第34話 素人の設計書
十一月上旬の昼前、第九分署の車庫に、本部装備課の技師が訪ねてきた。
「あの略図を書いたのは誰だ」
レンが顔を上げると、入口に作業着姿の女性が立っていた。
袖を肘までまくり、肩には大きな工具鞄。指先には金属粉が残っている。
「略図って、ブレイクハンマーの踏み込み止めですか。だったら俺ですけど」
「鏑木ナオ。本部装備課。あれを作ったの、私なんだけどさ」
鏑木は工具鞄から小さな部品を取り出した。
二枚の金属板を短い軸でつないだ部品だった。片側だけが一定の角度で止まる。
「これ、寸法を決めるのに苦労したんだよ。本人の足首に合わせないと意味がないのに、送られてきたのは紙一枚だろ」
「左足首の動く角度も書きましたよ。補助推進器を外す理由も、映像の時刻付きで。あとは装備課の仕事でしょう」
「だから作った。まだ本人の試験は済んでないけどね」
鏑木が部品を折る。
カチリ、と音がした。
元へ戻して、もう一度折る。二回とも同じ角度で止まった。
レンは自分の略図を開いた。
紙には足首が外へ倒れる限界角度と、部品を付ける位置しか描いていない。目の前の金属板には、靴へ固定するための穴まで開いていた。
「この穴、俺の図面にはないです」
「固定できなきゃ部品じゃないだろ。そこは私の仕事」
鏑木は部品を鞄へ戻した。
「で、次は何を作ろうとしてる?」
レンは作業台を見た。
そこには片づけ損ねた設計書が広がっている。
ガイの肩当ての断面図。身体に沿って引き直した曲線。さらに、その横には打撃を受けたときの衝撃の伝わり方が描いてあった。
「作るというか、直すんです。本人の受ける角度が、普通の人と違うので」
「普通って誰のこと?」
「本部のカタログに載ってる標準体型です」
「それは普通じゃなくて平均だよ」
鏑木は紙の端を押さえた。
レンは別の束を取り出し、横へ並べた。
出動時のボディカメラを一コマずつ確認した表。
ガイの手首を三秒握ったときに感じた、筋肉の張りと疲労の位置。
外装に残った蓄積記録と、そのときの肩の向きを重ねた図。
さらに、肩当ての形を変えた場合に、荷重がどこへ移るかを計算した紙がある。
「この人、右肩で受けることが多いんです。でもカタログどおりの肩当てだと、同じ場所に重さが集まる。そこへ何度も打撃が入ると……」
「肩がもたない?」
「はい。補修した伝達層はもう一度使えますけど、本人の身体は交換できませんから」
レンは作業台へ古い肩当てを置いた。
タイドから譲られた部品には、やすりを当てた跡がいくつも残っている。
「これを削って、受ける面の位置を変えようとしました。でも軽くするだけじゃ駄目なんです。狭くしすぎると、受けた力が一点に集まります」
「そこは測ったの?」
「形と重量は測りました。実戦でどこに負担が来るかは、過去の映像と生体記録からの予測です。改良品を付けて殴らせたわけじゃありません」
「正直だね」
「できてもいないものを、できたって言うほうが困るでしょう」
鏑木は二枚の表を並べた。
レンが何度も書き直した紙だ。端には車庫の床で付いた汚れが残っている。
「六分を過ぎたあたりから、動作も落ちてるね」
「そこから先は、肩当てを軽くしたくらいじゃ戻らないでしょうね。だから最初の六分で、受ける角度をできるだけ合わせたいんです」
鏑木は図面をしばらく見つめた。
「素人の設計書だね」
「……わざわざ本部から来て、それですか」
「でも、寸法がカタログじゃなくて本人の数字だ」
鏑木は空白の部分を爪で叩いた。
「ここは工夫できる。板を薄くするより、支点をずらす。受けた力を肩の外側に集めない形にね」
「できます?」
「作って試さなきゃ分からない。ただし、これ以上あんたが削るのは禁止。材料がもたない」
「最初から技師に頼むつもりですよ。予算さえあれば」
「ないの?」
「Eランクなんでゼロ円です。笑いたければどうぞ」
「笑えないね」
鏑木は、表の一番下に書かれた数字を見た。
「よくここまで調べたよ」
レンは言い返そうとした。
しかし、何も出てこなかった。
午後の車庫では、ガイが九号車のチェーンを拭いていた。
鏑木は肩当ての試作品を見たあと、ガイの右手へ目を向けた。
「グリット……じゃないか。ガイさんでいい?」
「ガイでいい」
「じゃあガイ。手、見せて」
ガイは布を作業台に置いた。
差し出した右手は、薬指と小指が曲がったままだった。
鏑木はためらわず、その手を取った。
まず手首の太さを測る。
次に、曲がった二本の指へ細い定規を当てた。無理に伸ばすことはしない。
「この指じゃ、拳を握れないね」
「ああ」
「いつから?」
「長い」
鏑木は指の角度をもう一度測った。
レンは隣で、古い交戦記録を開いた。
全盛期のガイが映っている。本部に残っていた模擬戦の映像だ。
画面の中のガイは相手の拳を受け、ほとんど間を置かずに押し返していた。
相手は打った方向へ、そのまま押し戻されている。
レンは現在の計測結果を横に並べた。
「昔は、受けてから〇・一秒以内に返してます。今は〇・三秒。反射の問題だけじゃなくて、指を握れないぶん関節を固めるのも遅いんです」
「その差は訓練で埋まらない?」
「埋まらないと思います」
レンは映像を一コマ戻した。
受けた瞬間には、まだ相手の拳がガイの手に触れている。
次のコマでは、もう相手の身体が後ろへ動いていた。
「返しは〇・一秒以内。人間の反射じゃ無理です」
レンは画面から目を離した。
「……機械の反射なら」
鏑木の定規が止まった。
「続けて」
「昔みたいに速く動けないなら、本人が動かす部分を減らします。受ける角度はガイさんに決めてもらう。そのあと、打撃が入った瞬間だけ、手首と指の関節を固定するんです」
「関節を?」
「はい。打撃を受けた面が固まれば、溜めた衝撃を来た方向へ返せる。〇・一秒の間に、その形を作れれば」
鏑木がガイの右手を見た。
「それをどうやって固める?」
「電気で判断させると遅れます。衝撃そのものをきっかけにして、掛け金を落とす。機械式なら間に合う可能性があります」
「なるほどね」
鏑木は手を離した。
「指が握れないなら、機械に握らせりゃいい。ついでに〇・一秒も、機械に持たせる」
レンは顔を上げた。
「……作れます?」
「まだ分からない。でも、仕組みは描ける」
鏑木は白紙を一枚引き抜いた。
ガイの右手の形を写し、その外側へ短い金属板を描く。
手首の周囲には輪。
指の関節には小さな掛け金。
打撃を受ける面に一定以上の力が加わると、掛け金が落ちて関節を固定する。
その瞬間だけ、曲がった指の代わりに機械が拳の形を作る。
「これなら電気は要らない。ばねと掛け金で動く。ただし、一度落としたら戻す操作が必要だね」
「連続しては返せない?」
「少なくとも最初の試作じゃ無理。それに、使えるのはこのグローブで打撃を受けたときだけだよ。肩当てで受けた力まで勝手に返せるわけじゃない」
レンは頷いた。
肩で受けた分は、これまでどおり放出に使う。
グローブで正しい角度から受けた打撃だけ、その場で返す。
「でも、指を固定したまま衝撃を返したら、手首に全部来ませんか」
「来るね。掛け金の位置がずれたら、指にも来る。試作ではそこを確かめる」
鏑木はガイの前へ紙を回した。
「本人はどうなの。こんなの付けてまで、昔の技を戻したい?」
ガイは図面を見た。
指の位置に沿って描かれた金属板。
その横には、まだ寸法の決まっていない握り部分がある。
「重いのは嫌だぞ」
「聞いてるの、そこじゃないんだけど」
「なら軽くしろ」
鏑木は鼻で笑った。
レンは図面の端へ、重量の記入欄を作った。
「訓練で反射を戻す手は、本当にないの?」
鏑木がもう一度聞いた。
「戻りません。医療で戻るのは損傷だけです」
レンは古い映像を閉じた。
「身体はそのままでいい。足りない分は、外から足す」
ガイは工具箱から赤鉛筆を取り出し、鏑木の紙へ置いた。
鏑木はそれを受け取り、掛け金の位置に印を付けた。
夕方、第九分署の管制室で、鏑木が見積書を作った。
レンは表示された金額を二度見た。
「四十万円。冗談ですよね?」
「特注のナックルグローブだよ。安く見積もってる」
「俺の装備予算はゼロです。Dに上がっても月十万円ですよ。四か月分をこれ一つに使ったら、ほかの装備を何も買えないでしょう」
「だから、先に試作する」
「話を聞いてました?」
鏑木は申請区分を切り替えた。
画面に「試作の評価」と表示される。
「本部装備課の試験品として申請する。承認が出たら、まず私の仕事として作る。試して問題がなければ正式な装備にする」
「支払いは?」
「天城くんがDに上がって、装備予算が付いてから分割。その条件で申請するよ」
「上がれなかったら?」
「試作品は装備課に残る。実用品になるかも分からないのに、今から請求できないでしょ」
レンは画面を覗き込んだ。
支払予定欄は空白だった。少なくとも今すぐ四十万円の請求が来るわけではない。
「ちゃんと本部の承認を取ってくださいよ。俺の名前で勝手に請求書を出されたら困りますから」
「承認が出る前に完成品を渡したりしないよ」
「試作の途中で失敗したら?」
「そこから直すのが私の仕事」
鏑木は見積書を保存した。
レンが署名したのは、設計資料の提出欄だけだった。
鞄へ図面をしまいながら、鏑木が思い出したように言った。
「そうだ。ブレイクハンマーの二万円」
「あれはまだ手続き中ですよ。本人には支払いを急がなくていいって言ってありますけど」
「外部調整依頼の副業届、通しておいたから」
「……はい?」
「装備課経由で設計料を払えるようにした。資料も揃ってたしね」
「ちょっと待ってください。俺、まだ申請画面を開いてませんけど」
「確認通知が来るよ」
鏑木は鞄を持って立ち上がった。
レンの端末が鳴る。
副業届の受理通知だった。
確かめると、ブレイクハンマーの依頼番号が紐づいている。
振込予定日はまだ空欄だ。
それでも、最初のアルバイトが口約束のままではなくなった。
「……仕事が速いのは助かりますけど、せめて先に言ってくれません?」
「言ったら止めるだろ」
「当たり前です」
鏑木は笑いながら管制室を出た。
車庫の出口では、ガイが九号車に鍵を掛けていた。
胸元の登録章が作業着の隙間から見えている。
その縁には細かな傷があり、古い留め金の片方だけが擦れていた。
鏑木は足を止めた。
ガイの胸元へ顔を寄せ、登録章の留め金を指で確かめる。
「この登録章、まだ動いてるの? 十九年前のだよ」




