第17話 十四分の寄り道
七月中旬の朝、レンは第九分署の管制卓で、更新審査までの残り日数を計算していた。
年度の累計、百三十四点。
必要な査定点、一千点。
残り、八百六十六点。
「……八か月半か」
レンは表計算の列を増やした。
四月から今までの獲得点数を月ごとに並べる。これまでと同じペースで案件を処理した場合、年度末の予測は五百点にも届かなかった。
結果の欄が赤く染まる。
「これ、普通にやったら終わりじゃん」
ガイの登録が抹消されれば、レンの年度担当実績も無効になる。第九分署は第七分署へ統合され、管制卓も車庫も引き払うことになる。
先日、所長室で見つけた統合先一覧は、まだ机の引き出しに入れてあった。
レンは新しい列を作った。
〈査定点/所要時間〉
点数の高い案件から順番に並べ直す。
一覧の上位へ移動してきたのは、四級の獣だった。
四十点。討伐報告書は三枚。報酬は通常案件の一・三倍。
ただし、どんな獣でもいいわけではない。
レンは先月の監視映像を開いた。前脚の爪で金網を裂いた四足型を候補から外す。
次に、牙を主に使う個体も消した。
残ったのは、身体ごとぶつかってくる個体だ。
面の打撃なら、ガイは溜められる。
「数を取るなら、こっちだろ」
レンは候補を三件選んだ。
四級の獣、五級の獣、短時間で終わりそうな救助案件。
それぞれの現場を地図へ置き、移動経路を結ぶ。
一日三件。
予定表の端に、〈加算五十点以上〉と入力した。
背後で缶の開く音がした。
「天城、何してる」
ガイが管制室の入口に立っていた。
「更新審査の計算です。あと八百六十六点。月に百点以上取らないと届きません」
レンは画面を指した。
「だから四級を優先します。五級も近場なら拾う。移動時間まで考えれば、これが一番効率いいんですよ」
ガイは画面へ目を向けた。
「爪と牙が主の個体は外しました。アンタが受けられる相手だけ残してあります」
レンは三件の予定表を差し出した。
「どうです?」
ガイは答えなかった。
包帯の残る左前腕で、缶を持ち替える。
「……腕がまだ治ってないのは分かってます。だから受ける方向も選びますし、案件ごとに状態を確認します」
ガイは予定表の一番下を見た。
そこには救助案件が入っている。
「最初の四級が終わった時点で、無理そうなら組み替えます。そこはちゃんと判断しますから」
返事はなかった。
「……反対しないなら、この順番で進めますよ」
ガイは缶を飲み終えた。
空き缶を片づけ、車庫へ歩いていく。
レンは三つの案件票へ受諾予定の印を付けた。
(まあ、嫌なら言うだろ)
そのまま端末を持ち、ガイのあとを追った。
車庫では、ガイが整備台の横に立っていた。
レンが近づくと、右手を差し出す。
「手、貸せ」
「はいはい。三秒だけですからね」
レンは黒い手袋を片方外し、ガイの手首を握った。
一秒目に心拍。
二秒目に腕の張り。
三秒目には、左肩を動かすとき、周囲の筋肉まで固くなるのが分かった。
八針縫った左前腕にも、まだ負担が残っている。
レンは手を離した。
「……昨日より悪くはないですけど、いいわけでもないですね」
肩当ての固定帯を確かめる。
締め方は前回の出動から変わっていない。
「四級が先です。大きな衝撃を何度も受けるのは避けてください。最初の案件が終わったら、一度帰ってきてもらいます」
「おう」
「ちゃんと聞いてます?」
「聞いてる」
ガイは胸の登録章を斜め下から二度叩いた。
紺の外装が身体を覆い、二・八秒後に装甲がかみ合う。
九号車のエンジンが掛かった。
最初の現場は、旧市街の外れにある資材倉庫だった。
四級の四足型の獣が、倉庫の搬入口へ何度も体当たりしている。
前脚は太く、頭を下げるより先に胴をぶつける個体だ。
警官が道路を封鎖していたが、獣が倉庫を抜ければ、車の通る道へ出てしまう。
『グリット、道路側へ遮断板を落とします。距離一キロ、着弾まで六秒です』
ガイは搬入口の横へ立った。
獣が振り向く。
頭を向けたあと、胴を低くして走り出した。
牙より先に肩が来る。
ガイは正面から受けず、半身になった。
獣の身体が左肩へ当たる。
重い衝撃が装甲の奥へ沈み、肩当ての端が背中側へ押しつけられた。左前腕の傷が引きつる。
ガイは足を踏み替え、獣の身体を倉庫の内側へ流した。
獣はすぐに向き直った。
『遮断板、着弾。道路側は塞がりました』
ガイは倉庫の壁から離れた。
道路へ出る道は塞がれた。あとは人のいない敷地へ留めておけばいい。
二度目の突進が来る。
今度は右肩寄りで受けた。
溜めた重さが増し、肩の奥に熱が広がる。
獣が離れた瞬間、ガイは踏み込む位置を変えた。
先ほどの衝撃を脚へ回し、獣の胴へ横から肩を当てる。
通常の放出だった。
獣の身体が傾き、倉庫のコンクリート壁へぶつかった。
壁の一部が欠け落ちる。
獣は前脚を動かそうとしたが、立ち上がらなかった。
ガイは近づかず、確認班の到着を待った。
『四級、討伐確認。四十点です』
「おう」
『……肩の数値、上がってます。一度帰署してください。次は身体を見てから決めます』
「分かった」
ガイは九号車へ戻った。
午前中のうちに、第九分署の管制卓へ四十点が加算された。
レンは表計算へ数字を入力した。
年度累計、百七十四点。
予定線が少し持ち上がる。
「……これだよ」
四級を一件処理するだけで、これまでの月間獲得点数に近い数字が入る。
しかも、まだ午前中だった。
レンは次の案件票を開いた。
昼前に帰署したガイは、車庫で外装を収納した。
レンは肩当ての状態を確かめ、左腕の動きを見た。
「少し張りは増えてますね。ただ、動きそのものはさっきと大きく変わってません」
ガイは右腕を上げ、左腕も動かしてみせた。
「次は五級です。少しでも危なかったら撤退してください」
「おう」
レンは二件目を受諾した。
午後の現場は、市場裏の駐車場だった。
五級の小型獣が、止めてある車へ身体をぶつけている。
牙も爪もあったが、主な攻撃は突進だった。
ガイは車の間へ入らず、広い通路へ出て待った。
獣が駆けてくる。
身体を半身にし、肩へ胴を当てさせる。
鈍い衝撃が入った。
ガイは足を下げず、受けた重さを身体へ残した。
獣が離れたところで、一歩踏み込む。
放出を乗せた体当たりが、獣を駐車場の奥へ押し飛ばした。
獣の身体がコンクリートの仕切りへ当たり、動かなくなる。
確認班が討伐を認めた。
『五級、十点。累計百八十四点です』
レンの声が、いつもより早かった。
ガイは返事をして、外装の左腕を一度回した。
『グリット、動きが少し遅くなってます。次は救助です。現場の状況を確認してから動いてください』
「おう」
ガイは九号車に乗った。
三件目の救助案件は、駅前の古い商店の裏だった。
強い風で看板の支柱が曲がり、作業員が一人、足場から降りられなくなっている。
倒れかけた看板の下には店の大きな窓があった。
救助一人で五点。
店の被害を防げれば、抑止の加算も申請できる。
レンは現場への最短経路を九号車へ送った。
到着予定、七分。
そのとき、管制卓の端に別の通報が入った。
旧市街の団地からの安否確認だった。
独り暮らしの高齢男性へ家族が電話を掛け続けているが、応答がない。
警察と管理人には連絡済み。緊急性は未確認。
案件票の報酬欄は空白だった。
「……またこれか」
レンは通報を保留へ移した。
『グリット、救助案件を優先してください。団地の安否確認は警察へ回します。こちらは点が付かないので』
返事はなかった。
九号車の位置表示が曲がった。
駅前へ向かう最短経路を外れ、団地へ続く細い道へ入っていく。
「……え?」
レンは地図を拡大した。
『グリット、そっちじゃありません。駅前は直進です。団地のほうへ向かってますよ』
『おう』
「おう、じゃないです。そっちは無報酬の安否確認ですって。警察にも連絡が行ってますから、まず救助案件を――」
無線は切れなかった。
だが、返事もなかった。
九号車が団地の前で止まる。
レンは予定表を見た。
到着予定、七分。
その横で、現場へ向かうはずだった位置表示が動かなくなっている。
「……何やってんだよ」
レンは時刻を控えた。
九号車を降りたガイは、団地の階段を上がっていた。
外装は着たままだ。
二階の廊下には植木鉢が並び、玄関前には昨日の新聞が差さっている。
ガイは呼び鈴を押した。
応答がない。
もう一度押す。
部屋の奥で、何かが動く音がした。
「おい。いるか」
ガイは扉へ耳を近づけた。
遠くで水道の音がする。
足音らしいものも聞こえたが、扉は開かなかった。
廊下の向こうから管理人が来た。
「グリットさん、わざわざすみません。娘さんが朝から電話しているそうで。普段は必ず出る人なんですけどね」
「中にいるな」
「たぶん。鍵はありますが、警察が来るまで待つようにと言われていて」
ガイはうなずいた。
扉の下から、明かりが漏れている。
室内の足音が近づいた。
「……何ですかい」
少しして扉が開いた。
白い下着姿の老人が立っていた。片手に耳かきを持っている。
「何だ、消防か」
「ヒーローだ」
「ああ、グリットさんか。テレビの音が大きくて、呼び鈴が聞こえんかった」
ガイは部屋の奥を見た。
座卓の上に電話がある。
その横に置かれた携帯電話の画面は消えていた。
「娘が何か言ってましたか」
「連絡がつかねえって」
「……ああ。携帯、昨日から動かなくなってな」
老人は携帯電話を手に取った。
電源ボタンを押しても反応がない。
ガイは管理人へ顔を向けた。
「家族に連絡を」
「はい。すぐに」
管理人が廊下で電話を掛け始める。
ガイは老人が椅子へ戻るのを見届けた。
廊下へ出ると、もう一度室内の明かりを確かめ、階段へ向かった。
九号車へ戻ったところで、レンの声が入った。
『グリット、安否確認、終わりました?』
「おう」
『……十四分ですよ』
ガイは鍵を差した。
『駅前の救助案件、まだ未処理です。こっちは本当に点が付かないんですよ。なのに十四分も使って、どうするんですか』
ガイはエンジンを掛けた。
『次は駅前へ向かってください。作業員の方はまだ足場の上です』
「分かった」
九号車が走り出した。
第九分署の管制室で、レンは位置表示が予定の道へ戻ったのを確認した。
(十四分……)
時刻を見直す。
救助案件の到着予定は遅れる。だが、現場から届いた映像では、作業員はまだ足場につかまっていた。
看板も倒れていない。
レンは現場の連絡先へ無線をつないだ。
「第九分署です。グリットが向かっています。作業員の方は動かさないでください。支柱が倒れないよう、下の通行も止めてください」
返事を受け、通話を切る。
もう一度、九号車の位置を確かめた。
予定表の十四分を、赤で囲んだ。
駅前の商店裏では、足場の上に作業員が一人残っていた。
看板の支柱は二本のうち一本が曲がり、金属板が建物の外壁へ傾いている。
下には店の大きな窓があった。
ガイは足場の下から見上げた。
「動けるか」
「降りたら、看板が落ちそうで!」
作業員は手すりにつかまったまま答えた。
ガイは看板を支える位置を見た。
板の重さは支柱へ掛かっている。
残った一本が折れれば、下へ落ちる。
ガイは足場を上がった。
左腕の縫い目が引きつる。
片手で支柱へ触れ、看板の平らな面を確かめた。
風が吹いた。
看板が揺れ、肩当てへぶつかった。
面の衝撃。
溜まる。
ガイは受けた重さを腕へ回した。
倒れかけた板を押し戻し、作業員が足場から離れられる隙間を作る。
「先に降りろ」
「でも、看板が――」
「持ってる」
作業員は足場を伝って下りた。
地上の作業員が手を振る。
ガイは看板を支えたまま、全員が安全な位置へ下がるのを見届けた。
別の作業員が支柱の根元へ固定用の楔を差し込む。
看板の揺れが止まった。
ガイは手を離した。
足場から降りると、左肩が少し下がった。
朝から何度も衝撃を受けている。肩の奥にはまだ熱が残り、左前腕の傷も引きつっていた。
救助された作業員が頭を下げた。
「助かりました。本当に……」
ガイは短くうなずき、足場から離れた。
店の窓は割れずに済んだ。
レンの画面に、三件目の処理結果が表示された。
救助一人、五点。
被害抑止、一点。
合計、六点。
「……来た」
レンは表計算へ数字を入力した。
四級の獣、四十点。
五級の獣、十点。
救助と被害抑止、六点。
今日の加算は五十六点。
年度累計、百九十点。
基準まで、残り八百十点。
朝よりも五十六点縮まった。
「やればできるじゃん」
レンは椅子の背にもたれた。
無報酬の安否確認に十四分使った。
それでも、予定した三件はすべて終わっている。
効率表の右端へ、今日の実績を記録した。
夜、ガイが分署へ戻ったころ、レンは翌週の案件候補まで並べ終えていた。
ガイが外装を収納し、車庫の棚からタオルを取る。
レンは予定表を持って車庫へ来た。
「今日は三件、全部処理できました。五十六点です。これなら月に百点以上取るのも無理じゃないと思うんですよ」
ガイは首の汗を拭いた。
「おう」
「ただ、昼の団地。ああいうのは警察に任せてください」
レンは予定表の赤い丸を指した。
「今回は救助のほうが待ってくれましたけど、毎回そうとは限りません。十四分遅れたら、間に合わない現場もありますから」
ガイはタオルを畳んだ。
「次からは、無報酬の確認を外します。点になる案件を優先しますから。いいですね?」
返事はなかった。
「……聞いてます?」
ガイは胸ポケットから赤鉛筆を抜き、整備台へ置いた。
それから作業着の上着を取り、出口へ向かう。
レンは返事を待った。
扉が閉まるまで、ガイは何も言わなかった。
「……まあ、反対しないならいいですけど」
レンは管制室へ戻った。
予定表の備考欄に、〈無報酬の依頼は原則除外〉と入力する。
ガイの確認欄には、〈了承〉と付けた。
次の週の候補を並べる。
四級の獣を二件。五級を三件。移動に時間の掛からない救助を、空いたところへ差し込む。
月に百点以上。
残り八か月半で、八百六十六点。
不可能だと思っていた数字が、今朝よりずっと近くなった。
レンは予測表を開き、今日の実績を反映させた。
年度末の到達見込みを示す線が動き出す。
初めて、表の線が「届く」側に傾いた。




