第25話 協力欄の署名
九月上旬、第九分署の管制卓に届いた三級案件票には、犯人の顔写真より先にレンの提出番号が載っていた。
八月末に提出した情報提供書の番号だった。旧市街で見つかった二十七件の壊れた錠。添付した写真も、建物の位置も、本部の資料に引き継がれている。
「……ちゃんと案件になったんだ」
レンは控えに書き写した番号と照合した。
末尾まで一致している。
案件票を下へ送ると、証拠欄には〈同一犯と断定できず〉とあった。自分が情報提供書に書いた文言も、そのまま残されている。
しかし、主担当の欄は空白だった。
「肝心なところは、まだ決まってないのかよ」
レンは壁の時計を見上げた。
ガイの出動許可は、まだ下りていない。
早く担当が決まれば別の分署が動く。決まらなければ、破砕能力者は今夜も旧市街を歩くかもしれない。
机の端には、赤い印を付けた紙地図がある。二十七の点を確かめるために何度も開き、折り目が白くなっていた。
そこへ所長が入ってきた。
「本部から来たかい?」
「来ました。俺の情報提供番号も載ってます」
「よかったじゃないか」
「よくないですよ。主担当が空欄なんです。出動するヒーローの人数も決まってません」
所長は画面をのぞいた。
「証拠が足りない、とも書いてあるねえ」
「それは俺が書いたんです。断定できないものを断定したら、あとで困りますから」
「そうかい」
「問題は、誰が動くかです。三級を相手にするんですよ。グリットの許可が出るまで何日も待てないでしょう」
所長は机に置かれた地図へ目を向けた。
「じゃあ、手を借りようか」
「……どこからです?」
「第四分署はどうだい」
レンは端末の連絡先を開いた。
第四分署のタイド。
六月から何度も資料を送ってくれた相手だった。ガイの肩当ても、彼女から譲られたものだ。
「管外ですよね。応援を頼むにも承認が要りますよ」
「まず聞いてみようか」
所長はそう言って、別の書類を持ち上げた。
レンは少し考え、第四分署へ連絡を入れた。
その日の午後、タイドが第九分署を訪れた。
管制卓には案件票が開かれ、横には二十七件の錠の写真が並んでいる。
タイドはそのうち数枚を見たあと、協力申請の画面に目を移した。
「第四分署は管外ですよね。こういう応援って、毎回こんなに承認が必要なんですか」
レンが尋ねると、タイドは協力範囲の欄を指した。
「人が足りないだけなら、もっと簡単よ。今回は誰が指揮を取るか、まだ決まってないでしょ」
「グリットが戻れば、俺が管制できます。ただ、医師の許可がまだで」
「まだなんだ」
「歩くのは普通にできてます。勝手に距離を増やして、病院で注意されるくらいには」
「それなら、いつものグリットさんね」
タイドは小さく笑った。
レンは案件票の主担当欄を開いた。
「今の段階で、第四分署がどこまで入れるのか知りたくて。捜索そのものは本部が調整するみたいですけど」
「情報の照合と、現場が決まったあとの応援ならできるわ。第四の管制席とも調整する」
「……いいんですか?」
「何が?」
「こっちは点数が付くかも分からないんですよ。第四にも出動予定があるでしょうし、得になる仕事とは思えませんけど」
タイドは電子署名用のペンを取った。
「天城くん、そこから聞くの?」
「確認です。あとで、聞いてなかったって言われても困りますから」
「言わないわよ」
ペン先が画面に触れた。
協力分署の欄に、第四分署の名前が加わる。
レンは署名を確かめ、もう一度タイドを見た。
「本当にいいんですね」
「十四年前、私の前に立ってくれたの。グリットさんは覚えてないけど」
レンは資料をめくる手を止めた。
「……初めての現場ですか?」
「そう」
「何があったんです?」
タイドはペンを置いた。
「私は覚えてる。それで十分よ」
「でも、本人が覚えてないなら、貸し借りも成立してないでしょう」
「だから返せるのよ」
タイドは次の予定表を開いた。
レンはそれ以上聞かなかった。
十四年前といえば、ガイは今のレンよりずっと若かった。登録記録には当時の出動が何件も残っているはずだ。
調べようと思えば、閲覧できる資料もあるだろう。
ただ、今は目の前に三級の案件票がある。
レンは署名の付いた申請を保存した。
「あと、グリットさんに伝えといて」
「何です?」
「復帰したら、私のお下がりをちゃんと使ってるか見に行くって」
「肩当てですか。使ってますよ。本人は余計なものを付けるなって言いますけど」
「余計なものじゃないでしょ」
「重さが合わないんですよ。固定帯を締めると、今度は右肩に負担が移るんです」
「なら、そこも確認してあげて」
レンは資料の端へ小さな印を付けた。
肩当ての問題は、ずっと残ったままだ。
しかし今は、その肩当てを付けるガイ自身が、まだ現場に戻れない。
翌朝、レンは旧市街の交番で、新聞配達員の話を聞いていた。
警官の立ち会いのもと、本人の了解を得て、目撃した場所を確認することになった。
若い配達員は椅子に浅く腰掛け、何度も自分の名札へ手を伸ばしている。
「顔は見てないんです。朝の四時過ぎで、まだ暗かったし。男の人が一人いたってだけで」
「背格好は、この写真と似てました?」
レンは八月七日に逃走した三級ヴィランの写真を示した。
配達員は顔を近づけたあと、首を振った。
「そこまでは。首から上は影になってました」
「服装は?」
「暗い色だったと思います。でも、作業着だったかどうかまでは分かりません」
レンは手帳へ〈服装不明〉と記入した。
「分かりました。じゃあ、通った道だけ教えてください。覚えていないところは、そのままで大丈夫です」
旧市街の地図を広げる。
二十七件の錠を示した赤い点が、住宅の間に散らばっていた。
配達員は鉛筆を受け取り、大通りを指した。
「最初はこっちだと思ったんですけど……違うな。一本内側の道です」
「この辺ですか?」
「もう少し南。短い庇が続いてるところ」
レンは指を止めた。
ガイと一緒に歩いた通りだった。
商店の短い庇が途切れながら続き、途中には小さな椅子を置いた古い家がある。
「そこで何をしてました?」
「歩いてました。俺が新聞を入れようとして自転車を止めたら、向こうも一回止まって」
「それから?」
「新聞を入れて顔を上げたときには、少し先にいました。庇の下です」
「建物に入るところは?」
「見てません。角を曲がっただけです」
レンは目撃時刻を書いた。
朝の四時過ぎ。
人通りは少ないが、誰もいない時間ではない。
「急いでいる様子でした?」
「いや、普通に歩いてました。俺に気づいてたかどうかも分かりません」
配達員は鉛筆を置いた。
「……あの、俺が声を掛けなかったの、問題になりますか?」
「なりませんよ。顔も分からない相手を追いかけろなんて、誰も言えません」
「そうですか」
配達員はそこで初めて、椅子の背にもたれた。
レンは警官と記録を照合した。
確かに言えるのは、夜明け前に男が一人、庇の続く道を歩いていたこと。
逃走中の三級ヴィラン本人だったかどうかは分からない。
レンはその区別を残したまま、案件票へ追加する資料を作った。
交番を出ると、配達用の自転車が目の前を通り過ぎた。
前かごには、折り目をそろえた新聞が積まれている。
レンは地図を開いた。
近くに、あの老人の家がある。
ガイと顔見知りで、名前は知らないという老人だ。
二十七件の錠が壊されたのは、すべて人のいない建物だった。
だが、そのすぐ隣には営業中の店があり、夜明け前に働く人もいる。
レンは庇の続く通りへ印を付け、地図を畳んだ。
その日の午後、本部から合同会議の通知が届いた。
第九分署の管制卓に、第七分署の統括指揮者である桐生の姿が映る。
背後の予定表には、レイヴンとラインバインドの登録名が並んでいた。
「第九分署からの提供資料は確認しました。第四分署の協力申請も通っていますね」
「はい。二十七件の場所と撮影時刻は、昨日送った表が最新版です。今朝の目撃証言も追加しました」
「確認しています。そこで、主担当は第七分署から申請します」
レンは端末に置いた指を止めた。
「……待ってください。うちが担当する前提で調整してたんじゃないんですか?」
「主担当は未定でした。第九分署の出動体制が確認できなかったためです」
「でも、発見したのもうちです。二十七件を調べて、本部に案件として上げたのも第九分署ですよ」
「その点は承知しています」
桐生の口調は変わらなかった。
「ただ、グリットは現在、出動停止中です。こちらには今夜から動けるヒーローが二人います」
「今夜、相手が出るとも決まってないでしょう。医師の許可さえ下りれば、グリットは旧市街へすぐに行けます」
「天城さんの懸念は分かります。ただ、承認は出ていません」
レンは口を開きかけた。
画面には、第七分署の待機予定が表示されている。
レイヴン。
ラインバインド。
二人とも、出動可能。
一方、第九分署の欄にあるのは、ガイの医療予定だけだった。
「……明日、許可が下りたらどうなります?」
「編成を見直します。その場合、グリットには協力として入っていただきます」
「うちの管内なのに、協力扱いですか」
「負傷明けのグリットに、単独で三級を任せる判断はできません」
レンは反論しようとした。
けれど、八月七日の映像が頭をよぎった。
男の手が胸甲に触れた瞬間、装甲が内側から割れた。
三本の肋骨。
六週間という診断。
その記録は、桐生にも共有されている。
「主担当になれないと、第九分署の査定点にも影響します」
「共同で確保すれば、規定に従って配分されます」
「確保できた場合の話ですよね」
「はい。まず、確保できる編成にする必要があります」
桐生は役割分担の案を画面へ送った。
レンはそれを受信した。
主担当の候補には第七分署。第四分署は協力。第九分署については、医師の許可待ちと記されている。
「……分かりました。出動許可が下りたら、すぐに連絡します」
「お願いします。提供された情報は引き続き共同で使います」
通話が終わった。
レンは椅子の背に体重を預けた。
所長が、隣の机から画面をのぞく。
「向こうは、ホースが二本あるねえ」
「うちだって一本ありますよ」
「そうだねえ」
「使う許可が、まだ下りないだけです」
所長は何も言わなかった。
レンは病院の予約時刻を確かめた。
九月九日の午前。
あと少しだった。
九月九日、ガイは病院の診察室で、上着の左袖を通そうとしていた。
肋骨の骨折は回復が進んでいたが、医師が示した画像には、まだ傷の跡が残っている。
「日常の動きはだいぶ戻りました。肩も前回より改善しています」
ガイは左腕を下ろした。
「出られるか」
「条件付きで許可します」
医師は許可書を机に置いた。
「通常の移動と、負担の少ない活動は認めます。ただし、胸や肩に強い衝撃を受ける行動は避けてください。痛みや息苦しさが出たら、その時点で中止です」
「分かった」
「相手が三級だと聞いています。前回と同じことになれば、今度はもっと長く休むことになりますよ」
ガイは上着を着直した。
左肩が袖の途中で引っかかり、一度腕を下ろす。右手で布を引き寄せると、ようやく袖が通った。
診察室の外で待っていたレンは、許可書を見るなり日付を確かめた。
「九日付。……これ、出動許可ですよね?」
「そうだ」
「注意事項も読みました? 強い負荷は禁止って書いてありますけど」
「読んだ」
「前の相手に触られたら、強い負荷どころの話じゃないですよ」
ガイは許可書を差し出した。
「持っとけ」
「俺が管理する書類ですからね。ちゃんと持ちますよ」
レンは紙を受け取り、折れないように書類入れへ差した。
「復帰できても、すぐに前みたいな戦い方はさせられません。俺のほうでも、立ち位置を考えますから」
ガイは病院の出口へ向かった。
自動ドアの向こうには、九月の強い日差しが残っている。
「天城」
「はい?」
「九号車、動くか」
「点検してあります。エンジンも問題ないです」
「そうか」
「その前に外装です。胸甲の修理も、肩当ての固定も、まだ確認が残ってますから」
ガイは立ち止まった。
「先に車庫か」
「当たり前でしょう。病院から出た足で現場に向かわれたら、こっちが困ります」
レンが歩き出すと、ガイも隣へ並んだ。
以前より歩幅は戻っている。
ただ、曲がり角で身体の向きを変えるときだけ、左肩の動きが遅れた。
第九分署の車庫には、修理から戻った外装が置かれていた。
レンは胸甲の内側を確かめ、交換された損傷部を記録する。タイドから譲られた肩当てを取り付け、固定帯を締め直した。
ガイが左腕を上げる。
途中で止まった。
「痛いですか?」
「引っかかる」
「じゃあ、そこまで。まだ無理に上げないでください」
レンは固定帯を少し緩めた。
これ以上締めると、右肩にまで負担が移る。以前から分かっている問題だった。
追加されたガジェットはない。
補修しても、元の外装が持つ性能以上にはならない。
「……この状態で三級を相手にするんですからね」
「分かってる」
「本当ですかね」
レンは確認結果を端末へ保存した。
管制室に戻ると、医師の出動許可書を本部へ送った。
送信完了の表示が出る。
続けて、合同案件の役割分担を開いた。
第九分署の状態が〈出動不可〉から〈条件付き出動可〉へ変わっている。
レンは更新ボタンを押した。
数分後、案件票に新しい通知が届く。
第四分署の協力欄には、タイドの署名が残っていた。
第九分署の欄にも、〈協力〉の文字が加わっている。
レンは画面を下へ送った。
主担当の欄には、第七分署の名前が入った。




