第29話 他人の籠手
九月下旬の指揮者研修で、レンの管制画面からグリットの名前が消えた。
代わりに表示されたのは、赤い外装のブレイクハンマー。ガジェットの枠は八つとも埋まり、補助推進器、照準器、発光する肩飾りの表示が並んでいる。生体情報の横には、瀬川の調整値が残っていた。
「……光る肩って、何を補助するんですか」
『客席だよ、客席。見てる連中が喜ぶだろ』
共同回線の向こうでブレイクハンマーが笑った。レンは肩飾りの電力消費を開き、すぐに閉じる。そこから削ったところで、持ち主に嫌われるだけだ。
交換実習は一週間。レンがブレイクハンマーを担当し、その間ガイの指揮は瀬川が受け持つ。第九分署の管制卓はいつもの一人用だが、外装の登録先だけが入れ替わっていた。
瀬川は引き継ぎ用の記録を、朝のうちに送ってきた。調整値だけでなく、交戦中に言ってはいけない言葉まで項目がある。「左足を意識させると踏み込みが小さくなる」。それは、レンの知るガイの記録にはなかった種類の注意書きだ。
レンもガイの資料を送り返した。右肩への負荷、外装の修理履歴、六語の符丁。送信後、瀬川から「了解」の二文字だけが返ってきた。
(短いな。何か質問しろよ)
書き忘れがないか、送信済みの添付を二度確かめた。
研修担当者から届いた評価票には「指示の伝達率」という項目がある。レンはそれを見て、先日の配置逸脱の記録を思い出した。
「ブレイクハンマー、最初に確認します。俺はEなので、屋上から撃てるのは三発。距離が一キロなら着弾まで約六秒です。ガジェットの八枠はそちらのもので、俺の射出枠とは別ですからね」
『三発もあれば十分だ。殴って終わりだろ』
「それで毎回終わるなら、指揮者要りませんよ」
『ははっ。瀬川より口が悪いな!』
通信の向こうで、赤い登録章が二度鳴った。展開の最後に両腕の籠手が大きく膨らみ、拳を打ち合わせる音が響く。
初日の模擬配置では、レンの「右へ」に対して返事すらなかった。二度目も同じ。三度目には「そこに人がいる」と怒鳴り返された。
見直した映像では、ブレイクハンマーの右に避難誘導員が立っていた。市の固定カメラでは看板に隠れ、レンからは見えなかった位置だ。
レンが画面で指していた右と、現場にいたブレイクハンマーが見た右では、同じ言葉でも危険が違った。赤い外装には外装カメラがなく、管制卓へ届く映像は街のものだけだった。
「だったら人が見えた時点で教えてくださいよ。こっちの視界には限界があるんですから」
『そっちだって俺の足元ばっか見てんじゃねえ。敵を見ろ、敵を!』
「……見えてないものは見えてないって、先に言うべきでした」
レンは評価票の「指示不履行」を消し、隣の余白へ書き換えた。
――視野外に誘導員あり。
翌々日の午後、実習中の二人に四級ヴィランの案件が回ってきた。第九分署から一キロほどの資材置き場で、腕を硬くする男が倉庫の門を壊し、外へ出ようとしていた。
市のカメラには、曲がった鉄の門と逃げる作業員が映っている。逃げ道は二つ。南の搬出口からは車道へ出られ、西の路地には積み上げられた木箱がある。
レンは赤い点の現在位置と、作業員の逃げる向きを重ねた。
「南の搬出口にまだ作業員が二人。西側は人がいません。相手の両腕は硬質化、打撃が主体です」
『なら、正面から行く』
ブレイクハンマーが短く答えた。
次の画面では、赤い外装が門をくぐっていた。
資材置き場の地面は、積み下ろしの車で固く踏みしめられていた。
ブレイクハンマーは重い籠手を持ち上げ、男の真正面に立った。相手の腕は手首から肘まで黒く固まっている。拳で打つぶんには強いが、足まで硬くできる様子はない。
「赤いやつか。邪魔すんな!」
男が鉄の門を掴んで振り回した。ブレイクハンマーは籠手で弾き、右腕の一撃を入れる。男は三歩下がったが、すぐ踏みとどまった。
『ブレイクハンマー、右へ。南側に――』
「嫌だね!」
右には搬出口がある。あそこへ回れば、逃げ遅れた作業員を男の正面へ置くことになる。ブレイクハンマーは左を選び、木箱の山へ男を押し戻した。
『……南側の作業員は、まだ避難中です。西側の路地は空いています』
「最初からそう言え!」
ブレイクハンマーは笑って拳を打ち込んだ。男の左腕が胸を守り、右手が籠手の外側を叩く。強化された拳同士がぶつかるたび、肩まで振動が戻ってきた。
次の一発を決めるため、左足を強く踏み込む。
左腰の補助推進器がうなった。足裏が地面を捉えた瞬間、腰だけが外へ引かれる。拳の狙いが右へ流れた。
男の頬をかすめた。
「ちっ」
男はその隙に木箱を蹴散らし、西の路地へ走った。道の先で曲がれば、もう一つの通りに出られる。
『発煙筒、射出。西側の路地入口。着弾まで六秒』
レンの声がした。ブレイクハンマーは追う速度を落とさず、左肩を壁沿いへ寄せた。
六秒後、男の進路に煙が広がる。逃げ道の角が見えなくなり、男は足を止めた。すぐに引き返そうとする。
『遮断板、射出。南の搬出口です。着弾まで六秒』
「なるほどな」
ブレイクハンマーは男の前へ出た。煙の外縁なら、その身体が見える。南へ逃げるには、赤い籠手の横を抜けなければならない。
男が右へ走った。六秒後、南の搬出口で遮断板が開き、道路への隙間を塞いだ。男は板へ肩をぶつけ、跳ね返される。
南の車道で待っていた作業員は、警官に促されて後退した。男が遮断板を殴る。折り畳みの支柱が鳴ったが、通り抜けられるほどの穴は開かなかった。
ブレイクハンマーは板が持つうちに距離を詰めた。逃げる足を止められたなら、後は自分の拳で終わらせる。拳を引き、腰を落とした。
「今度こそ、まとめて抜いてやる!」
ブレイクハンマーは外装の解放を起動した。籠手の補助回路が一段強くなる。左足を踏み、壁際の男へ拳を突き出す。
「――ブレイクスルー!」
踏み込んだ瞬間、左足が外へ逃げた。
拳は男を外れ、倉庫の壁の端をかすめた。表面のコンクリートが欠けたが、狙った場所までは届かない。
外装が冷却へ入る。補助回路の力が抜け、両腕の籠手が重くなった。男が低く構えて飛び込んでくる。
ブレイクハンマーは横へ下がり、硬くなった腕を避けた。右で襟を掴み、左の籠手を男の腰へ当てる。強化を失った拳でも、身体ごと押すことはできる。
男の背中が遮断板へ当たった。跳ねたところをもう一度押し、地面へ倒す。
膝をついて片腕を押さえると、男の肩がもう上がらなくなった。駆けつけた警官が抑制錠を掛ける。
冷却が続くあいだ、補助回路は戻らない。ブレイクハンマーは立つより先に、男の指が自由になっていないか確かめた。拘束具を持ち直した警官へ体重を預ける形で男を引き渡す。
『対象確保を確認。冷却、残り二分四十秒』
「……余計なもん、残したな」
『壁の補修費ですね。報告には入れます』
「そこは見逃せよ!」
警官が一人、欠けた壁を見上げていた。ブレイクハンマーはその視線を追い、派手な肩飾りへ手をやった。
冷却の残りを数える間、作業員が一人戻ってきて壊れた門を指した。誰が修理するのかを聞かれ、ブレイクハンマーは補助回路の止まった両腕を見せる。警官が代わりに管理者へ連絡した。
やがて三分が過ぎ、籠手の内側で補助回路が動き始める。持ち上げてみると、左足を踏んだ瞬間だけ、腰に嫌な引っ張りが残った。
光る肩飾りは、戦闘中ずっと点灯していた。
夜、第九分署の管制室で、レンは実習の評価票と交戦映像を並べていた。
発煙筒一発、遮断板一発。三発目は未使用。四級確保の査定は合同配分となり、第九分署には十五点が加わる見込みだった。
だが、評価票の「指示への反応」には、低い数値が入っている。
「……結果が出ても、指示を聞かないと減点かよ」
レンは録画の再生位置を動かした。解放の直前、ブレイクハンマーの左足が大きく踏まれている。その一コマあとで、腰が外へ動いた。
同じ動きは、解放を使わなかった最初の踏み込みにもあった。
もう一度、映像を戻す。
足から先に動き、遅れて腰が流れる。左側の補助推進器が点火した場面だけ、ずれが大きい。
レンは画面の隅に「左足」と書いた。
隣の回線が着信を知らせた。瀬川からの交換実習記録だった。
ガイの外装は修理を終えたばかりで、強い打撃を受ける動きは抑えていた。その分、瀬川の記録は移動と救助の判断ばかりになっている。
レンは報告を開いた。
指示不履行、三回。
そこには各回の現場映像への時刻が添えてあった。最初は横断歩道。次は作業場の入口。最後は建物の裏側だった。
レンはそれぞれの記録を再生した。最初の映像では、瀬川の無線が入った直後にガイが横断歩道へ向かう。二本目では作業場の入口を通り過ぎ、三本目では建物の裏へ姿を消した。
瀬川の「戻ってください」は、どの回でも記録されている。ガイは返事をせず、それぞれ別の場所へ歩いていった。
瀬川の記録によれば、グリットは指示を三回無視し、三回とも人のいるほうへ向かっていた。




