第31話 六秒の差
十月上旬、第九分署の車庫で模擬戦の対戦表を開くと、レンの相手は先月の合同案件で配置変更を認めなかった第七分署だった。
研修用の中継映像には第七分署の二人が映っている。黒い外装のレイヴンは高架通路へ上がり、緑の外装のラインバインドは腰の巻き取り機を確かめていた。
「二対一って、これ研修じゃなくて罰じゃないですか。指揮者の格も向こうが上ですし、こっちの外装なんて修理したばかりなんですけど」
隣でガイが登録章を斜め下から二度叩いた。紺の繊維が身体を覆い、古い蝶番に似た音で装甲が噛み合う。外装の頭部が閉じると、九号車の鍵を取った。
「やるぞ」
「もう少し嫌がってくださいよ。俺だけ文句を言ってるみたいでしょう」
ガイはヘルメットの向こうで首を回した。胸と肩の修理跡が、ほかの装甲より新しい。傷んだ身体まで新品になったわけではない。
九号車が走り去ったあと、レンは管制室で演習図を広げた。第九分署の旧式屋上射出機から、演習場までは一キロ。三発しか撃てず、一発の着弾まで六秒かかる。
演習用アイテムも普段の出動と同じだ。
敵の訓練用衝撃弾は先端が平たい。広い面で受ければガイの能力に溜まる。しかし、そこから相手まで拳は届かない。
もう一人の鋼索は細い線で、衝撃を溜めるどころか外装の隙間を傷つける。
勝敗は相手を拘束するか、胸の判定板へ連続して打撃を当てた側の勝ち。四面の固定カメラを見渡し、レンはレイヴンのいる高架通路へ指を置いた。
「グリット。相手は高い場所から衝撃弾、下からは鋼索です。弾は面なので蓄積できますが、線は受けられません。西側の資材置き場だけが、上からの射線を切れます」
『おう』
合同回線に桐生の声が入る。
『天城さん。演習中の射出宣言は全回線に流れます。そこは実戦と同じです』
「分かってます。聞こえたからって、避け切れるとは限らないでしょう」
『そのとおりです』
あっさり返され、レンは通信の音量を一段下げた。
開始の合図が鳴った。
ガイは演習場の南端で、正面の高架通路を見上げた。
レイヴンまで三十メートル以上ある。近づこうとすれば、その間を撃たれる。北西にはラインバインド。腰の巻き取り機から、すでに細い鋼索が伸びていた。
先に撃ったのはレイヴンだった。
乾いた音がして、平たい衝撃弾が胸へ飛ぶ。ガイは左肩を前へ出した。鈍い重さが体幹へ沈む。
溜まった分は分かるが、距離がある。放出を乗せて殴る相手がいない。
『蓄積、上昇を確認。レイヴンの射線は正面からです』
「聞こえてる」
足を踏み出すと、地面の前に鋼索が張った。膝ほどの高さだ。見えた瞬間に止まり、つま先を戻す。
『ラインバインドの鋼索、足元。受けるな』
左へ回ろうとした。鋼索も左へ動く。ラインバインドは距離を空けたまま、通り道だけを消してくる。
ガイは西側の資材置き場へ向かった。
積まれた土嚢の陰なら射線が切れる。しかし、そこへ届く前に二発目が来た。
肩で受ける。
重さが増す。
右へ踏み込むと、今度は鋼索が腰の高さに走った。追うための一歩が消える。ガイは左足を引いてかわした。
『レイヴンは高架の東端。西端の出口には遮蔽物がありません』
レンの声が、少しだけ速くなった。
『遮断板、射出。高架東端の降り口、着弾まで六秒』
ガイは射出音を聞いた。
その直後、桐生の声が割り込む。
『レイヴン、中央へ。ラインバインド、南側を維持』
『了解』
レイヴンが走り出す。
高架東端から中央へ。
六秒後、遮断板が東端の降り口へ立ったとき、そこには誰もいなかった。
ガイは土嚢の陰へ入った。頭上で衝撃弾が壁を打つ。ラインバインドの鋼索は、遮断板が立った場所を避けて張り直されている。
レンの一発は高架の一部を塞いだ。
だが、それだけだった。
ガイは土嚢に触れた。動かせる重さではない。上に登れば、レイヴンの射線に全身をさらす。
通路の下へ向かう出口は一つ。そこを鋼索が塞いでいた。
空いたのは射線が切れる位置だけで近づく道は残っていない。
『グリット、南西の柱から高架中央まで二十四メートル。正面のレイヴンはさらに奥です』
ガイは柱の端へ身体を寄せた。
『発煙筒射出。高架の中央、着弾まで六秒』
もう一度、発射音がする。
『ラインバインド、中央の下へ。レイヴンは北の射撃位置を使ってください』
レイヴンの足音が通路の上を走った。
ガイが見上げる頃には、黒い外装は北側へ移っている。ラインバインドは下から反対側の柱へ鋼索を回した。
六秒が過ぎた。
高架中央で白煙が広がる。
レイヴンは煙の外。ラインバインドも、煙を背にした位置で鋼索を引いていた。
遮断板の向こうへ逃げる隙も、中央へ上がる隙もない。
ガイは煙の下へ身を入れた。視界は悪いが、レイヴンからもこちらは見えない。今なら階段まで走れる。
足を前へ出した瞬間、鋼索が足首の前を横切った。
ガイは跳び越えた。
着地すると二本目が腰へ向かってきた。身をひねり、柱の裏へ戻る。
煙の中で、ラインバインドは音を聞いていた。
鋼索を柱へ固定する金具が鳴る。そこを通れば、外装の横腹へ線が入る。
溜められない。
ガイは土嚢へ戻った。
レイヴンの衝撃弾が胸甲を打つ。今度は腕を広げて受け、足を踏ん張った。
溜めは増す。
身体の内側に力が集まる。
それでも、相手の顔は遠い。
『蓄積は十分あります。ただ、距離が……』
レンは言葉を切った。
ガイは通路の北側を見た。
レイヴンは撃つ直前、わずかに銃口を下げる。何かを待っている。
『レイヴンまだです。ラインバインドが線を張り直します』
『了解』
桐生の声がしてから銃口が上がった。
以前なら若い射撃手は先に引き金を引いただろう。造成地で獣の前に飛び出したときの顔を、ガイは覚えていた。
今は待っている。
たった一拍。
それで線と弾の位置がずれなくなる。
衝撃弾が来る。
ガイは左肩で受けた。
蓄積はさらに増えた。だが右側へ出ようとした瞬間、鋼索が通り道を閉じた。
撃たれる場所は、桐生が先に決めていた。
煙が薄くなる。
『捕縛網、射出。高架北側の着地点、着弾まで六秒』
三度目の射出音。
ガイは北の階段を見る。レイヴンは高架から降りれば網に入る。降りなければ、ガイが下へ潜り込めるかもしれない。
その間にラインバインドの鋼索が、北側への道を狭めた。
『レイヴン、高架に残ってください。ラインバインド、グリットの退路を西へ寄せます』
レイヴンは降りなかった。
六秒後、網は高架の北階段の下へ開いた。
誰もいない場所だった。
射出された網が地面に広がる横で、ラインバインドの鋼索が柱から柱へ張られていく。
通れる場所は土嚢の陰へ戻る道だけになった。
ガイはその隙間へ踏み込んだ。
溜めを脚へ回す。
足の裏に重さを集め鋼索の上を跳ぶ。届くのは高架の下端まで。手を伸ばした先には、手すりではなく滑らかなコンクリートがあった。
指を掛ける場所がない。
降りると足元の鋼索が鳴った。
後ろへ退く。
レイヴンが上から撃った。衝撃弾が胸甲を打つ。溜めが増すが、跳ぶために使った分もある。
次に同じ高さへ届く余裕はない。
ガイは鋼索の根元へ目を向けた。巻き取り機まで、まだ距離がある。走れば線に捕まる。
『グリット、蓄積の放散が始まります』
ガイは返さず残っている力を脚へ集め、土嚢の上へ跳んだ。
高架の手すりへ体当たりする。
面で打てる。
ガイが選んだ一撃だった。
だが手すりの向こうで、レイヴンは下がっていた。手すりだけが大きく鳴り、訓練用の判定板は遠い。
着地へ移るところで鋼索が足元に走った。ガイはそれを避けようと身体をひねる。
遅れた。
二本目の鋼索が胸甲と両腕を巻いた。
続けてレイヴンの衝撃弾が胸の判定板を打つ。身体を引き止められたまま、次の一歩が出なかった。
終了の警報が鳴った。
模擬戦は第七分署の勝ちだった。
ガイは蓄積を足元の地面へ流した。残った重さが抜けるにつれて、痛みだけが肩へ戻る。
膝を伸ばし鋼索が外れるのを待った。
『グリット、模擬戦終了。負傷はありませんか』
「動ける」
巻き取り機の音がして、胸から鋼索が離れた。
目の前でレイヴンが銃を下ろした。ラインバインドも腰の器具を点検している。
二人とも、勝ったことを大声で喜びはしなかった。
「……届かなかったな」
レイヴンが言った。
「ああ」
ガイは高架を見上げた。
近づけない距離とこちらより先に動く線。身体へ溜めた力は、最後まで相手へ届かなかった。
演習の撤収後、本部へ移動したレンは廊下で三枚の射出記録を並べていた。
遮断板は着弾前に移動され、発煙筒は陣形変更のあとで煙を出し、捕縛網は無人の階段下に広がった。
どれも定めた地点には正確に落ちている。
故障ではない。
狙った場所も間違っていない。
「……全部撃ってから避けられてる」
声に出したところで桐生が通りかかった。
「第九分署の射出機は旧式でしたね」
「一キロで六秒です。分かってますよ。先月から何度も使ってるんで。だから相手が動く前の位置を狙ったんですけど、そっちは射出の声が聞こえた瞬間に動かしてる。こっちが撃たない限り、ずっとその位置にいるつもりだったんですか」
「いいえ。四つ移動先を決めていました。天城さんが狙う場所で、順番を変えただけです」
桐生はレンの画面を見なかった。
「声を出してから考えていては、六秒は埋まりません」
レンは開きかけた口を閉じた。
桐生が先に行ったあと、射出記録の時刻を並べ直す。
自分の三発はすべて、照準を合わせてから射出までに間があった。相手の位置を確認し、外れない場所を探し、それから声を出した。
その間に桐生は、逃げる先まで決めていた。
レンは三枚の記録を閉じた。
帰りの電車で開いた研修の評価欄は、全項目が最低だった。




