第30話 二万円の略図
九月下旬、交換実習最後の合同出動で、レンの管制画面には二人のヒーローが表示されていた。
赤い外装のブレイクハンマーと、紺の外装のグリット。
同じ現場にいるが、担当する指揮者は別々だ。レンはブレイクハンマー、瀬川はグリットを受け持っている。
現場は旧市街の資材集積所だった。
四級の腕力強化能力者が資材運搬車を横転させ、逃走しようとしている。集積所の東側には、避難が終わっていない作業員が二人いた。
『ブレイクハンマー、相手は腕力強化です。横転した車両の下に人影はありません。東側に作業員が二人います』
『おう! 任せろ!』
赤い外装が、倒れた車両の横を抜けた。
レンはもう一つの画面を開いた。
ガイは車両の反対側にいる。
瀬川の声が、合同回線に入った。
『グリット、正面の位置を維持してください。対象が右へ動いた場合は追跡をお願いします』
返事はなかった。
代わりに、ガイの位置表示が止まる。
「……あ」
固定カメラの映像を切り替えた。
ガイは横転した車両の先端で足を止めていた。
次の瞬間、指定された位置から離れ、集積所の裏側へ歩き始める。
『グリット、聞こえていますか。そちらは担当区域の外です』
瀬川の声が少し強くなった。
ガイは振り返らない。
レンは南側の固定カメラを開いた。
建物の裏は、ほとんどが死角になっている。ただ、積まれた資材の隙間から、人の腕が少しだけ見えていた。
「瀬川さん、裏に人がいます」
『……こちらでは確認できません』
「南側のカメラを開いてください。画面の左下です。資材の下から腕が出ています」
短い間があった。
『確認しました。救助班へ連絡します』
レンはガイの映像へ目を戻した。
ガイは資材の前に膝をついていた。両腕を差し入れ、何かを持ち上げようとしている。
先ほどの指示とは、まったく違う行動だった。
レンは自分の画面に表示されている担当名を見た。
ブレイクハンマー。
ガイを指揮するのは、今は瀬川だ。
レンは南側の映像を残したまま、正面のカメラへ視線を移した。
集積所の中央で、男の拳がブレイクハンマーの籠手を打った。
硬い衝撃が腕を伝わった。
ブレイクハンマーは拳を引かず、反対の腕で殴り返す。
男は身体をひねって避けた。
「遅えな!」
男が笑い、もう一度殴りかかってきた。
ブレイクハンマーは正面から受けた。
左足を強く踏み、身体を押し返す。
その瞬間、左腰の補助推進器が作動した。
腰が外へ流れた。
狙っていた拳は男の肩をかすめ、背後の資材へ当たる。
積み上げられていた金属管が崩れ、足元へ転がった。
『ブレイクハンマー、左側の補助推進器が作動しています。踏み込みと向きがずれました』
「知ってる!」
ブレイクハンマーは男の胸元をつかんだ。
大きな籠手で引き寄せ、右の拳を腹へ打ち込む。
男の足が地面から浮いた。
しかし、男は倒れなかった。
横転した車両の縁をつかみ、腕力で身体を引き戻す。
反対の手がブレイクハンマーの肩を打った。
装甲が鳴り、一歩下がる。
『東側の作業員二人は、まだ退避中です。右奥の通路には人影がありません』
「分かってる!」
ブレイクハンマーは男の右側へ回り込んだ。
車両を背にする位置だ。
ここなら、東側へ向かう道を塞げる。
男が拳を振り上げた。
ブレイクハンマーは腕で受け、足元へ踏み込む。
また左足が外へ流れた。
拳が一瞬遅れる。
男はその隙に身体を反転させ、東側の通路へ走った。
『東側の作業員、退避中。通路に二人残っています』
ブレイクハンマーは追った。
男のほうが軽い。
大きな籠手と補助推進器を積んだ赤い外装は、走り出しが一拍遅れる。
それでも直線なら追いつける。
補助推進器を作動させ、距離を詰めた。
男が振り返る。
拳が来た。
ブレイクハンマーは左腕で受け、足を止めた。
「ここまでだ!」
右の籠手を引いた。
外装の解放が始まる。
肩の装甲が開き、籠手の内部へ光が走った。
右腕に力が集まる。
男は両腕を胸の前で固めた。
あの守りごと打ち抜く。
ブレイクハンマーは左足を踏み込んだ。
「――ブレイクスルー!」
左腰の補助推進器がうなった。
身体が外へ引かれる。
拳は男の横を通り過ぎ、資材集積所の外壁へ当たった。
コンクリートが砕ける。
男は目を見開き、後ろへ飛び退いた。
「……またかよ!」
ブレイクハンマーは舌打ちした。
外装の表示が冷却へ切り替わる。
補助回路の出力が落ち、両腕の籠手が急に重くなった。
三分間、解放は使えない。
男はその隙を見逃さなかった。
拳を構えて突っ込んでくる。
ブレイクハンマーは右腕を下げ、左の籠手で受けた。
重い。
補助回路が止まり、腕を持ち上げる速度も落ちていた。
男がもう一発打つ。
ブレイクハンマーは身体を横へずらした。
拳が肩をかすめる。
背後には、まだ逃げ切れていない作業員がいる。
ここを通すわけにはいかなかった。
ブレイクハンマーは足元の金属管を蹴り、男の進路へ転がした。
男が足を止める。
その瞬間、身体ごとぶつかった。
互いに地面へ倒れる。
ブレイクハンマーは男の右腕を押さえ、左腕を籠手の下へ挟んだ。
男が力を込める。
腕力では、こちらも負けていない。
ただし今は、補助回路の力を借りられなかった。
『ブレイクハンマー、冷却は残り一分十二秒です』
「長え!」
男が身体をひねった。
右肩が少し上がる。
ブレイクハンマーは押さえる位置を変え、男の腕を地面へ戻した。
力だけで押し合えば、相手にも逃げる余地ができる。
男は右腕を抜こうとしていた。
ならば、その方向を塞げばいい。
ブレイクハンマーは膝を男の脇へ寄せた。
男が左へひねる。
身体を右へずらし、逃げ道を潰す。
男の腕が止まった。
「くそっ! 離せ!」
「嫌だね!」
男が足を跳ね上げた。
ブレイクハンマーの腹へ膝が当たる。
息が詰まった。
押さえていた腕が、少し浮く。
男はその隙に抜け出そうとした。
ブレイクハンマーは両腕の籠手を地面へ押しつけた。
男の身体が動く。
押し返す力を受けながら、体重を前へ乗せた。
『冷却終了まで十秒』
男が歯を食いしばった。
ブレイクハンマーは拳を持ち上げる。
「次は外さねえ!」
補助回路が戻った。
赤い籠手に力が入る。
ブレイクハンマーは解放を使わず、通常の拳打を男の腹へ打ち込んだ。
男の身体が折れ、抵抗が止まった。
近くにいた警官が駆け寄り、両腕に抑制錠をかけた。
ブレイクハンマーは立ち上がった。
背後では作業員が二人、警官に促されて通路から離れていく。
赤い外装の肩飾りだけが、最後まで派手に光っていた。
夕方、研修の合同管制席で、レンは二組の記録を並べていた。
ブレイクハンマーが四級能力者を一人確保。
ガイは資材の下に取り残されていた作業員を一人救助。
東側の作業員も避難を終えた。
共同案件の配分によって、第九分署には十五点が加算されることになった。
年度累計は四百四十点。
レンはその数字を記録し、隣の画面を開いた。
瀬川の報告書だ。
指示不履行、二回。
その横に、救助一人。
「……また同じか」
レンはガイの映像を再生した。
最初の指示でガイが足を止め、建物の裏へ向かう。
二度目の指示でも戻らない。
代わりに、資材の下から作業員を引き出していた。
瀬川の指示が間違っていたわけではない。
敵を正面に捉え、持ち場を離れず、主担当を支える。
合同案件なら、それが基本だ。
だが、ガイには別のものが見えていた。
レンは映像を止めた。
ガイが動き出すまでの時間を確かめる。
指示を聞いてから迷ったわけではない。
人影に気づいたところで、すでに身体が動き始めている。
自分が何度も見てきた動きだった。
けれど、他人の指揮記録で見るとどうだ。
指示した場所から勝手に離れ、呼び戻しても返事をしない。
レンは椅子の背へ身体を預けた。
(……そりゃ、前の指揮者も大変だっただろうな)
それでもガイは、作業員を置いていかなかった。
レンは不履行の時刻と救助の時刻を、同じ欄へ書き写した。
交換実習の最終日、ブレイクハンマーが第九分署の管制室へ来た。
赤い外装は収納している。
大きな男が狭い部屋へ入ると、折り畳み椅子を一つ動かさなければならなかった。
「お前、俺の足、見てたろ」
レンは顔を上げた。
「映像なら何度も見ましたけど」
「分かったことがあるんだろ?」
「強く踏み込んだときだけ、左足が外へ流れます。普通に歩いてるときは問題ありません。それと、左腰の補助推進器が同じタイミングで作動してるんですよ」
「で?」
「本人の身体を見ないと、そこから先は何とも」
「じゃあ見ろ」
ブレイクハンマーは椅子に腰掛け、左足を出した。
レンは動かなかった。
「……先に説明しますけど、俺の能力は普通の検査とは違います。触れている間、身体の内側の状態が分かるんです。痛みとか、疲れとか。嫌ならやりません」
「おう。やれ」
「三秒だけですよ」
レンは手袋を外した。
ブレイクハンマーが靴下を下げ、左足首を出す。
そこへ手を当てた。
一秒目。
足首から脛へ続く筋肉に、左右の差がある。
二秒目。
外くるぶしの周囲だけ、動きが硬い。
三秒目。
古い損傷の残る部分が、踏み込むときに外側へ引かれている。
レンは手を離した。
「左足、前に捻挫してますよね」
「……何で分かる?」
「治ってはいます。ただ、筋肉の張り方が左右で違います。強く踏み込むと、左足が少し外へ逃げるんです」
レンは管制卓へ戻った。
交戦映像を一コマずつ送る。
左足が地面に着く。
腰の補助推進器が作動する。
骨盤が外側へ引かれる。
拳の軌道がずれる。
レンは映像と外装の作動記録を並べた。
「ほら。最初に外れてるのは拳じゃありません。足と腰です」
ブレイクハンマーが画面をのぞき込む。
「ブレイクスルーのときに大きく外れるのは、補助推進器の出力が上がるからです。普段の踏み込みでも少しずれてますけど、解放すると、その差が大きくなる」
「……じゃあ、どうしろってんだ」
「外してください」
「は?」
「左腰の補助推進器です。少なくとも踏み込みの補助には使わないほうがいい。足首の癖と、外へ押す力が重なってます」
ブレイクハンマーの眉が上がった。
「おいおい、あれ高かったんだぞ。最新型だぞ?」
「値段で足が真っ直ぐになるなら、俺も薦めますよ。でも今は、使うたびに必殺技が外れてるんです」
「それは……」
「何回壁を壊せば元が取れるんです?」
ブレイクハンマーはしばらくレンを見ていた。
やがて、肩を揺らして笑い出した。
「はっはっは! 高いもん外せってか!」
「外すだけなら、俺に頼まなくてもできます。問題は、そのあとです」
レンは紙を一枚引き出した。
左足首の形を描き、その上に脛当てを重ねる。
脛当ての外側へ、短い部品を一つ追加する。
踏み込みのときだけ、足が外へ倒れる角度を制限する仕組みだ。
歩くときには邪魔にならない位置へ、蝶番を置く。
「こっちです。足を無理に真っ直ぐにするんじゃありません。今の足首が外へ逃げる分だけ、外装で止めます」
レンは紙の端へ、可動範囲の目安を書いた。
「電気は要りません。機械式で十分です。あとは実物を作って、どの角度で止めればいいか試す必要があります」
ブレイクハンマーが紙を持ち上げた。
「こんな小せえので変わるのか?」
「そこは試験しないと分かりません。でも、左腰の推進器を外して、こっちで踏み込みを支えれば、少なくとも今と同じずれ方はしなくなるはずです」
「正直だな、お前」
「できるって言ってまた外れたら、俺が文句を言われますから」
ブレイクハンマーは略図を見直した。
それから端末を取り出す。
「いくらだ?」
「……何がです?」
「これだよ。設計の金」
レンは手袋をはめ直した。
まだ部品はできていない。
それでも、三秒で読んだ身体と、映像の一コマずつを合わせれば、何を外して何を足すべきかは見えた。
「二万円で」
「安いな!」
「高いって言われると思ってましたけど」
「外装を一つ買うよりよっぽど安い。よし、頼む!」
ブレイクハンマーは端末を操作した。
依頼額、二万円。
正式な外部調整依頼の手続きは、まだ終わっていない。
それでも、依頼の内容と金額は決まった。
レンは確認画面を保存し、略図の下に署名した。
夕方、レンは一人になった管制室で、二万円の数字を見返していた。
部品代は依頼したヒーロー側の負担。
製作は本部の装備課に頼む。
自分が引き受けたのは、身体に合う形を考え、設計図にする仕事だった。
(……これ、案外悪くないな)
レンは口座の残高を開きかけ、やめた。
代わりに、車庫へ置いてある設計図を思い出す。
ガイの肩当て。
打撃を受けるたびに右肩へ負担が集まる、あの古い部品だ。
ブレイクハンマーには、高価なガジェットを外すことを薦めた。
新しく描いたのは、小さな部品一つだけ。
ならばガイの肩当ても、ただ補強板を増やす必要はない。
削って、形を変える。
そうすれば、今より軽いまま負担を逃がせるかもしれない。
レンは端末を閉じ、管制室を出ようとした。
そのとき、入口に瀬川が立っていた。
「天城くん」
「……何です?」
瀬川は手に持っていた実習記録を差し出した。
グリットの指示不履行と救助実績が、同じ紙に並んでいる。
「一週間、あの人の管制をやったんだけどさ」
レンは紙を受け取った。
瀬川は少しだけ顔を上げた。
「……あの人、どうやって勝たせてるの」




