戻す。
次の線が両腕を柱へ縛り、胴と首元へ回る。
獣が身体をひねった。
しかし、線は緩まない。
すでに四肢が固定され、身動きが取れなくなっていた。
その上から、さらに鋼線が伸びた。
動けなくなった獣の周囲へ、何重にも線が巻きついていく。
ドローンが一段高く上がった。
上から見ると、柱の間に広がる線が大きな巣の形になっている。
獣が倒れた。
ハウンドが拳を握ると、首元の線が締まった。
床を掻いていた爪が止まる。
配信の画面は、獣の身体からハウンドの笑顔へ切り替わった。
『いやあ、お疲れさまでした!』
拍手の絵文字が画面の端を流れる。
レンは音量を下げた。
映像を見返す。
ハウンドの鋼線は、最初の二十本で獣の両脚、両腕、胴、首元を押さえていた。
それだけで逃げ道は消えている。
後から加えた二十本は、すでに固定された身体の外側へ重なっていた。
(……必要な倍、使ってる)
レンは再生位置を戻した。
動けなくしたところで締めれば、あそこまで線を増やす必要はなかったはずだ。
だが、最後に広がった鋼線は、配信の画面で大きな巣を作っている。
討伐のためだけなら、過剰な手数。
映像としては、よくできた決め技だった。
ハウンドは線を柱へ固定し、ドローンに向かって手を振っていた。
画面の端には、解放後の冷却表示が出ている。
三分。
必殺技を使ったあとの冷却が終わるまで、ハウンドはその場を離れられない。
レンが位置表示へ目を戻したとき、ガイが搬出口へ到着した。
『清掃員、引き渡した』
「救急隊からも確認が入りました。救助一人、記録します」
レンはようやく救助欄を確定した。
「……肩はどうですか。新しい肩当て、引っかかりませんでした?」
『重いな』
(まだそれ言うのかよ)
レンは生体情報を開いた。
左肩に新しい負荷の記録がある。
看板を受けたらしいが、どんな角度だったのかは分からない。
その答えは、帰署してからボディカメラを確認するしかなかった。
ハウンドの冷却表示が消える頃、確認班から討伐完了の連絡が入った。
撤収後、レンは合同案件の確認票を受け取るため、商業施設へ向かった。
正面玄関には、まだ人だかりが残っている。
立入規制の柵の内側では、ハウンドがファンとの撮影に応じていた。
白と金の外装には、三つのスポンサーのロゴ。
配信用ドローンが頭上を回り、集まった人々へ手を振る姿を映している。
レンは確認票へ目を落とした。
〈四級ビースト討伐:ハウンド〉
〈救助一人:グリット〉
今回、第九分署へ入る査定は五点。
年度累計、四十四点。
(向こうは四十点。こっちは五点か)
レンは確認票を折り、スマホを取り出した。
保存しておいた配信映像を開く。
ハウンドが鋼線を広げた場面で、一時停止した。
最初の二十本だけでも、獣の動きは完全に止まっていた。
残りの二十本は、その外側に重ねられている。
必要な倍の手数。
レンは画面の中に立つハウンドを見た。
Cランクの外装には八つのガジェット枠がある。
ハウンドはそのすべてを使い、鋼線の補助装備や配信用機器を積んでいた。
スポンサーのロゴは三つ。
装備を増やす費用にも、困っていないのだろう。
一方、ガイはDランク。
四つの枠のうち、二つは空いたままだ。
先日もらった肩当てさえ、まだ身体に十分合っていない。
(こっちにも、せめて予算があれば)
レンはスマホをしまった。
道具が多ければ勝てるとは限らない。
それは分かっている。
だが、あれほど装備を選べるのなら、ガイの身体に合うものも見つかるかもしれない。
清掃員を助けたとき、何が起きたのか。
肩当てが合っていれば、余計な負担をかけずに済んだのではないか。
帰ったら、映像を確認しよう。
レンは確認票を胸ポケットへ入れた。
そのとき、背後で靴音が止まった。
振り返ると、小柄な女が立っていた。
黒髪をうなじで一つにまとめ、赤いヘアゴムで留めている。
片手には合同案件の書類。
もう片方には、指揮者の端末を持っていた。
芦原チカ。
養成課程で一緒だった同期だ。
チカはレンの顔を見て、少しだけ口元を緩めた。
「天城くん、久しぶり」




