第26話 南西の線
九月九日の夜、レンは第九分署の管制卓で、自分の担当ヒーローが後方待機に回された配置図を見ていた。
主担当は第七分署。画面の北側には、レイヴンとラインバインドの待機位置が表示されている。南側にいるのはガイだけだった。
『第七分署、桐生です。各員、配置を確認してください』
合同回線に落ち着いた声が入った。
『レイヴンは北側の大通り。ラインバインドは倉庫街への連絡路。グリットは南側で待機し、接触が確認されるまで移動しないでください』
レンは地図の端にある赤い印を見た。
二十七件。
そのうち北側にあるのは九件だった。
「桐生さん、確認です。北側に二人置いてますけど、南西の住宅街はどうするんですか。短い庇の下に入られると、市の固定カメラでは追えませんよ」
『南西側はグリットに任せています。ただし、負傷明けですので接触を避ける配置です』
「それ、見つけても追えないってことですよね」
『見つけた場合は報告してください。確保は第七分署が行います』
レンは口を閉じた。
画面には、ガイの位置を示す点が一つだけある。
第九分署から出動した九号車は、指定された交差点で止まっていた。
旧市街の北側では、警察車両が通りを塞ぎ始めている。
向こうは三人の指揮者と二人のヒーローを動かせる。こちらは一人用の卓と、固定カメラが映る四面の画面だけだ。
(人数で負けてるのは分かってる)
レンは旧市街の紙地図を広げた。
画面の地図には、主な道路と建物が表示されている。
紙の地図には、その上から二十七個の赤い点が打ってあった。
壊れた錠を見つけた場所だ。
レンはその一つに指を置いた。
最初の金物屋。
そこから二筋南の理髪店。
さらに先の空き事務所。
点をたどっても、最短の道にはならない。
途中で大通りを横切り、また細い路地へ戻っている。
レンは指を離した。
(何でここだけ遠回りしてる?)
犯人の行動順は分からない。二十七件の錠が、いつ壊されたのかも確定していなかった。
だが、壊された場所そのものは動かない。
レンは撮影した写真を開き、建物の外側にあるものを一つずつ確認した。
短い庇。
閉まった雨戸。
使われていない勝手口。
道路へ背を向けた裏門。
いずれも、人目につきにくい場所にあった。
端末に表示した固定カメラの位置を、紙地図へ写していく。
一本目の通りでは、交差点の手前まで映る。
二本目では、電柱の向こうが見えない。
三本目では、店先の庇が画面の下半分を隠していた。
「……そっちじゃないだろ」
レンは赤鉛筆を持ち直した。
点と点の間にある、カメラに映らない道を探す。
北側の倉庫街へ向かう道は広い。
そこには、今夜の警察車両もいる。
しかし、旧市街の南西へ続く道だけは、短い庇の下を通り抜けられた。
建物の角から角へ。
大通りに出ず、古い家の裏を抜けていく。
試しに線を引くと、二十七件のうち十七件を通る道がつながった。
線の途中には曲がり角がいくつもある。
最初から順番に壊したと決まったわけではない。それでも、同じ道を使えば多くの場所へ近づける。
残りの十件も、ほとんどがその道から一本入ったところにあった。
レンは紙を持ち上げた。
赤い点の並びが、北側から南西へ細長く伸びている。
『第七分署から各員。北側の通りで不審者の目撃情報がありました』
桐生の声が入った。
『レイヴン、確認をお願いします。ラインバインドは連絡路を維持してください』
『レイヴン、了解』
レンは無線に触れなかった。
北側の目撃情報は、まだ犯人と確認されていない。
同じように、自分の赤い線にも確証はない。
ただ、北側から先に捜す理由があるなら、南西にも捜す理由がある。
彼は配置図へ目を戻した。
ガイの待機位置は、赤い線から離れていた。
指定された道の先には、空き店舗が二軒しかない。
しかし、赤い線の終点には住宅が並んでいる。
その一角に、短い庇が続く長屋があった。
病院帰りにガイと歩いた道だ。
玄関先に木の椅子を置いた家がある。
ガイが顔を知っている老人の家だった。
レンは鉛筆の先を、そこで止めた。
夜九時過ぎ、ガイは指定された交差点で九号車にもたれ、通りの奥を見ていた。
車庫で展開した紺の外装には、修理されたばかりの肩当てが付いている。
登録章は以前のままだ。
展開時間も変わっていない。
胸甲の補修部分だけが、周囲より少し新しい色をしていた。
通りを警察車両が一台通り過ぎた。
窓の向こうから、警官が軽く手を上げる。
ガイは頷いた。
無線には北側の報告が続いている。
車の通過。
歩行者の確認。
空き倉庫の施錠状況。
どれも異常なし。
ガイは膝を曲げ、立ち方を変えた。
左肩には、まだ動かすと引っかかる場所がある。
病院で言われたとおり、無理に腕を上げない。
待機中なら問題なかった。
だが、現場で相手を受けるとなれば話は別だ。
『グリット、体調に変化はありませんか』
桐生の声だった。
『ねえ』
『了解しました。引き続き、待機してください』
ガイは九号車の時計へ目を落とした。
旧市街では、夜になってもまだ人が歩いている。
少し離れた交差点を、自転車が横切った。
その後ろには買い物袋を下げた男がいる。
ガイはしばらく、その二人を見送っていた。
深夜が近づくころ、第九分署の管制室には、北側の確認結果が届いた。
目撃された人物は別人だった。
レンは桐生の報告を読み、画面を閉じた。
「……そりゃそうでしょうね」
北側の警察車両が、一台移動する。
レイヴンの位置も変わった。
北側の捜索範囲を広げるらしい。
レンは自分の赤い線へ目を戻した。
南西側の固定カメラに、目立った変化はない。
それでも、気になることがあった。
新聞配達員は、男が短い庇の下を歩いていたと証言している。
顔は見ていない。
写真にも似ているか分からない。
それでも、その道を選んだという事実は残る。
レンは南西側の住宅街を拡大した。
道が狭い。
カメラが少ない。
空き家と人の住む家が、同じ並びにある。
もし男が夜を越す場所を探しているなら、入口が壊せる空き家は都合がいい。
そして次の家が空き家かどうかは、外から見ただけでは分からない。
レンは病院でのガイの言葉を思い出した。
『その二週間で、そいつが何を食うかは、考えてあるか』
あのとき、答えられなかった。
空き家に入った男が、何を持ち出すのか。
食べ物か、衣服か、寝具か。
あるいは何も持ち出していないのか。
分からない。
だが、二十七件のうち一件も被害届が出ていない理由は、持ち主が現場を見ていないからかもしれない。
人が住む家で同じことが起きれば、話は変わる。
レンはガイの位置を示す点を見た。
指定された交差点から、南西の住宅街までは遠くない。
九号車なら、細い道を回っても間に合う距離だ。
しかし、移動すれば配置から外れる。
桐生に連絡すれば、確認と承認が要る。
その間にも男は動く。
レンは合同回線を開いた。
「桐生さん、南西側の配置を変更したいんですけど」
『理由をお願いします』
「二十七件の破損箇所をつなぐと、カメラの死角を通って南西へ抜ける道ができます。そこに、人の住んでいる長屋があるんです」
『移動順が確認できていますか』
「それはまだです。ただ、破損の場所と目撃された道が重なっていて」
『推測で配置を崩すことはできません』
レンは言葉を止めた。
桐生の返答は正しかった。
破損の時刻が分からない以上、赤い線が犯人の移動経路だとは断言できない。
それだけで第七分署の二人を動かせと言われても、判断できないだろう。
『南西については、グリットの待機位置から確認できます。状況に変化があれば報告してください』
「……了解です」
レンは回線を切った。
画面の南西側には、まだ一つしか点がない。
ガイだ。
第七分署の二人は北側にいる。
タイドは第四分署の担当区域との境界で、応援要請に備えて待機していた。
そこから南西へ呼ぶにも時間がかかる。
レンは紙地図を持ち上げた。
赤い線の先には、短い庇が並んでいる。
あの家の老人は、夜になれば戸を閉めるだろう。
玄関先の椅子も、今は家の中かもしれない。
そして、男がそこへ来ると決まったわけでもない。
(外したら、俺の責任だ)
レンは画面を操作した。
グリットの個別回線を開く。
合同管制の記録欄には、すべての通信が残る。
配置変更の承認欄は空白だった。
レンは南西側の道をもう一度確認した。
その位置まで、屋上射出機の射程が届く。
ただし、庇の下や建物の中には撃ち込めない。
外の通りへ落とすしかない。
射出可能な地点を確かめ、三発分の目印を置いた。
使うかどうかは、まだ決めない。
レンは無線の送信を押した。
「グリット」
『おう』
北側の報告が一つ流れた。
レンはそれを聞き終えた。
そして、一語だけ告げた。
『南西』
返事はすぐには来なかった。
画面の点は、まだ動かない。
レンは指先を無線の上に置いたまま待った。
『……分かった』
その声が切れたあと、ガイの位置が変わった。
指定された交差点を離れ、南へ向かう。
続いて西へ。
九号車が、短い道を抜けていく。
レンは地図の上で動きを追った。
赤い線と、青い位置表示が重なった。
合同管制の記録に、新しい一行が増える。
配置外移動。
判断元、第九分署。
レンはその文字を見た。
訂正するための欄はあった。
けれど、何も入力しなかった。
ガイが向かう先には、もう人の住む家しか残っていない。
レンはそこで、初めて息を吐いた。
ガイが南西の長屋に着いたころ、通りの明かりはほとんど消えていた。
九号車を路地の入口に止める。
車体の低い風防越しに、細い道を確認した。
昼間とは違い、庇の下は暗い。
玄関の灯りがついている家も、二軒しかなかった。
ガイは車体から降り、路地へ入った。
靴底が古い舗装を踏む。
片側には閉店した店が並び、反対側には人の住む家が続いている。
玄関先の植木鉢。
畳まれた自転車の雨よけ。
使い込まれた箒。
この辺りには、昼間から変わらない物が多い。
『グリット、南西の固定カメラには人影がありません。こちらから見えるのは通りの入口だけです』
「おう」
『破損のあった建物は、そこから一筋東です。今いる長屋には、まだ被害の届けがありません』
ガイは歩く速度を変えなかった。
玄関の前を一軒ずつ通る。
家の中から、テレビの音が聞こえた。
別の家では、食器が重なる音がした。
夜更けでも、まだ起きている人がいる。
ガイは短い庇の下で立ち止まった。
木の椅子が置かれている。
病院帰りに通った家だ。
あの老人が座っていた場所だった。
今は誰もいない。
玄関の灯りも消えている。
『グリット、現在位置は配置区域の外です。第七分署への変更連絡は、俺の判断で記録しています』
レンの声がした。
『向こうから確認が来ると思います。まだ相手は見つかってませんし、ここで戻っても』
「天城」
『……はい』
「家だ」
ガイは玄関を見た。
庇の端に、新しい板が一枚ある。
前の台風で飛んだところを直した板だ。
老人が自分で釘を打ったのか、誰かに頼んだのかは知らない。
昼間、あの老人はいつも椅子に座っていた。
ガイは玄関の横へ回った。
細い通路が、家の裏まで続いている。
物干し台の下には、空の植木鉢が三つ並んでいた。
その奥に、小さな勝手口が見えた。
錠は閉まっている。
ガイは立ち止まった。
足元に、金属の小さな破片が落ちていた。
新しい傷のある破片だった。
拾い上げようとして、手を止める。
勝手口の向こうから、何かが動く音がした。
ガイは一歩下がった。
『グリット? どうしました』
レンの声が耳に届く。
ガイは返さなかった。
戸の内側で、金属が短く鳴った。
そして、庇の家の勝手口が、内側から開いた。




