第24話 二十七の錠
八月末、レンは旧市街の閉店した理髪店の裏口で、二つ目の壊れた錠を見つけた。
最初に見つけた金物屋から、二筋南に入った場所だった。裏口のガラスは内側から新聞紙で覆われ、入り口には古い営業案内が残っている。
レンは鍵穴を拡大した。
「……やっぱり、同じだ」
鍵穴には傷がない。壊れているのは取り付け金具の周囲だけで、金属が外側へ押し広げられていた。
レンは手帳を開き、目盛りの付いた定規を錠の横にかざした。道路側から写真を撮り、建物番号と撮影時刻を書き込む。
最初の金物屋については、交番にも問い合わせていた。だが、持ち主からの被害届は出ていなかった。目の前の理髪店も、市の登録情報では空き店舗になっている。
「店が開いてたら、こんな壊れ方を放っておかないですよね」
答える相手はいない。
ガイはまだ療養中だった。
レンは裏口から離れ、次の通りへ向かった。
この一件だけなら、古い金具が偶然壊れた可能性もある。しかし、あの金物屋と同じ方向へ割れていることが気になった。
八月七日、三級ヴィランが触れた住宅の柱も、外から殴られた跡がないまま、内側から砕けていた。
レンは携帯端末に保存した交戦映像を開きかけ、やめた。
(似てるってだけじゃ、証拠にはならない)
まずは数を確かめる。
そう決めて、旧市街を歩き始めた。
その日の午後、五件目が見つかった。翌日には十四件になり、三日目の昼には二十七件へ増えていた。
いずれも空き家か、長く閉まっている店舗だった。
営業中の店には、一件もない。
二十一件目は元の薬局だった。日焼けした営業案内の横で、門扉の掛け金だけが新しく割れている。
すぐ隣では、パン屋がいつもどおり営業していた。客が入るたびに扉の鈴が鳴り、焼きたてのパンを入れた袋が次々と渡されていく。
道路一本どころか、壁一枚を挟んだ隣だ。
なのに、壊されているのは人のいない建物だけだった。
「……選んでる?」
レンは薬局の前で足を止めた。
錠の種類は統一されていない。引き戸の留め金、シャッターの錠、門扉の掛け金。古さも材質も違う。
それでも、鍵穴が潰れていないことと、金属が内側から外へ膨らんでいることは共通していた。
レンは裏手の格子戸を撮影した。
錠の端から、細い金属片が垂れ下がっている。手を伸ばせば触れられる距離だったが、近づくのはそこまでにした。
無断で建物に入る権限はない。
内部に誰かがいる可能性も、まだ否定できなかった。
レンは外から見える範囲だけを撮り、手帳に番号を書き込んだ。
初日の終わりには、靴の中まで汗で湿っていた。二日目は同じ通りを反対側から歩き、建物番号の写っていない写真を撮り直した。
似た錠が続くと、違う建物を同じ一件として数えかねない。
撮影した画像と手帳を、一軒ずつ照合する。
最後に残った数字は、二十七だった。
レンはその下へ、もう一行書いた。
〈被害届、確認できず〉
そのまま、目の前の空き家を見上げる。
窓の内側には、色の抜けたカーテンが残っていた。郵便受けからは古い広告がはみ出している。
誰も住んでいないはずの建物が、二十七軒。
だが、そのどこにも本当に人がいないのか。
写真だけでは、そこまで分からなかった。
夕方、第九分署へ戻ると、レンは撮影した写真を管制卓の四面に振り分けた。
金物屋のシャッター。理髪店の裏口。住宅の勝手口。空き事務所の門扉。
光が反射して割れ目の見えない写真もある。建物番号が写っていないものは、手帳の時刻と照らして確認した。
「二十七件あって、全部同じ壊れ方って……」
レンは四面を順に見た。
決定的な証拠が欲しかった。
能力を使うところを映した監視カメラか、現場を目撃した人の証言。どちらか一つでもあれば、本部へ出す資料の重みが変わる。
だが、これまでの調査で見つかったのは、壊れた錠ばかりだった。
レンは第九分署から照会できる警察・消防の通報概要と、本部の案件一覧を開いた。
対象期間を八月に絞る。
空き家への侵入。器物の破損。能力使用の目撃情報。
検索結果を確認し、建物番号と突き合わせた。
「……ゼロ?」
検索語を変える。
シャッターの破損。門扉の損傷。空き店舗。
今度も該当する届け出はなかった。
交番への問い合わせは残っていても、持ち主から被害の申し出がなければ、事件として登録されていない。
そもそも閉店した店の持ち主が、毎日錠を確かめに来るとは限らない。
レンは金物屋の写真を開いた。
割れた金属片は、最初に見つけたときから同じ場所に落ちている。
次に八月七日の交戦記録を呼び出し、三級ヴィランが門柱へ手を当てた場面で止めた。
柱は内側から割れている。
錠の写真も、同じように金属が押し広げられていた。
「可能性は高い。でも、まだ断定できない……」
レンは報告欄を開き、〈同一犯による犯行〉と入力した。
すぐに消す。
代わりに、〈破砕能力による損傷の可能性〉と書き直した。
撮影場所と時刻。建物の状態。損傷が外側へ広がっていること。持ち主からの被害届を確認できないこと。
分かっている事実だけを並べる。
書き終えると、レンは送信先の一覧を開いた。
本部。
第四分署。
第七分署。
指が止まった。
ガイの出動許可は、まだ下りていない。
今ここで資料を渡せば、捜索に動くのは別の分署になる可能性が高かった。
第九分署が三日かけて調べた情報でも、確保した分署に査定点が付く。
レンは年度査定の画面を開いた。
二百八十点。
更新基準まで、残り七百二十点。
逃げた三級の男を確保できれば、百二十点。共同案件となれば、その取り分は変わる。
(こっちで場所まで調べて、最後だけ持っていかれるのかよ)
レンは送信先を空欄に戻した。
代わりに、チカの連絡先を開く。
『天城くん? 今、交代前だから短くね』
耳元から紙をめくる音が聞こえた。
「一つ聞きたいことがあります。案件票になってない情報を、他の分署へ渡す場合って、どの様式を使うんですか」
『どういう情報?』
「能力犯罪の可能性があるんですけど、通報が一件もないんです。写真と場所はあります。犯人はまだ特定できません」
『だったら情報提供の第十四号。場所、時刻、写真を添付して。本部が案件票を起こすなら、提出番号が元になるよ』
レンは手帳の端に〈十四号〉と書いた。
「それって、提出した分署にも査定が付きます?」
『情報提供だけなら、確保点は付かない。共同管制になるかどうかは、そのあと決まる』
「……ですよね」
『天城くん、今どこまで分かってるの?』
「同じ壊れ方をした錠が二十七件です。全部、空き家か閉店した店。破砕の男と関係があるかもしれません」
電話の向こうで、紙をめくる音が止まった。
『二十七件?』
「はい。ただ、見たのは外側だけです。中に入ったかどうかは分かりません」
『分かった。様式を送るね』
「助かります」
レンが通話を切ろうとすると、チカが続けた。
『それ、誰が受けるの?』
「……何をです?」
『情報を出したあと。現場で、その男と向き合うのは誰?』
レンは管制卓の端に表示されたガイの医療予定を見た。
「うちのヒーローは休んでます。復帰できれば、こっちで――」
『だったら今、受けられる人が必要でしょ』
レンは返事をしなかった。
『第十四号、送っておく。出すかどうかは天城くんが決めて』
通話が切れた。
数秒後、端末に空の様式が届いた。
チカはそれ以上、何も言ってこなかった。
レンは二十七件の資料を一つのフォルダへまとめた。
この資料があれば、ほかの分署も旧市街で起きていることに気づける。
だが、ガイが復帰する前に男が捕まれば、第九分署の査定欄は空白のままだ。
残り七百二十点。
その数字が、どうしても頭から離れない。
レンはフォルダ名を〈未提出〉に変えた。
翌朝、レンは病院の中庭で、通院リハビリを終えたガイを待っていた。
ガイは右手を手すりに添え、短い距離を歩いてくる。左肩の固定具はまだ外れていない。
「また来たのか」
「鍵はもう返しました。今日は仕事の話です。散歩の付き添いは追加しないでくださいよ」
「長そうだな」
「三分で済ませます」
レンは空いているベンチを指した。
ガイが座ると、端末に保存した写真を見せる。
「旧市街で、同じ壊れ方をした錠が二十七件見つかりました。全部、無人と思われる建物です。持ち主から被害届が出ていないので、本部の案件にもなってません」
ガイは写真を一枚ずつ見た。
レンが次の画像を出すたびに、割れた金属の端へ目を向ける。
「中は見たか」
「見てません。立ち入りの許可がないんで。外からだけです」
「誰かいたか」
「見える範囲には。でも、建物の中までは分かりません」
ガイは端末を返した。
「それで」
「情報提供の様式は手に入れました。ただ、あれを出すと別の分署が先に動く可能性があります」
レンは年度査定の表を開いた。
「今、三級の確保点をほかへ取られるのは厳しいんです。こっちはまだ二百八十点で、必要なのはあと七百二十点ですよ」
ガイは表を見なかった。
「医師の許可が下りるまで、あと二週間くらいでしょう。だったら、それまで俺が情報を集めて、復帰と同時に――」
「天城」
「はい?」
「その二週間で、そいつが何を食うかは、考えてあるか」
レンの指が止まった。
「……食べ物ですか?」
ガイは答えず、写真へ目を戻した。
破砕能力者は、八月七日から逃走している。
現金を持っているかは分からない。泊まる場所も、食べ物をどう手に入れているのかも、調べていなかった。
壊れた錠が二十七件。
すべて、人のいない建物だった。
寝床を探したのかもしれない。
食べ物を探したのかもしれない。
だが、そこで何を手に入れたのかは分からない。次の建物も空き家を選ぶとは限らなかった。
「……でも、今すぐ資料を出したって、確認には時間がかかりますよ。こっちで先に調べたほうが、無駄も減るでしょうし」
「お前は食うだろ」
「はい?」
「今日も、明日も」
レンは口を閉じた。
自分は毎日、食事を取る。
財布が空になれば、金を下ろす。食べるものがなくなれば、店へ行く。
それだけのことを、逃走中の男について一度も考えていなかった。
二週間待つ。
そう決めていたのは自分だ。
男が、その二週間をどう過ごすのかは何も決められない。
レンは端末を伏せた。
「……別の家に入るかもしれませんね」
ガイは頷かなかった。
「今度も空き家を選ぶ保証はない。人がいるところへ入ったら、前みたいに……」
レンはそこで言葉を切った。
八月七日の住宅が頭に浮かんだ。
二階の窓。
母親と子ども。
自分が「行くな」と言った声。
ガイはベンチに右手をつき、立ち上がろうとした。途中で胸を押さえ、もう一度手をつき直す。
「戻るぞ」
「ちょっと待ってください。まだ三分――」
「十分だ」
レンは端末をしまった。
ガイが外来棟へ戻るまで、隣を歩いた。
固定帯の下で胸が上下している。ときどき歩幅が狭くなるが、ガイは足を止めようとしない。
レンはその速度に合わせた。
この身体を今すぐ現場へ戻せないことは、分かっている。
それなのに、復帰したら何点取れるかばかり計算していた。
外来棟の入り口で、ガイが振り返った。
「天城」
「……何ですか」
「飯は食えよ」
「食べますよ。そりゃ」
ガイはそれ以上何も言わず、建物の中へ入っていった。
レンは自動ドアが閉まるまで、その場に立っていた。
午後、第九分署に戻ったレンは、〈未提出〉のフォルダを開いた。
添付する写真は二十七件分。
建物番号、撮影場所、時刻、錠の種類。
破損の方向を確認できる写真には印を付け、見えない箇所には〈未確認〉と入力した。
最後に、八月七日の三級ヴィランの交戦記録を添える。
報告文には、〈同一人物による犯行と断定するものではない〉と記した。
そこまで入力して、レンは送信先を開いた。
本部。
指が一度止まった。
(これを出したら、ほかの分署が動く)
第九分署の得点になるとは限らない。
そのことは変わらない。
レンは年度査定の画面を閉じた。
送信先に本部を選び、第十四号を提出した。
受付完了の通知が届く。
提出番号が表示され、端末に控えが保存された。
レンはその番号を手帳に書き写した。
あとは本部がどう扱うかを待つことになる。三級の男が見つかる保証はないし、資料だけで捜索区域が決まるとも限らない。
それでも、二十七件を自分の端末にしまい込んでおく理由は、もうなかった。
レンは管制卓から立ち上がり、壁際の地図棚へ向かった。
取り出したのは、旧市街の紙地図だった。
机いっぱいに広げ、四隅を文鎮で押さえる。
最初に見つけた金物屋は、商店街の外れにある。
二つ目の理髪店は、そこから二筋南。
残りの二十五件も、写真の撮影場所と照らせば位置を落とせる。
レンは赤鉛筆を取った。
いつ男が通ったのかは分からない。だから、見つけた順番を逃走経路と決めつけるわけにはいかなかった。
ただ、どこで錠が壊されたのかは分かっている。
まずは、それを全部並べる。
レンは、二十七件の錠の場所を、旧市街の地図に赤で打っていった。




