第28話 最下位の朝
九月中旬の朝、レンが第九分署の玄関で月例ランキングを開くと、画面のいちばん下にグリットの名前があった。
市内百十二人中、百十二位。
読み込みに失敗したのかと思い、画面を閉じて開き直した。順位は動かない。先月の稼働実績は空白で、今月の三級共同確保はまだ集計に反映されていなかった。
「……先月、休んでただけだろ」
言ってから、先月の医療記録が頭に浮かぶ。骨折した肋骨と左肩。九月十日の夜には古い外装の衝撃伝達層まで焼けた。休んでいたという言い方では、ずいぶん足りない。
受付の端末にもランキングが表示されている。来客向けの大きな文字で、下位の一覧が読めた。指で送れば、最後に紺と橙の小さな紋章が出る。
レンは受付画面を消そうとして、やめた。ランキングは本部が公開している。第九分署だけ非表示にすれば、余計に目立つ。
「おや。今月はそこかい」
所長の沢渡が、書類の束を抱えて横へ来た。
「九月の実績がまだ確定してないんです。そもそも八月は出動停止でしたし、制度上、休んだ人間が不利になるのは分かりますけど……最下位って、もう少し表示の仕方があるでしょう」
「数字は間違ってないんだろう?」
「だから腹が立つんですよ」
沢渡は書類のいちばん上を抜き、レンへ渡した。焼損した外装の修理受付票だった。交換用の衝撃伝達層は取り寄せ中。予定の二週間を縮める連絡は、まだない。
「ガイは車庫にいるよ。作業台を使うなら、先に声をかけとくれ」
「分かりました」
レンは票を持って廊下を歩いた。途中の自動販売機で無糖の缶コーヒーを一本買い、作業台の横に置くつもりで車庫へ向かった。
ガイは外装を着ていなかった。作業着の袖をまくり、九号車の後輪に空気を足している。壁際には、焼けた伝達層を外された外装が掛かっていた。
「修理、まだだそうです。取り寄せの返事も来てないので、外装を着て出られるのは先ですね。医者も肩へ負荷をかけるなって言ってますし、無理してまた倒れられると俺の予定が全部崩れますから」
「出るとは言ってねえ」
「言わなくても顔に出てますよ」
「どんな顔だ」
「俺の話を聞く気がない顔です」
ガイは空気入れを外して、タイヤを指で押した。それからレンの持っている缶を見た。
「それ、俺のか」
「ほかに無糖を飲む人がいます?」
レンは缶を差し出した。
「どうぞ、ガイさん」
伸びてきたガイの右手が、缶の手前で止まった。
すぐにまた動いた。缶を受け取り、いつもどおり親指で飲み口を開ける。レンは修理受付票を作業台に置いた。
「ランキング、見ました?」
「いや」
「市内最下位です。百十二位。八月の分が丸ごと抜けたうえ、先日の共同確保は来月の集計です。あれだけやっても、画面に反映されるまでは何もしてないのと同じってことですよ」
「そうか」
「そうか、じゃないでしょう。普通、少しくらい何か言うところですよ。俺なんて朝から三回確認しましたし」
ガイはひと口飲んで、缶を後輪の横へ置いた。
「直すのは、こっちだろ」
顎が向いた先には、壁の外装がある。胸甲の下地が一部外され、伝達層の焼けた端が見えていた。
レンは修理票を裏返した。
「もちろん、それも直します。でも元の部品に戻しただけじゃ、次も同じことになります。右肩の熱だって、九十を超えるたびに上がってる。受ける位置が変わらないなら、肩当てのほうを変えるしかないんですよ」
「重くなるのは嫌だぞ」
「まだ重さの話をしてませんけど」
「お前の紙、分厚い」
作業台の下には、レンが昨夜置いた設計用紙が重ねてあった。最初の一枚には、補強板を肩の外側へ足す案が描いてある。
ガイがそれを指した。
「これ、重い」
レンは紙を引き寄せた。補強板を増やせば衝撃は散る。しかし、肩から離れた場所へ金属を足すと腕を上げにくくなる。もともと衰えた身体には、その小さな差が残る。
「……そうですね。これは駄目です」
ガイは何も言わなかった。
赤鉛筆を胸ポケットから抜き、作業台の端へ置く。
レンはその鉛筆を借りた。補強板の輪郭に一本線を引き、足す予定だった部分を消していく。
「今度は、元からある板の形を変えます。材質が同じなら、厚くするだけが方法じゃないので。ここを削って、重さを身体の内側へ寄せれば……」
「削りすぎるなよ」
「まだ紙ですって」
ガイは缶を持ち、九号車へ戻った。レンは消した線を見ていた。最初の設計図は、もう最初の形をしていない。
昼前、本部から届いた通知は、研修の案内ではなく「出席命令」になっていた。
レンは管制卓で添付書類を開き、件名を二度見た。
「……命令?」
本文の最初には、九月九日の合同案件番号が書かれている。続いて、第七分署の配置案と、第九分署の配置外移動の記録。
その下に、主担当の承認を得ないまま南西へ移った時刻が秒単位で並んでいた。
レンはスクロールを止めた。
あのとき自分は、ガイに「南西」と伝えた。命令ではなく、情報のつもりだった。だが、合同管制の記録には、正式な配置から外れた事実だけが残っている。
その一方で、救助十人。三級確保一人。被害拡大なし。
両方が同じ書類に載っている。
「結果は書いてあるのに、過程だけ研修送りかよ」
返信欄へ指を置く。
抗議文なら書ける。桐生が北側を重く見ていたこと。南西の二十七件を現地で調べたこと。承認を待てば危険だったこと。
しかし、あの夜に自分の読みが外れていれば、ガイは人のいない路地へ向かっただけだった。北側の二人が呼ばれ、別の場所で何か起きても、すぐには戻せない。
レンは返信欄を閉じた。
通知の末尾に「指揮者研修・参加必須」とある。
そのとき携帯端末が震えた。宮田からだった。
『ランキング見た? お前のところ、マジで最後じゃん。大丈夫か?』
「見た。そっちは暇そうだな」
『こっちは三人体制だから、こういう連絡くらいできるの。てか、お前も研修呼ばれた?』
「呼ばれた。しかも出席命令。合同案件の件でわざわざ呼び出すなら、せめて査定点くらい先に確定させろって話なんだけど」
『俺も行くよ。顔知ってるやつがいれば楽じゃん』
「楽な研修なんか本部が用意するかよ」
レンは通話を切り、研修資料の添付一覧を開いた。項目は多かった。交戦記録の見直し、射出判断、他分署との調整、役割分担。
その中に「指示への反応」という欄があった。
レンは一度、作業を止めた。
ガイは自分の言葉を聞かない。最初はそれで何度も怒鳴った。けれど、聞かなかった理由をあとで映像にすると、必ず画面の外に人がいた。
最後に「南西」と伝えた夜も、ガイが動くと決めた。自分は錠の位置と死角を渡しただけだ。
だから、研修で評価されるべきは指示の数ではないはずだった。
レンはその項目に印を付けた。
午後、修理中の外装を確認するため車庫へ戻ると、ガイが作業台の前に座っていた。膝の上には紙の地図があり、赤鉛筆がその上に乗っている。
「本部の研修に行くことになりました。合同案件で無断で配置を変えた件です。確保も救助もできたのに、向こうは手続きのほうを問題にしてます。まったく、どこまで書類を増やせば気が済むんですかね」
「行けばいい」
「まあ、行きますけど。問題は研修の間、こっちの修理を見られないことで……」
「終わってからやれ」
レンは口を閉じた。
作業台には、午前中に線を消した設計用紙がそのまま置かれている。ガイはそこへ赤鉛筆を戻した。
「お前の仕事だろ」
レンは紙を受け取った。
「……そうですよ。外装の設計も、指揮も、全部俺の仕事です。だから他人に細かく教わる必要があるとも思えませんけど」
「行ってこい」
結局、それ以上は言わなかった。
管制室へ戻って、研修の参加欄に署名した。受付の端末では、相変わらず市内最下位の紋章が表示されている。
レンは添付された研修の課題表を開いた。
いちばん上の欄に、短い一文があった。
――他人のヒーローを指揮すること。




