第4話 四発目の肩
レンが届いたばかりのボディカメラを車庫へ持ち込むと、ガイは九号車の横で拘束帯を巻き直していた。
「カメラ、付けていいですか」
「いいぞ」
「……まだ説明してませんけど」
ガイは拘束帯をホルダーへ戻し、レンが持っている箱を見た。
「録画専用です。管制室には映像を送れません。出動後に俺が回収して、記録を確認します。あと、勝手に電源を切らないでください」
「どこに付ける」
「外装の胸元です。ガジェット枠は使いません。固定できるか試したいんで、ちょっと立っててもらえます?」
「おう」
(安い返事だな。一万九千八百円したんですけど)
レンは箱から黒い機械を取り出した。親指ほどの厚みがあり、裏側にはクリップと短い固定帯が付いている。
机で試したときは問題なく動いた。ただ、外装に取り付けるのは初めてだ。
「まず角度を見ます。そっちの壁を向いてください」
ガイが向きを変える。
レンは機械を胸の高さに掲げ、録画ボタンを押した。赤い灯が点滅する。十秒ほど撮って停止し、本体の小さな画面を開いた。
映っていたのはガイの足元と、整備台の下にある工具箱だった。
「……低いな」
「背が違うからな」
「知ってます。そこは計算に入れてます」
「そうか」
レンはカメラを持ち上げ、もう一度撮影した。
今度はガイの肩から頭まで収まっている。画面を動かすと車庫の奥も見えた。これなら現場で相手がどこにいるか、あとから確認できるはずだ。
カメラを箱へ戻しかけたところで、車庫の呼出音が鳴った。
レンは端末を開く。
〈五級/腕力強化/旧市街〉
店舗の設備を破壊している男の静止画像が表示された。赤くなった顔、裂けた上着の袖。見間違えるはずがない。
「……こいつ、またですか」
前回の逃走記録を開き、写真を並べる。同じ男だった。
商店街で老人を救助したあの日、捕縛網を外して逃がした相手だ。
「今度は逃がしませんからね」
「おう」
「カメラもお願いします。途中で止まってたら、買った意味がないんで」
ガイは返事の代わりに胸の登録章を斜め下から二度叩いた。
紺の外装が首から指先まで広がり、古い蝶番の音を立てて装甲がかみ合う。
レンは胸の装甲にカメラを固定した。右脇には三月の戦闘でできた裂け目が残っている。そこを避け、帯を締め直した。
「少し上を向けます。……これでよし」
赤い録画灯を確認し、軽く引いて固定具が外れないことを確かめる。
「グリット、接続確認。映像は帰署後に回収します。無線はいつもどおりです」
『おう』
ガイが九号車にまたがる。
レンは管制室へ戻り、屋上射出機の表示を開いた。使用可能数は三発。前回のように、逃走中の男がいた場所へ網を落とすつもりはない。
固定カメラを切り替え、現場周辺の出口を調べ始めた。
旧市街の店舗前で、ガイは倒れた自転車を避けて男へ近づいた。
男はシャッターの取っ手を引きちぎろうとしていた。腕の筋肉が異様に盛り上がり、金属が曲がるたびに大きな音が響く。
外装も武器もない。強化された拳なら、肩当てで受けられる。
だが、男の背後にはガラス戸の残った店舗があり、歩道には破片が散っていた。
「またお前かよ!」
男が取っ手から手を放した。
通りの向こうでは警官が規制線を張り、通行人を遠ざけている。店先には倒れた自転車が残り、隣の出入口も開いたままだ。
ガイは自転車のない場所へ移動し、男と向かい合った。
『グリット、前回と同じ対象です。歩道の通行規制を確認しました。正面の固定カメラから追えています』
第九分署のレンから無線が入る。
ガイは男の足元を見た。
右足に体重が移る。殴る前に、肘が先に上がる癖も変わっていない。
「今度こそ逃げんなよ、オッサン!」
男が踏み込んだ。
一発目は右の大振り。
ガイは頭を下げ、左へ外した。拳が頭上を通り過ぎる。
すぐに二発目が来た。
左腕を横へ振っている。上体を後ろへ引くと、拳は外装の胸元をかすめることもなく通過した。
男の肩が前へ流れる。踏み直す足が遅い。
三発目は右の拳だった。
今度は真正面から来る。ガイは半歩横へ移り、男の腕が伸びきるのを待った。
拳は空を切った。
「ちょこまかしやがって!」
男が歯をむき出しにする。
ガイは呼吸を整えた。受けていないので、衝撃はまだ溜まっていない。
『グリット、捕縛網の射出位置は選べます。正面の空き地側なら、着弾まで人が入る心配もありません』
レンの声を聞きながら、ガイは男との距離を測った。
男は腕を振るたびに一歩前へ出る。その足先が、だんだん店の出入口へ向いていた。
ガイが左へ避ければ、男の進む先から身体が外れる。
入口のガラス戸は、まだ割れずに残っていた。
男が左肩を引く。
さっきの二発目と同じ振り方だ。
ガイは左足を路面に据え、肩当てを前へ出した。
四発目の拳が装甲に当たる。
重い衝撃が肩から胸へ沈んだ。靴底が滑り、左足が半歩押し戻される。
肩の内側に鈍い痛みが残った。
「当たった!」
男が笑った。
拳を引こうとしたところで、ガイは左手を伸ばした。男の袖を押さえ、肘の外側へ身体を入れる。
男が反対の腕を振り上げた。
ガイは足を引き、相手の重心をずらす。勢いのついた肩が前へ流れた。
溜めた衝撃を脚へ回す。
踏み込みに重さが乗った。男の膝が路面につき、そのまま上体が前へ倒れる。
「離せ! この野郎!」
男が身体を起こそうとした。
ガイは膝で逃げ道をふさぎ、ホルダーから拘束帯を抜く。手首に回して引き締めると、男の腕が止まった。
『警察が近づいています。対象の右手、まだ動いています』
「見えてる」
ガイは拘束帯を引き直した。
男が最後に肘を突っ張ったが、膝は地面から上がらない。
駆け寄った警官が反対の腕を押さえる。
「グリットさん、確保を引き継ぎます!」
「頼む」
警官が男を立たせる。
男は何度も振り返って罵声を上げたが、拘束帯は緩まなかった。
近くで様子を見ていた店員が、割れたガラスを避けながらシャッターを下ろし始めた。
ガイはその音を聞き、九号車へ戻った。
胸のカメラには一度も触れていなかった。
分署へ帰ると、レンはガイの胸元からボディカメラを外した。
「途中で触ってませんよね」
「触ってねえ」
「そうですか。……じゃ、まず映像を見ます」
ガイが外装を収納するのを待ち、レンは管制室へ戻った。
端末に記録を取り込むと、確保一件の査定見込みが表示された。
十点。
年度累計は十七点になった。
(前に逃がした分を取り返しただけか)
レンは報告書の画面を閉じ、録画を再生した。
最初に映ったのは自転車の車輪だった。
続いて男が近づく。腕が持ち上がり、拳が画面の上から振り下ろされた。
レンは映像を止めた。
一発目。ガイは拳が届く前に身体をずらしている。
「……避けられてるじゃん」
二発目も同じだった。
男の肩が上がった瞬間、ガイは上体を引いている。拳が近づくころには、もう間合いの外だ。
三発目も避けた。
男の腕が伸びきったところで、ガイは次の動きに備えて足を置き直していた。
だが、四発目だけ違った。
男が左肩を引く。
レンは再生を止め、二発目の映像を並べた。拳の軌道はほとんど同じだ。
避けられなかったとは思えない。
それなのに、ガイは横へ動くのをやめた。
自分から左肩を前へ出し、拳を受けている。
「……何で?」
再生速度を落とす。
男が腕を振り始めた時点で、ガイの足はもう止まっていた。
その直後に衝撃を受け、男の袖を押さえている。肘の外へ身体を入れ、相手の姿勢を崩すまでの動きは滑らかだった。
倒す手順は分かる。
分からないのは、その前だ。
(当たらなくて済む拳を、わざわざ受けた?)
レンは四発目の直前へ戻した。
レンズが映しているのは男の身体と、その向こうのシャッターだ。ガイの背後は見えない。
音量を上げても、聞こえるのは男の怒鳴り声と靴音ばかりだった。
無線の記録を隣に並べる。
レンが捕縛網を提案したあと、ガイは答えていない。
「説明、なしかよ」
湯飲みを置く音がした。
振り返ると、所長が画面をのぞき込んでいた。
「おや、これが買ったカメラかい」
「ええ。ちゃんと撮れてます。少なくとも、故障はしてません」
「それはよかったねえ」
「問題はこっちです。見てください」
レンは四発目を再生した。
「三発避けてるんですよ。同じ相手の拳を。なのに最後だけ、自分から受けてる」
所長が目を細める。
「そう見えるね」
「でしょう? 能力のために衝撃を溜めるのは分かります。でも、相手は五級です。無理に受けなくても、確保する方法はあったはずです」
「本人には聞いたのかい」
「聞いたところで、『おう』で終わりますよ」
所長は湯飲みを持ち上げた。
「それは、聞いてから言いなよ」
返す言葉を探している間に、所長は廊下へ戻っていった。
レンは再生画面に向き直った。
もう一度、四発目を見る。
肩当てに拳が当たり、画面が大きく揺れる。
蓄積値はそこで上がっていた。
確かに能力は使っている。それでも、受ける必要があったのかは分からない。
(だったら、ほかの記録と比べればいい)
レンは四発目に印を付け、過去の出動履歴を開いた。
夕方になっても、レンは管制室でガイの記録を調べ続けていた。
新しい案件には固定カメラの映像が残っている。映像のない案件にも、打撃を受けた回数や負傷部位が記載されていた。
ただし、報告書の書き方は担当指揮者によって違う。
「被弾」とだけ書かれたものもあれば、避けた方向まで細かく記録されたものもある。同じ動きを探すだけで時間がかかった。
「……統一しとけよ、こういうの」
レンは紙に案件番号を書き出した。
映像を確認できるものは、拳が来た角度とガイの足運びを比べる。映像がないものは記録を読み、判断できない案件には印を付けない。
一件目。
四件目。
九件目。
気づけば、机の脇に置いた紙コップは空になっていた。
最後まで調べると、確認した案件は四十件になっていた。
そのうち十二件で、避けられそうな打撃を受けている。
三割。
レンは数字を丸で囲んだ。
(下手だな、この人)
受けた打撃を溜められる能力なのは知っている。
だが、攻撃を受け続ければ身体は傷む。溜めすぎれば肩にも負担がかかる。現に初めて握手したとき、ガイの身体には古い傷がいくつも残っていた。
今日の四発目だって、避けたあとに相手の腕を取れたかもしれない。
それでも受けている。
単に昔の癖が抜けないのか。それとも、避け続けるだけの体力がないのか。
レンは今日の映像をもう一度見た。
三発目までは動けていた。なら、体力が尽きたとも考えにくい。
「……雑なんだよな」
画面の中のガイは何も答えない。
レンは検索期間を広げた。
五年以上前の記録を開くと、報告書の様式が変わった。今の画面にはない項目が並び、映像の添付もほとんどない。
衝撃蓄積の記録を追っていた指が止まった。
〈反射放出 効率:計測不能〉
「……反射放出?」
知らない項目だった。
能力の記録欄にある。だが、現在の能力一覧には同じ言葉が見当たらない。
レンは検索窓へ入力した。
出てくるのは古い報告書ばかりだ。使用条件も、具体的な動作も分からない。
別の案件を開く。
ここにも同じ項目がある。
さらに古い記録へ進むと、欄そのものがなくなった。
「途中で追加された項目……?」
レンは今の登録情報へ戻った。
能力の説明は、手元の資料と変わらない。衝撃を溜め、身体の動きに使う。
ただ、登録画面の下には折り畳まれた項目があった。
レンはそれを開く。
〈登録必殺技:インパクト〉
その下に、使用履歴が表示された。
〈最終使用:八年前〉
「……八年?」
レンは椅子の背から身体を起こした。
八年間、一度も使われていない必殺技。
登録は残っている。削除も停止の表示もない。それなのに、使用記録だけが途切れていた。
使わなかったのか。
使えなかったのか。
今の資料には、どちらとも書かれていない。
レンは一番古い使用記録へ戻った。日付と現場の名前を確かめ、報告書を開く。
画面の作りは今よりずっと簡素だった。
事件の概要、被害状況、能力の記録。どの欄にも短い文章しかない。
さらに下へ送る。
報告書の末尾には、担当指揮者の名前が残っていた。
見覚えのない名前だった。
御影。
第1話を読んでいただき、ありがとうございます!
ロートルヒーローは、ここから一段ずつ全盛期を取り戻していきます。
少しでも「この二人の先が見たい」と思っていただけたら、
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